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高校野球あれこれ 第162号

センバツで評価を上げた投手10選 ドラ1候補に躍り出た報徳学園・今朝丸が筆頭格

 

  健大高崎の初優勝で幕を閉じた第96回選抜高校野球。今大会はドラフト候補という観点で見ても、投手、野手ともに楽しみな選手が多く、大いに盛り上がった。そこで、今回のセンバツで評価を上げた選手を下級生も含めて、投手、野手それぞれに10人ピックアップしたい。まずは投手編だ。

今朝丸裕喜(報徳学園/3年)

 今大会、最も強いインパクトを残した投手が今朝丸だ。惜しくも優勝は逃したものの、先発した3試合は愛工大名電大阪桐蔭健大高崎の強力打線を相手に見事な投球を見せた。

 

 187センチの長身で、大会前の練習試合では最速151キロをマークし、それだけのスピードがありながら制球力も高い。この1年での成長は著しいものがあるが、これからまだまだ伸びそうな雰囲気があり、将来性の高さも大きな魅力だ。今大会での活躍で、ドラフトの有力候補から1位候補へとランクアップしたことは確かだろう。

 

吉岡暖(阿南光/3年)

  大会前は四国で屈指の右腕という評価だったが、今大会での投球でその実力が全国でもトップクラスであることを証明した。今年から解禁となった二段モーションを取り入れたことで、フォームの安定感が増した。

 

 ストレートは140キロ台前半でもボールの角度があり、数字以上の勢いを感じる。ストレートと変わらないフォームからスライダー、カットボール、フォークを操り、26回で30個の三振を奪ったのは見事というほかない。現時点でも支配下でのドラフト指名は十分狙えるが、夏までにスピードが上がればさらに評価は高くなりそうだ。

 

平嶋桂知(大阪桐蔭/3年)

  報徳学園との準々決勝では立ち上がりに制球難を露呈して今朝丸裕喜に投げ負けたが、それでも昨年秋からの成長はしっかりと見せた。特に初戦の北海戦は素晴らしい出来で、7回を投げて四死球0、7奪三振で1失点(自責点0)と好投。ストレートはコンスタントに145キロを超え、140キロ近いスピードで変化するフォーク、カットボールも威力は十分だった。

 

 上半身が強く、数字ほどストレートが速く見えないのは課題だが、スケールの大きさは魅力だ。突如として制球を乱す悪癖が解消されれば、ドラフト上位指名もあり得る素材である。

 

高尾響(広陵/3年)

  甲子園は3季連続。頂点には届かなかったが、さすがという投球を見せた。昨年と比べて左足をよりゆっくり大きく上げて軸足にタメを作れるようになり、体重移動のスピードが速くなったようにも映った。

 

 勝負所でギアを上げることができ、試合終盤でも145キロを超えるストレートの勢いは申し分ない。フィールディングやクイックなど投げる以外のプレーのレベルの高さも相変わらず。広陵の選手は大学や社会人に進むケースが多いが、もしプロ志望であればある程度高い順位での指名も狙えるだろう。

 

洗平比呂(八戸学院光星/3年)

  左投手でプロの評価が最も高いと思われるのが洗平だ。長いリーチを柔らかく使える腕の振りは一級品で、球持ちも長く、打者は差し込まれることが多い。ブレーキのあるカーブ、チェンジアップで緩急をつけ、スライダーの変化も鋭く、あらゆるボールで勝負できる。まだ少しフォームに無駄な動きはあるが、リリースの感覚が良く、敗れた星稜戦でも8回を投げて108球で収めたように、制球力も決して低くない。

 

 今年の高校生サウスポーでは間違いなくトップクラスであり、プロ志望なら支配下指名は有力だろう。

 

関浩一郎(青森山田/3年)

  昨年秋までは素材は良いものの少し時間がかかりそうな印象だったが、この冬の間に力強さが増し、完全にドラフト候補という立ち位置に浮上したと言える。

 

 187センチの長身でありながら体の使い方が上手く、フォームに悪い癖がないのが大きな長所。1回戦では先発として試合を作り、リリーフで登板した2回戦ではギアを上げて以前より出力がアップしたこともしっかりアピールした。プロが高校生に求めるスケール感と将来性を高いレベルで兼ね備えており、夏までに150キロを超えてくればドラフト上位指名の可能性もありそうだ。

 

伊東尚輝(愛工大名電/3年)

  入学当初から大器と評判だった大型右腕。昨年は伸び悩んでいるように見えたが、今大会で改めてポテンシャルの高さを示し、再びドラフト戦線へと浮上してきた印象を受ける。

 

 少し重心が上下動するのは気になるが、テイクバックをやや小さくしたことでリリースが安定し、140キロ台中盤のストレートがコーナーに決まるようになった。スライダーもストレートと変わらない軌道から変化し、空振りが奪えるボールだ。ここからさらに出力を上げて、スライダー以外の変化球がレベルアップすれば、高校からのプロ入りも見えてくるだろう。

 

佐藤龍月(健大高崎/2年)

  5試合、22回を投げて失点0、22奪三振という見事な投球でチームを初優勝に導いた。

 

 173センチと投手としては小柄で、右足をかなりクロスに踏み出すフォームは気になるが、鋭く変化するスライダーとチェンジアップのコンビネーションは高校生離れしたものがある。走者を背負っても慌てることなく、落ち着いて相手を見ながら投げられるというのも大きな長所だ。秋に比べると少しストレートの勢いがなく、技巧色が強くなった印象で、来年のプロ入りを見据えると出力をどれだけ上げられるかが重要なポイントとなりそうだ。

 

石垣元気(健大高崎/2年)

  佐藤龍月との二枚看板で、準決勝、決勝は先発でも好投。球場表示では大会最速となる150キロもマークし、一躍来年の目玉候補へと浮上した印象を受ける。

 

 姿勢が良く、177センチというプロフィールよりも大きく見え、豪快な腕の振りが大きな特長。昨年秋はただ速いだけという感が強かったが、この春はスライダーなど変化球もしっかりレベルアップして投球の幅が広がった。まだ全体的に粗削りながら、2年春ということを考えると十分な完成度もあり、今後の成長が楽しみな本格派右腕である。

 

森陽樹(大阪桐蔭/2年)

  2回戦で先発を任され、4回1失点で降板。結果としては可もなく不可もなくという甲子園デビューとなったが、それでも高いポテンシャルの片鱗は見せた。

 

 先輩の平嶋桂知と比べて全身を使ってゆったりと腕を振ることができており、指にかかった時のボールの勢いは目を見張るものがある。変化球も鋭く落ちるフォークはブレーキ抜群で、決め球として使える威力があった。まだ長身を持て余している印象だけに、ここからスケール感を残したまま、どうやって完成度を高めていくか。引き続き注目したい。

 

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高校野球あれこれ 第161号

甲子園初制覇の健大高崎は昨夏王者・慶應と対照的な「丸刈り」で気合い表現 “昭和の根性論にもほどがある!”の快挙

 

  春のセンバツ甲子園決勝で報徳学園(兵庫)を破り、群馬県勢として初めてセンバツを制した健大高崎。昨夏の甲子園では、優勝した慶應義塾(神奈川)が髪型自由のエンジョイ・ベースボールで話題をさらったが、健大高崎ナインはそれとは対照的な「丸刈り」のチームだ。

 

  健大高崎では、大会期間中にもバリカンで頭を刈り、ホテルに備え付けのカミソリでスキンヘッドにする部員も多かった。決勝を前に3年生部員たちは改めて、頭を五厘の長さに丸めたという。その理由を箱山遥人主将が話した。

 

「(昨秋の県大会のシードを決めるリーグ戦で)東農大二校さんにいきなり負けた日の夜、これはもう(センバツは)無理だと全員が諦めかけていた時に、ノリ半分で、『全員で五厘にして部長さんたちを見返そうぜ』となったんです。言ってみれば反骨心の表れでした。その日を境に、試合前日にはみんなが五厘刈りにして全員が一致団結し、関東大会、センバツと勝ち上がってこられた。今ではわざわざやろうと言わなくても、みんな五厘刈りにしています」

 

 なかには、スキンヘッドにしている選手もいる。

 

「それは……おそらくですが、短さで気合いの入り具合を表現しているんだと思います(笑)」

 

全員五厘刈りもまたひとつの「多様性」

 彼らは、五厘にすれば野球が上手くなるとか、試合に勝てるといった考えを持っているわけではない。主将の箱山が続ける。

 

「高校生で五厘刈りというのは、今の時代に反しているのかもしれません。だけど昭和の執念だったり、泥臭さであったり、そういう心を使って戦う野球で相手に負けたくないという根性論をもう一回大切にしようとやってきた。慶應(義塾)高校が去年、髪が長くても優勝できるということを証明した。自分達の全員五厘刈りは、古いというか、昭和というか、昔の考え方だと世間の人は言うと思うんですけど、多様性が重視されているなかで、どんな髪の毛でも優勝できるんだということを逆に証明できたと思います」

 

  左の佐藤龍月、右の石垣元気というふたりの2年生投手を擁し、地元の大応援団に背中を押された報徳学園を3対2で下した。前身の群馬女子短大付から共学化した2001年に同好会として発足し、青柳博文監督(51)は部活動に昇格した2002年に監督となったが、当時は髪の毛を伸ばしていた選手に「坊主にしたほうがいいんじゃないか」と提案したところ、15人のうち3人が辞め、練習をボイコットされた経験もある。

 

 それから22年が経過し、青柳監督は箱山らの取り組みをどう見ているのだろうか。

 

「僕からしたら髪の毛は短くなくていいと思うんだけども、この子たちが泥臭くやると決めて、ひとつの方向を向いていくという意味では価値がある(行動だ)と思います」

 

 記録員の川名健太郎は前日の準決勝後、全員が五厘以下の短さに揃えることについて「これが正しいかどうかは、日本一にならないとわからないこと」と話していた。

 

「やってきたことはやっぱ間違ってなかったと思います」(川名)

 

 髪型を自由にして自主性を重んじたエンジョイ・ベースボールが天下を獲ったそのおよそ8カ月後、「昭和の野球」を志した令和の球児が、青光りした頭で日本一となった。どちらの取り組みが正しいかではなく、髪型で野球の勝負が決まるわけではない――その主張を慶應とは真逆の形で貫いた結果の、快挙だった。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第160号

2年連続センバツ準優勝 報徳学園はなぜ「専用グラウンド」もないのに、名門校と渡り合えたのか?

 

「公立高校の方が立派な施設を持っています」

今年の選抜高校野球は3月31日、健大高崎(群馬)が報徳学園(兵庫)を3対2で破り、春夏通じて初優勝を飾った。高校ナンバーワン捕手の呼び声高いキャプテンの箱山遥人を中心に力のある野手が揃い、佐藤龍月と石垣元気という左右の二枚看板が見事な投球を見せ、優勝にふさわしい戦いぶりだった。

 

   1回戦が終了した時に、デイリー新潮に寄稿した「センバツ初戦突破! 健大高崎が誇る“司令塔”箱山遥人の凄み “機動破壊”から方針を転換」(3月22日配信)という記事の中で触れているが、健大高崎は充実した設備と指導スタッフ、そして進学実績によって選手のスカウティングは全国でも屈指で、箱山と佐藤は東京出身、石垣は北海道出身といったように、中学時代から評判だった選手が多く集まっている。

 

 チームを指揮する青柳博文監督は、優勝インタビューで「自分一人ではできないので、仲間とかコーチ、いろんな方の支援のおかげです」と答えていた。まさに組織力で勝ち取った優勝だ。

 

 野球留学に対して否定的なファンなどからは、全国から有望な選手が集まることで健大高崎ではなく“県外高崎”と揶揄されることも多かったというが、野球で身を立てたいと考える選手の能力を伸ばすために、ハード面とソフト面を充実させ、結果に結びつけたことは高く評価されるべきだろう。

 

 一方で、設備や人員が充実していなくても結果を残しているチームがある。その代表格が、2年連続選抜準優勝の報徳学園だ。

 

 甲子園で春2回、夏1回の優勝経験があり、今大会で春夏通じて38回目の出場という名門校。にもかかわらず、報徳学園には、野球部の専用グラウンドや室内練習場がない。永田裕志前監督(現・日大三島監督)は、監督時代に「兵庫の他の公立高校の方がよっぽど立派な施設を持っています」と語っていたほどだ。

 

選手たちに見せた映画「ロッキー4」

 伝統の力もあって、実力がある選手は入学してくるとはいえ、その大半は兵庫、大阪といった近畿圏出身の選手。健大高崎のように全国各地から選手をスカウティングしているわけではない。

 

 さらに、報徳学園の野球部OBは、大角健二監督についてこのように話してくれた。

 

「学校の方針ということもあるのですが、(大角監督は)野球部の指導だけをしていればいいわけではなく、教員の仕事も大変忙しい。今年も、大会直前まで学校の仕事をしていました。過去には、受け持っているクラスの(野球部ではない)生徒が学校に来られなくなってしまって、その対応に追われていたこともあるようです。(報徳学園OBで)大阪桐蔭の西谷(浩一)監督は、自分は教員の会議に出ていたら他の教員から『西谷先生は会議なんか出なくていいので野球の練習をしてください』と言われたと話していました。(大角監督が)監督に就任した時(※2017年の新チームから就任)はプレッシャーもあったと思いますけど、多忙である教員の仕事もしながら、本当によく頑張っていると思います」

 

 報徳学園が初戦で対戦した愛工大名電(愛知)も、最新の機器などを導入したことが話題となっていた。大角監督は、愛工大名電戦を前に、選手たちに映画「ロッキー4」を見せたという。

 

「ロッキー4」は、最新の科学技術を駆使したソ連(当時)のボクサー、ドラゴに対して主人公のロッキーが地道なトレーニングによって戦い、勝利するという物語だ。環境的に恵まれなくても、やり方によっては勝てるということを選手たちに伝えたいという思いがあったのだろう。

 

5試合で失策はわずか「2」

 ただ、決して恵まれない環境の中でも、2年連続で選抜準優勝を達成したというのは明確な強みがある。今大会で特に光ったのは“堅守”だ。5試合で失策はわずかに2。選手たちは、難しい打球を上手く処理していた。

 

 大角監督は、1回戦後の取材で「守備は伝統的に強みの部分ですのでしっかり鍛えてきました」と話していたが、限られた環境の中でも全国トップの守備力を身につけることは可能であると証明した。

 

 もうひとつの大きな強みが投手力である。今大会は、エースの間木歩と、ドラフト上位候補の今朝丸裕喜という好投手を擁して、決勝まで勝ち上がった。近年の報徳学園は、毎年のようにプロ注目の投手を輩出しており、ピッチャーの指導を担当している磯野剛徳部長が、外部のコーチなどを訪れ、投手を育成する方法を日々研究している賜物といえるだろう。

 

 もちろん、報徳学園も伝統を生かした人脈など、他の学校から見れば恵まれた部分があるのかもしれない。それでも、練習環境に恵まれない一般的な学校が参考にできるところも多いのではないか。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第159号

“飛ばないバット”でも「長打は必要。悔しさ100%」報徳学園センバツ2年連続準V…“夏への宿題”は「ロースコアに持ち込めば」以上の力

 

  最後までスタイルを貫き、頂点に手が届くところまで迫った。報徳学園は今センバツ、守備でも攻撃でも甲子園で勝つ見本を示した。昨年の決勝でもスタメン出場した3番・サードの西村大和選手は悔しさの中に、1年前とは違う手応えを感じていた。

 

「練習でも試合でも、チーム全体で球際に意識を持ってきました。投手が打たれて失点するのは仕方がありません。ミスでの失点や大量失点をしなくなったところはチームの成長だと思います」

 

大会本塁打“わずか3本”の中で示した球際の強さ

 今大会から導入された新基準のバットは、出場校の歯車を狂わせた。ゴロは打球の勢いが弱く、フライはバットの音と飛距離にギャップがある。内野手も外野手も翻弄され、守備の乱れが失点や勝敗に直結するケースが多かった。

 

 打撃では長打が極端に減った。大会を通じて、本塁打大阪桐蔭・境亮陽選手のランニング本塁打を入れてもわずか3本。昨年の12本から大きく減少し、金属バットが導入された1975年以降で最少となった。2ケタ得点は1回戦で豊川を下した阿南光の一度だけだった。

 

 大量得点が難しくなれば、自然とロースコアの接戦が増える。この試合展開を得意とするのが報徳学園なのだ。健大高崎との決勝でも再三、守備でスタンドを沸かせた。

 

 1回はサードの西村が魅せた。同点に追いつかれ、なおも2死二塁の場面。三遊間へのゴロに飛びつき、素早く立ち上がると一塁へ正確に送球した。2回はセカンドの山岡純平選手が続く。一、二塁間のゴロに体を伸ばして捕球し、事も無げにアウトを取った。

 

 5回はショートの橋本友樹選手。1死二塁で三遊間の打球を横っ飛びで抑えて一塁へ。送球はショートバウンドになったが、ファーストの斎藤佑征選手がすくい上げた。チームでテーマにしてきた球際の強さ。日本一を争う舞台でも披露した。

 

5試合で2失策だけ…「ロースコアに持ち込めば」

 今大会の1回戦で、相手チームより失策数が多くて勝利したチームは3校しかない。大会出場校で打率トップだった健大高崎、主軸が木製バットを使って話題となった青森山田、そして強打を特徴とした大阪桐蔭の3校だ。

 

 失策が敗因になるのは野球の定石とはいえ、新基準のバットでは、その傾向がより強くなる。相手を圧倒する打力がない限り、守備のミスは致命的になる。

 

 報徳学園は今大会、5試合で2失策しかしていない。しかも、中央学院戦でセカンドの山岡に記録された失策は打球の勢いが弱く、グラブに収めて一塁に送球しても内野安打になる当たりだった。そして、決勝でも見せたように、投手が安打を覚悟した打球を内野手がアウトにしてきた。

 

ロースコアに持ち込めば勝てる

 

 報徳学園の選手たちは接戦への自信を深めた。1回戦は愛工大名電に延長10回の末、サヨナラ勝利。準々決勝の大阪桐蔭戦も、準決勝の中央学院戦もロースコアの展開を制した。

 

優勝した健大高崎は“打”のチームだった

 打撃ではセンター方向を中心に低く強い打球を徹底した。5試合で放った安打43本のうち、単打は40本。実に93%を占める。長打は二塁打の3本だけで、全てを5番・安井康起選手が放っている。打球が飛ばない新基準バットの特徴を踏まえ、バントや盗塁を絡めてコツコツと得点を積み重ねた。堅い守備があるからこそ、接戦を勝ち切るスタイルを貫けた。

 

 決勝で対戦した健大高崎は対照的なチームだった。

 

 昨秋の公式戦は9試合でチーム打率.397。大会ナンバーワンの打力は甲子園でも相手の脅威となった。失策で失点しても、ちぐはぐな攻撃が続いても、長打で局面を打開する。準決勝の星稜戦は象徴的だった。バントやバスターといった小技がことごとく決まらない。青柳博文監督は試合後、こう話している。

 

「監督のミスを選手たちに助けてもらいました。全くサインが上手くいかなかったので、中盤以降のチャンスでは細かいことをせずに打たせました。うちらしい野球ができたと思います」

 

 健大高崎は今大会のチーム安打数が41本。本塁打こそなかったが、長打は8本に上った。決勝でも1回に森山竜之輔選手の二塁打で2点差を追いつき、3回は先頭の斎藤銀乃助選手の三塁打をきっかけに得点した。

 

「長打が出ませんでした…必要ですね」

 健大高崎は2つの失策を記録しても決勝で勝利した。報徳学園は失策なく、好守を連発しても1点届かなかった。試合後、大角健二監督は「長打」を繰り返した。

 

「選手は本当によく戦いました。去年は悔しさ半分でしたが、今年は悔しさが100%です。長打が出ませんでした。しっかりバットの芯で捉えることが大事ですが、長打は必要ですね」

 

 選手たちも長打の必要性を痛感していた。4番の斎藤は「相手は力強い打球が飛んでいました。単打では盗塁やエンドランを絡めないと、1つずつしか塁に進めません。長打は得点のチャンスが広がりますし、チームの雰囲気を変える力もあります」と力を込めた。そして、こう続けた。

 

「同じ戦い方では日本一にはなれません。苦しい時に誰かが長打を打てるチームになって夏は甲子園に帰ってきたいと思います。その誰かに自分がなるつもりです」

 

低反発バットでも芯に当たれば長打になる

 斎藤以外の選手も日本一に向けて長打を課題に挙げる。ただ、スイングを大きくして長打を増やすつもりはない。

 

 あくまで意識するのは、バットの芯で捉えて外野の頭を越える打球や外野の間を抜く打球だ。斎藤は「もっとスイングを強くして飛距離を伸ばします」と話す。3番の西村も「センター方向に強い打球を打つ基本は変わりませんが、ミート率を上げていく必要があります。低反発バットでも芯に当たれば長打になると思っています」と語った。

 

 結果は昨年と同じ準優勝だった。だが、今年は日本一をはっきりと視界に捉えていた。「球際の強さ」と「長打不足」。報徳学園は夏の頂点に向け、1年前とは質の違う収穫と宿題を手に聖地を去った。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第158号

「やれば出来る」の初出場優勝・済美

センバツ・旋風の記憶[2004年]

 
 
上甲正典監督(写真は2013年)

♪「やれば出来る」は 魔法の合いことば

 時の首相が所信表明演説で使ったこともある「やれば出来る」。2004年のセンバツで初出場優勝を遂げた、済美(愛媛)の校歌の一節だ。

 02年4月。男女共学化と同時に野球部が創設された済美は、1988年のセンバツで同県の宇和島東を初出場優勝に導いた上甲正典監督を招へい。そこから丸2年でセンバツに出場すると、創部2年目として史上2校目のセンバツ初勝利を挙げ、ダルビッシュ有(現パドレス)が登板を回避した東北(宮城)との準々決勝では、高橋勇丞(元阪神)がそのダルビッシュの頭上を越える左翼へのサヨナラ3ラン。4点差をひっくり返してのサヨナラ勝ちは大会史上初めてだった。さらに、創部3年目(つまり、実質丸2年)の優勝も史上最速。ミラクルずくめだったが、初出場でも「やれば出来る」のである。

 上甲監督を招へいするとともに、松山市郊外に済美球技場という専用グラウンドが完成した。入学当時を思い出すのは、ショートを守る新立和也だ。

「中学時代、上甲さんが監督になると聞いて、済美でやりたいと思いました。家がグラウンドから自転車で20分くらいなので、工事中もときどき見に来ていた。広くて、素晴らしい施設になりそうでした」

 その球場開きにやってきたのが、明徳義塾(高知)である。宇和島東時代から旧知の明徳・馬淵史郎監督が、練習試合を快諾してくれたのだ。森岡良介(元中日ほか)、筧裕次郎(元近鉄ほか)らがいて、この年の夏に全国制覇することになる年代だ。それに対して済美は、入学したばかりの1年生だけ。試合は「20対ナンボ」(上甲監督)と、まるで野球にならない。1年生同士の対戦でも、スコアは似たり寄ったり。それはそうだ、鶴川将吾、梅田大喜といったのちのVメンバーがそこにはいたのだから。

「馬淵君はそれでもイヤな顔ひとつせず、その後も練習試合を引き受けてくれた。足を向けて眠れんよ」

 上甲監督は、そう語っていたものだ。

 恵まれた環境で豊富な練習をこなしながらしかし、なかなか結果がついてこない。1年生だけで臨んだ02年夏は、当然初戦負け。秋は2勝して県大会に進むのがやっとで、03年春は喫煙事件が発覚して出場を辞退する。夏は、練習試合でこの年の愛媛県代表になる今治西に勝つなど力をつけていたが、本番では丹原に0対10のコールド負けだ。「調子がよかっただけに、そこそこいけるんじゃないかと浮かれていた」というのは、当時主将を務めていた甘井謙吾だ。

 だが新チームでは、どこよりも経験豊富で、さらに1年生の福井優也(元広島ほか)の台頭もあり、練習試合では負けなしの快進撃が続く。18連勝。新人戦2戦目で東温に苦杯を喫すると、練習ではさらに妥協を許さなくなった。たとえばノック。無作為で飛んでくる打球を、27本連続アウトを取るまで終わらない。27本目でミスをすると、また一からやり直し。きわどい打球もくる。たび重なれば疲労も募り、ふつうなら捕れている打球でもミスをしてしまう。ときには、夕方7時から始まり、11時近くまでかかったこともある。野間源生二塁手はいう。

「僕とサードの田坂は、とくにプレッシャーに弱いから、26本目、27本目の打球がきました。そこでよくミスった。また1本目からやり直しです。家が遠く、自転車で通っていた鵜久森淳志(元日本ハムほか)なんか、家に着いたら夜中の12時半だったことがあるそうです。でも、そういうプレッシャーのなかで練習していたから、だんだんハートがタフになってきたと思う」

 攻撃力を磨く工夫もあった。150キロに設定したマシンをはじめ5カ所のフリー打撃のほかに、鉄パイプを持ってティーを打つ。パイプの重量は1.5キロから2キロ超など3種で、わざと水を含ませた重いボール、あるいはゴルフボールを使う。パワーを養い、しっかりシンでとらえるためだ。それもこれも明徳さんが目標でした、と上甲監督。

「明徳と対等に戦えれば、愛媛で勝ち抜けるし、全国レベルでもなんとかなる。暑いときも寒いときも”明徳はきっとまだ練習してるで“と生徒のシリをたたいてやってきた」

馬淵君には、足を向けて眠れんよ

「打倒明徳」がかなうのは、9月末の練習試合だ。11対9。おそらくは10試合近く行ってきたなかで、初めての勝利だった。「あれがすごく大きな自信になりました。最上級生になれば、対等に戦えるかな……と思っていましたが、それが実感できた試合です、というのは高橋だ。

 明徳とは、四国大会でも準決勝で対戦。0対7の劣勢からその高橋の2ランなどで打線に火がつき、大逆転勝ちを果たすとイッキに四国チャンピオンに。その後の神宮大会では、不調のダルビッシュを餌食にし、東北に7対0とコールド勝ち。そうしてやってきた初めての甲子園で、再び明徳と対戦したのもなにかの因縁だろう。ここも7対6と、序盤の大量リードを守り切った。

 天候の影響で、これも史上初のナイトゲームになった愛工大名電(愛知)との決勝も、6対5。神宮大会組が6チーム入った激戦ゾーンで、2回戦から4試合続けて1点差勝ちというしたたかさは、とうてい創部3年目とは思えなかった。奇しくも上甲監督の宇和島東時代と同じ、愛知県勢を決勝で倒しての優勝。上甲監督にとっては、ややこしいが、2度目の「初出場優勝」ということになる。

「ベンチでは、なんとかリラックスさそうと笑顔でいましたが、今日はさすがに笑顔も引きつりました。苦しい試合が続いたなかで、生徒たちが急にねばり強くなった。精神的な強さを認識させられました」とは、上甲監督の優勝インタビュー。そういえば明徳・馬淵監督は大会前、「おんちゃん(上甲監督)、乗せるのがうまいからのう……」と語っていたっけ。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第157号

優勝候補を次々に撃破した新湊フィーバー

センバツ・旋風の記憶[1986年]

リニューアル前の甲子園

 こういうのを、旋風というのだろう。1986年センバツ。前年秋のチーム打率.291で、出場32チーム中最下位だった新湊(富山)が、次々と優勝候補を倒してベスト4まで進んだのだ。

 率いたのは、檜物政義監督。仏壇漆塗りの「塗師」として生計を立てながら、母校の指導にあたっていた。こう振り返る。

「もともと力がないチームで、しかもあの年は大雪。練習不足は目に見えています。だから、ほかの高校はみんなウチと対戦したいんですよ。抽選会で、私たちの2列前に座っていたのが享栄(愛知)。対戦が決まると、彼らは立ち上がってバンザイをしました。一方私たちはシュンとなってね……」

 なにしろ享栄といえば、翌年中日入りし、デビュー戦でノーヒット・ノーランを達成する近藤真一がエースの優勝候補なのである。ところが、だ。その享栄を1対0で破り、2回戦では、前年の関東覇者でやはり優勝候補の拓大紅陵(千葉)を中盤で逆転し、準々決勝は京都西(現京都外大西)から延長14回、ボークで決勝点を奪う。

 プロが目をつけるような素材など、一人もいない。体だって見劣りする。富山の港町の高校に、たまたま集まった野球好きの地元少年たち。そんなチームが、ビッグネームを向こうに回して一歩も引かない戦いぶりに、地元・新湊(現射水)市は熱狂した。筋金入りの野球好きが多く、人口の4分の1以上、約1万2000もの人が甲子園に駆けつけたといわれる。

打撃投手の球が、自分より速い……

 準決勝では、高村祐(元近鉄など)がエースの宇都宮南(栃木)に敗れたが、このときのベスト4はいまでも、県勢の甲子園最高成績だ。エースは、酒井盛政。後年、当時の話をじっくり聞いたことがある。新湊を卒業後、伏木海陸運送株式会社に入社して26歳までプレーした。肩を痛めてからは同社の軟式に転じ、監督を務めた時期もある。

「あの年……1回は勝ちたかったですね。ただ、ほかのチームに関する予備知識はまったくなかった。抽選で享栄と当たることになってから雑誌などを見て“いやぁ、近藤はすげえピッチャーなんだな”と思った程度なんです」

 85年の秋、新湊は富山県のベスト4だった。北信越大会の出場枠は当時、各県から2校ずつだったが、この年は地元・富山の開催だったためにベスト4でも出場できた。そこでの決勝進出が評価され、富山勢としては16年ぶりのセンバツ出場をつかんでいる。1回戦、酒井は絶好調。檜物監督には「3回まではなんとかゼロに」といわれたが、それどころか享栄の強力打線を6回までノーヒットだ。しかも打っては、2回に自ら先制三塁打。結局、この虎の子の1点を守りきり、2安打完封を成し遂げる。

 もともとカーブには自信があった。落差の大きいものと、スライダーふうに横に曲がる2種類。放生津小学校時代、「手首が柔らかいから、きっといいカーブを投げられる」といわれて遊び半分で投げはじめ、奈古中時代にはおもしろいように変化した。高校に進んでからも、落ちるカーブがきちんとコントロールできれば、打たれた記憶がない。さらに、センバツ出場が決まってから、土の感触を求めて出かけた関西遠征で、テイクバックを小さくするフォームに改造。ボールの出どころが見えにくくなったうえ、フォローの腕の振りが速くなった。

「4回、2死三塁のピンチで、近藤を見逃し三振に取ったのは気持ちよかったですねぇ。勝負球は、内角まっすぐです。カーブが多いので、みんなそれを狙ってくるんですが、たまにまっすぐを交えるから手が出なかったんだと思います。それにしても、近藤は速かった。まっすぐが見えませんもの。ウチは12三振ですか……自分の三塁打だって、一、二の三! で振っただけです。自分では会心のつもりだったんですが、外野がずいぶん前に出ていたんですね。2死一塁の場面、セオリーとしては長打警戒で前進はしないでしょう。だけどあの近藤の球なら、外野が前に守るのもわかりますよ」

 雨中で行われたこの試合だが、新湊守備陣にとっては手慣れたものだった。雪の多かったこの年、グラウンドには60センチ程度の積雪があったが、センバツ出場が有力だったからそれをかき分け、ぬかるんだ土のうえで長靴をはき、ノックを行っていたのだ。水はけのいい甲子園の土なら、多少の雨は新湊にとってさほど影響はない。堅実な守りで、酒井をもり立てた。

 2回戦は、拓大紅陵。たまたま甲子園練習を目の前で見たとき、酒井は目を丸くした。

「バッティングピッチャーは、僕より速い。それを、コーンコーンと打つんです。キャッチャーは飯田(哲也・元ヤクルトなど)で、二塁送球がすごくて、これも僕より速いくらい。そことの対戦なんて……こりゃあ、無理やなと思いますよ。実際、いざ試合が始まってみると、6回の攻撃まで0対4でしたから」

 5回まで、わずか1安打。だが、ミラクルはここからだ。中学時代は陸上部だった九番・仲谷信二の左前打を足がかりに野選、2安打2四球と攻め立て、さらに酒井の二塁打で逆転するのだ。そして準々決勝が、京都西との白熱の投手戦。延長に入ってから、得点圏に走者を進められること3度。ボクシングなら判定負けの展開なのだが、大声援を背に酒井は、ダウン寸前から何度もピンチを断ち切った。そして新湊は14回表、重盗をしかけて相手ボークを誘い、決勝点をもぎ取っている。

 快進撃の土台には、豊富な練習量があった。ことに夏休み。朝6時から夜9時まで、弁当を3つ用意してグラウンドに張りついた。いったん帰宅し、その後11時まで檜物監督の自宅でシャドウ、ティー。翌日も、朝6時から練習である。これが3日続いたら辞めよう、とネを上げかけても、3日たったら体がそれに慣れてしまっていた。酒井たちの入学時は3年生が2人、2年生が6人と上級生が少なく、チャンスはすぐに与えられたが、それでも練習の厳しさに耐えかね、部員が次々と辞めていった。そこを乗り越えた、幼なじみに近い18人。だからこそ、結束は強かった。

 センバツ後の地元では、おらがヒーロー見たさに、練習試合でさえ500人を超す観客が詰めかけたという。新湊はこの年の夏も、優勝する天理(奈良)を相手に6点差の9回、4点を返して“あわやミラクル”と思わせている。

 

 

 

 



 

高校野球あれこれ 第156号

健大高崎、悲願の日本一へ 今度は甲子園で嬉し涙を流す

 

今年の健大高崎は主将の箱山(左端)をはじめ好選手が揃う。チームのまとまりもよく、初の全国制覇を果たすだけの力はある 

 2年連続7回目のセンバツ出場となる健大高崎。昨年は準優勝した報徳学園に初戦(2回戦)で敗れ、春夏を通じて初めて1勝もできずに甲子園を去ったが、今大会では優勝候補の一角という声も聞こえてくる。これまでの最高成績は2012年のベスト4。悲願である日本一を掴み取れるか。

泥臭く、気持ちを全面に出して戦う

 2023年7月下旬、夏の北海道遠征に向かうフェリーの中で、新主将に就いたばかりのキャッチャー箱山遥人の体に異変が起きていた。出発前から違和感を覚えていた腹部の痛みが我慢できないほど強くなり、太平洋沖で海上保安庁の船に救出され、岩手・石巻市の病院に緊急入院。診断結果は盲腸だった。

 遠征後に復帰を果たしたが、秋季県大会のシード権がかかった西毛リーグの初戦で東農大二に7-8で敗れ、ノーシードからセンバツを目指すことになった。

「足元を固める時期に、キャプテンである自分が離脱して、いい入りができなかったことがシードを逃した原因。負けてからは危機感がチーム全体に生まれて、『泥臭く、気持ちを前に出して戦おう』と言い合うようになりました。自分たちの代は『能力の高い選手が集まった』と言われていたんですけど、それだけでは勝てない。能力があるからこそ、ほかのチームよりも強い気持ちや気迫を全面に出していく」

 影響を受けたのが、4つ上の兄(直暖)がプレーしていた福島・聖光学院のチーム作りだ。兄から斎藤智也監督の話を聞いたり、本や記事を読んだりするなかで、勝てる集団に必要なことを感じ取った。

「勝って泣けるチームになろう」を合言葉に

四番でキャッチャー、そして主将を務める箱山は、仲間からの信頼も厚いチームの大黒柱だ。昨年のセンバツでも正捕手としてプレーした 

 チームとして手応えを掴んだのが、県大会2回戦の翌日に行われた青森山田との練習試合だったという。逆転に次ぐ逆転の激戦のなか、気持ちで一歩も引かずに立ち向かい、1点差ゲームをモノにした。

 この勢いのまま群馬大会を制すると、関東大会準々決勝では中央学院に逆転勝ち。勝利の瞬間には箱山、森山竜之輔ら、主力選手の目に嬉し涙が見えた。

「日頃から何事も本気でやってきて、『勝って泣けるチームになろう』とみんなで言い合ってきました。でも、それがどういうチームなのか、自分たちもわからないまま戦ってきたんですけど、中央学院に勝ったあとには自然に涙が出てきて。自分たちがやってきたことは間違っていなかったと実感できた試合でした」

 プレー面だけでなく、リーダーシップにも優れ、仲間からの信頼も厚い箱山。江戸川中央シニア時代からのチームメイトで、寮では同部屋でもある森山は、笑いを交えながら語る。

「普段は“構ってほしいタイプ”で、よくちょっかいを出してきます。たぶん、人とずっと喋っていたい性格なんだと思います。独り言も多い(笑)。それが、グラウンドに入ると一気にスイッチが入って、ミーティングでもいつも気持ちが入るようなことを言ってくれる。本当にすごいやつです」

ライバルであり仲間でもあるWエース

投手陣の柱は佐藤(右)、石垣(左)の新2年生コンビ。練習も食事も常に一緒だというWエースは、互いに刺激を受け、与えながら成長してきた。初の甲子園でどんなピッチングを見せるのか 

 扇の要に座る箱山がリードするのが、左腕・佐藤龍月、右腕・石垣元気の新2年生コンビだ。早くも2025年のドラフト候補に名が挙がる。

 佐藤は、中学時代(東京城南ボーイズ)にWBSC U-15ワールドカップ代表に選ばれた実績を持ち、いくつもの学校から誘いを受けたが、「2つ上の兄(志龍)と一緒に甲子園に出たい」という理由で健大高崎を選んだ。常時140キロ台前半のストレートと曲がり幅の大きいスライダーを武器に、昨秋の公式戦では33イニングで自責わずか3、防御率0.82の数字を残した。

 石垣は、北海道登別市出身。中学2年生の12月に久米島で行われた大会を、沖縄合宿中の健大高崎・青栁博文監督が視察に訪れた縁で声がかかった。最速148キロ(取材時)のストレートが武器で、センバツでの150キロ超えを視野に入れる。

 今年2月には、投手陣全体で鳥取のワールドウィングを訪れ、「初動負荷理論」で知られる小山裕史氏の指導のもと、1週間の合宿を行った。佐藤はカットボール、石垣はタテ割れのカーブに手応えを得て、投球の幅を広げている。

 2人はトレーニングもブルペンでの投げ込みも寮での食事も、いつも一緒。「ライバルであり、仲間」と語るが、互いの存在をどう見ているか。

「自分よりストレートが速いピッチャーと出会ったことがなかったので、すごくいい存在になっています。真っすぐの質や速さを見習いたい。逆に、変化球の精度や曲がりは自分のほうが勝っている自信はあります。野球になると顔つきが変わるんですけど、普段はノリがよくて話しやすいです」(佐藤)

「入学したときからピッチングの完成度が高くて驚きました。本当にこの前まで中学生だったのかな……って。スライダーがすごいので握りや投げ方を教わっているんですけど、まだ自分には投げられません。普段の龍月はふざけるキャラというか、真面目……ではないですね(笑)」(石垣)

 昨秋、今春と背番号1は佐藤が背負う。「エース」へのこだわりはどこまであるのか。

「誰にも取られたくない番号です。やっぱり、隣にいるんで。そこは絶対に負けたくないです」(佐藤)

「1番をつけてみたい気持ちはあります。でも、10番であっても、10番の役割があると思うので、そこに徹していきたい。1番が崩れたときに、自分が投げて抑えることができればいいと思っています」(石垣)

 佐藤「龍月」の名には、龍が月に上るように人生をのし上がってほしいという想いが込められているそう。2024年は辰年。「親に名付けてもらった名前をしっかりと売れるように、今まで以上にマウンドで躍動したい」と、初の甲子園を楽しみに待つ。

 8月16日生まれの石垣は、出産予定日から2週間ほど遅れての誕生だったという。「お腹の中にいるときから、『元気に生まれてきてほしい』という想いで付けられたみたいです」。その願いどおりに元気いっぱいに育ち、甲子園の舞台へ。「150キロと日本一」と2つの目標を立てている。

昨年敗れた初戦を突破して一つひとつ山を登っていく

青栁監督がキーマンのひとりと考える田中。強力打線のなかで二番打者を務め、守りではショートとして内野陣を支える 

 下級生の二本柱を盛り立てる野手陣は、四番・箱山のあとに、勝負強い森山が控える。昨春センバツは背番号17でベンチに入るも、ネクストサークルで敗戦を迎えた。

「昨年は打席に入っても自信がなくて、『打てなかったら、どうしよう』とばかり思っていました。でも、今年は誰よりもバットを振ってきた自信がある。チャンスで回ってくることが多いので、勝負強さを見せたいです」

 青栁監督は、「中軸に力のあるバッターがいる分、一番、二番の出塁がカギ」と、キーマンに斎藤銀乃助、田中陽翔の名を挙げる。田中は1年秋にレギュラーを掴んだが、大会後にもともと痛めていた右ヒザの半月板を手術し、2年春夏は公式戦に出場できなかった。

「自分の代で活躍したかったので、それまでにケガを治すことに専念しました。去年の秋は関東のベスト4まで行ったんですけど、準決勝では守備のミスが出て負けている。箱山だけに頼らずに、自分たちが箱山を支えられるようにチームを引っ張っていきたい。目標は日本一。でもそれは当たり前のことで、ずっと勝ち続けるチームでありたいと思っています」

 一人ひとりが着実に成長を遂げる姿を、青栁監督はこう称える。

「中学時代に実績を残した選手たちが、農大二戦の敗戦をきっかけに、泥臭くひたむきに、執念を持ってプレーしてくれるようになりました。センバツでは、昨年敗れた初戦を突破して、一つひとつ山を登っていきたい」

 悲願の日本一へ、準備は整った。今度は、甲子園で嬉し涙を流す。

高校野球あれこれ 第155号

神宮Vの星稜エース・佐宗が目指すのは全国制覇のみ 背番号1の偉大な先輩のように、「強さ」に磨きをかける

 

32年ぶりとなる神宮制覇の原動力となった星稜のエース、佐宗翼。センバツで目指すのはもちろん、悲願の全国制覇だ 

 星稜のエース・佐宗翼(2年)は、1年夏に甲子園のマウンドをすでに経験するなど名門のマウンドを守り続けてきた。今春はエースとして3度目の大舞台に臨む。昨秋は公式戦9試合に登板し、高い制球力でチームを明治神宮大会優勝まで押し上げた。甲子園でももちろん、悲願の全国優勝に向け最後まで腕を振り続ける。

甲子園では2度登板するも、まだ勝利はなし

 昨秋の明治神宮大会では32年ぶり優勝の立役者となったエースは、とにかくどんな状況でも表情を崩さない。昨秋もマウンドでも場面ごとに一喜一憂せず、黙々と腕を振り続けてきた。

 ストレートの最速は143キロ。キレのあるスライダーを武器に三振を奪える本格派左腕で、昨秋は公式戦9試合に登板し3試合を完投。50イニングで49個の三振をマークし、相手打線を寄せ付けない切れ味抜群の投球を見せた。

 勝てばセンバツ当確ランプが灯る北信越大会の準決勝では、北陸打線を相手に4回から7者連続を含む計10個の三振を奪い、1失点完投勝ち。ここ一番で本領を発揮してきた。

 “神宮大会王者”。センバツではこう注目を浴びることにもなるが、そのことに関して質問を向けると佐宗は慎重な面持ちでこう口にした。

「今でも自分は優勝した実感がないんです。結果としては最後まで勝ち切れても自分では思い残すところがたくさんあって、優勝した瞬間も素直に喜べませんでした。決勝は1失点で完投できましたが、(6回に)打たれたのは高めに抜けたスライダーでした。勝てたのは打って点を取ってくれた野手のお陰ですし、自分にとっては悔しさの残った決勝戦でした」

 星稜中3年の時に春、夏の全国優勝を経験した。星稜高校に入学後も、1年夏に甲子園のマウンドを経験。昨夏の甲子園も初戦で2回一死満塁のピンチからマウンドに上がった。

「(前年夏に比べて)ブラスバンドの応援があって観客の数も多くて、どこを見ても観客がいる中で投げるのは落ち着けなかったです。自分はピンチから(一死満塁)の登板で、四球でもヒットでも1点が入ってしまう。結局3点を取られてしまったんですけど、そういう甘さはなくしていかないといけないと思いました」

 愛工大名電に2-14で敗れた1年夏に続き、昨夏も甲子園では創成館を相手に、3-6と初戦で涙を飲んだ。帰郷後、佐宗の背番号は1番となり、最上級生の投手として責任を負う立場にもなった。

「自分が下級生だった時は、ピッチャーとしてマウンドに立った時に、(前エースだった)武内(涼太=現ロッテ)さんがマウンドを降りて外野やベンチに下がってもずっと声を掛けてくれました。自分もそういう声掛けや仲間を鼓舞できるようにしていくことを心掛けてきました」

奥川と武内の姿から求める「理想のピッチング」

 星稜の背番号1といえば、偉大な先輩がいる。19年の夏の甲子園で準優勝投手となった奥川恭伸(現ヤクルト)だ。奥川の姿は星稜中1年の夏に甲子園で5試合を現地で観戦した。当時の記憶は今でも鮮明に残っている。

「まず球場の盛り上がりや雰囲気に圧倒されましたし、ここで投げられるようになりたいと思いました。帰ってから奥川さんの試合の(録画した)映像を見返しましたが、球のキレがすごかったです。一番すごいのがコントロール。キャッチャーの構えたところにほぼ投げていて、球速も速いしスライダーの曲がり幅も大きい。自分はスライダーを武器にしているので、自分もあんなスライダーを投げられたらと思いました」
 
 ただ、佐宗は昨秋の公式戦を投げ抜いた中で、自信のストレートの威力の物足りなさを痛感したという。

「武内さんとは練習前によくキャッチボールをよくやっていたのですが、キャッチボールから武内さんは球の勢いがすごかった。(最速149キロ右腕の先輩を見て)自分もそんなストレートを投げたいと思ってきました。本当はストレートで押して、変化球でタイミングをずらせるようになりたいのですが、秋までの自分は変化球でずらせているだけでストレートが見せ球みたいになっているので、力のあるストレートをコースにしっかり投げ切れるようになることが一番の課題です。ストレートが強ければ他の変化球が良くなってくるので、そこはこだわっていきたいです」

 そんな中でも昨秋の佐宗のピッチングで光ったのはコントロールだ。昨秋の公式戦で記録した四死球はわずか9個と、抜群の安定感の源になっていた。

「新チームになってから、投手コーチの川口(貴信)さんとも四球をどれだけ減らせるか、1試合でなるべく出さないために3ボールになっても打たせに行くピッチングをしてきました」

 意識してきた部分で満足のいく数字があっても、手放しには喜ばない。今はとにかく出力を上げるための体力強化トレーニングなど、土台作りに余念がない。

 石川県では元旦に能登半島で大きな地震があった。その瞬間、金沢市内の自宅にいた佐宗は、自分の部屋の本棚の本や机の上のものが全て落ちるなどしたが、家には大きな被害はなかったという。だが、能登半島で大きな被害があったことに心を痛めた。

 この春は明治神宮大会優勝校としてだけでなく、被害の大きかった石川県の代表としても大きな注目を集めるだろう。その中心に立つエースは「注目に恥じないピッチングをしたいです」と決意を明かした。

 安定感にさらに磨きをかけ、今春はストレートでも押せるピッチングを―。

 名門のエース左腕は、悲願の日本一に向けさらにレベルアップした姿を3度目の大舞台で披露する。

 

 

 

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高校野球あれこれ 第154号

「超激戦ブロック」を勝ち抜けるか大阪桐蔭 4強最右翼は? 投手優位確実のセンバツを展望する!

 
 
大阪桐蔭は「投手王国」!しかし強豪揃い、過密日程の厳しい組み合わせに

 開幕目前の第96回センバツは、5年ぶりに大会前甲子園練習が復活し、選手たちは憧れの甲子園で汗を流した。組み合わせ抽選の結果、強豪集中ブロックがあり、優勝争いは予断を許さない。16カードを4つに分けて、展望してみたい。(文中の学年は4月からの新学年)

Aブロック 神宮王者の星稜中心も、力のあるチーム多数

 八戸学院光星(青森)-関東一(東京)

 田辺(和歌山)-星稜(石川)

 近江(滋賀)-熊本国府

 豊川(愛知)-阿南光(徳島)

 神宮王者の星稜が実力ではトップだが、力のあるライバルも多く、勝ち抜くのは容易ではない。開幕戦の光星と関東一は好カード。洗平比呂(3年)ら好左腕3人を擁する光星投手陣と、主砲・高橋徹(3年=主将)ら強打が看板の関東一打線が激突する。初陣の熊本国府は投打のバランスがいい。常連の近江を倒して勢いに乗りたい。今大会屈指の強打者・モイセエフ・ニキータ(3年)と阿南光の好投手・吉岡暖(3年)の力勝負も見ものだ。

Bブロック 健大高崎の2年生左右両輪に注目

 敦賀気比(福井)-明豊(大分)

 学法石川(福島)-健大高崎(群馬)

 創志学園(岡山)-別海(北海道)

 山梨学院-京都外大西

 甲子園優勝経験校と準優勝経験校の対戦が2カードあるが、最注目は、甲子園デビューする健大高崎の左腕・佐藤龍月と右腕・石垣元気の2年生逸材コンビ。両者とも球威十分だが、秋は制球に課題を残した。本番では大きく成長した姿を見せてくれるだろう。気比の左腕・竹下海斗(3年)は投打でチームを牽引する。東海大相模(神奈川)で甲子園4回優勝の門馬敬治監督(54)率いる創志学園は、攻守にスキのない好チーム。連覇を狙う山梨学院は、粘りの本領を発揮できるか。

Cブロック 経験値でリードする広陵は初戦がカギ

 耐久(和歌山)-中央学院(千葉)

 宇治山田商(三重)-東海大福岡

 広陵(広島)-高知

 京都国際-青森山田

 昨年は春夏とも優勝校に惜敗し、雪辱を期す広陵が経験値でリードする。エース・高尾響(3年)と只石貫太(3年=主将)のバッテリーはその悔しさをぶつけてくるはずだ。3年連続出場の高知との初戦がカギで、総合力ではこのブロックでワンツーの対戦。耐久は170年を超える歴史があり、待ちに待った甲子園でどんな初陣となるか。宇治山田商東海大福岡は、ともに終盤の粘りが身上。京都国際と青森山田投手力が際立ち、僅差の好勝負が期待できる。

Dブロック 難敵に過密日程で前途多難の大阪桐蔭

 神村学園(鹿児島)-作新学院(栃木)

 大阪桐蔭-北海(北海道)

 愛工大名電(愛知)-報徳学園(兵庫)

 日本航空石川常総学院(茨城)

 甲子園優勝経験5校に加え、航空石川を除く7校が甲子園のファイナルを経験している「超激戦」。またこのブロックは終盤になると日程が詰まってくるので、試練は最後まで続く。大阪桐蔭はエース・平嶋桂知(3年=タイトル写真)ら豪華投手陣を誇り、層の厚さで群を抜く。作新の小川哲平(3年)は恵まれた体から力強い球を投げ、昨夏4強経験者が並ぶ神村の強打に対抗する。報徳は昨春準優勝の原動力となった右腕二枚が健在で、失点が計算できる。航空石川は投打のバランスがよく、スタンドの後押しも味方につけるはずだ。

「新バット」「二段モーション解禁」で投手優位に

 2日間にわたって行われた甲子園練習では、ほぼ全チームを見た。印象としてはまず、「新基準低反発バット」はやはり打球が飛ばないということで、32校でサク越えをした選手はいなかったように思う。さらに投手の「二段モーション」が解禁されたことによって、打者はタイミングが取りづらくなるだろう。つまり投手優位の大会になることは確実と言えそうだ。センバツ100年甲子園100年の節目にふさわしい、好試合の連続に期待したい。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第153号

意外! 池田の"さわやかイレブン"、実は12人いた?/センバツ・旋風の記憶[1974年]

蔦文也監督

 いまから50年前の1974年、センバツ。バックネットに直接ぶつかる大暴投から、大会が始まっている。投げたのは、池田(徳島)のエース・山本智久。開会式直後の第1試合、投球練習の第1球を、意図的に大暴投したのだ。

 池田といえば71年夏、初めて甲子園に出場し、春はこの年が初めてだった。率いるのは、蔦文也。のちに"山びこ打線"と呼ばれる強力打線を育て、83年夏、84年春と連覇した名物監督だ。無類の酒好き、独特の風貌。だが、少々のことには動じそうもないその蔦さんも、教え子のこの行動にはさすがにビックリしたはずだ。

「僕ら田舎の子どもやき、大舞台ではどうせ緊張する。それなら、試合の前に出しちゃろう、と」

 当時のことを、当の本人・山本さんに聞いたことがあるのだが、「田舎の子」というわりには、やることが大胆だ。

 この大会の池田は、開幕試合を含めて接戦を次々と勝ち上がり、準優勝を飾ることになる。ベンチ入りメンバーは、わずか11人。決勝で対戦したのは地元・兵庫の報徳学園で、部員数は出場校中最多の59人、ピッチャーだけでも、池田の全部員と同じ11人いた。

 だが、山の子たちの一歩も引かない試合ぶりは共感を呼び、「ウチが地元なのに、球場全体が池田の味方のよう。やりにくいわなあ」(当時の報徳学園監督・福島敦彦氏)というほど、人気を独占する。そう、オールドファンには懐かしい「さわやかイレブン」だ。この年の夏、高校野球では金属バットが採用されるから、木のバットによる最後の甲子園大会だった。

 見る者にとっては、イレブンの快進撃はまるで想定外の展開だったが、

「そこそこ自信はあったですよ。秋の大会は22試合に投げて10完封ですし、いつも練習から実戦的なことをしていましたから」

 と山本さんは振り返る。イレブンは文字通り、故郷・池田町(現三好市)のヒーローになった。山本さんはじめ、大半が池田中か、近隣の出身者。○○さんちの●●君というご近所ばかりで、「出発するときは後援会長と、校長くらいしか見送りがいなかったのに、帰ったらもう大変だった」(山本さん)と、山あいの町は盆と正月が一緒に来たような騒ぎだった。

 ただ、山本さんは、なにがなんでも甲子園に、というわけじゃなかった。自分が通える普通科の高校がたまたま池田であり、「中学時代の最後の試合、体調が悪くて満足に試合に出られなかった悔しさで」高校でも野球を続けたにすぎない。その池田中時代、蔦監督も、高校の練習が試験休みのときなど、練習に顔を見せた。練習後は、飲み友だちである中学の監督とそのまま夜の街に消えるのだ。

 だから高校進学前から、蔦監督の顔はよく知っていた。ただ、いざ池田の野球部に入ると、練習のきつさに驚いた。小石だらけの吉野川の川原でノックに飛びつき、捕れないのが当たり前なのに罵声を浴びる。冬場には、帽子のひさしに雪が凍り付いても打撃練習をやめない。全員でグラウンドを走るなら、スパイクの音がきちっとそろうまでは何十周走っても終わらない。山本さんはいう。

「僕らが入ったころは、ブン(蔦監督)も50歳前のバリバリです。練習が厳しいから、新入部員は10人以上いたとしても、次々にやめていって残るのは4、5人。だから、2学年で11人なら多いほうじゃなかったかな。11人しかいないのに、3カ所バッティングをやるんですよ。バッテリーとバッターで9人で、2人しか残らない。ときには、ブンもバッティングピッチャーをやりました。元プロの投手ですから、どれだけ効率的できつかったか(笑)」

外野に迷い込んだ犬にノックの打球を……

 当時の報道を見ると、「大事な選手にケガでもされたら大変」とプロテクターをつけてノックを受けた、とあるが、山本さんの記憶によるとそんな配慮ではなく、至近距離からの個人ノックで、単に恐怖感を取り除くだけの工夫だった。その蔦監督のノック、いまも伝説になっているほどのうまさである。捕れるかどうか憎らしいほどギリギリに、計ったように打つ。名手すら苦手とするキャッチャーフライだって、思いのままに打ち分けた。ときには、外野に迷い込んだ犬を追い払うため、打球を直撃させたこともある。

 酒好きもナミじゃなかった。ビールは1ケースくらい平気だし、赤い顔をして練習に来ることもめずらしくない。練習試合で高知に行けば、終わったあと、「わしゃ飲んで帰るけん、先に帰っとれ」と選手だけを鉄道に乗せた。ピッチャー出身ながら、技術指導はなし。とにかく球数を放れ、疲れたときにこそ理想的なフォームになるから、それを体で覚えろ。大まかである。半面、山びこ打線には豪快なイメージがあるが、74年のセンバツでは、函館有斗(現函館大有斗・北海道)との初戦をホームスチールで勝っているように、野球は緻密だった。むろん打撃練習は大好きだが、バント練習も重視した。

「バットを振らず、当てるだけのバントができなければ、バットを振っても当たるわけがない、と。また、練習試合でサインを間違うと、いったん試合を止めてかんで含めるように話す。甲子園のホームスチールも、練習試合で何度か経験があるから、おそらくみんな”やるな“と思った作戦でしょう。あとは打順によってサインの意味が違ったりね。スクイズも、大好きだった。ずっと徳島で勝てず、甲子園に行けなかったから、いろいろと細かいことを考えていたんだと思いますね」

 3点を取ればなんとかなった木製バットの時代。山びこ以前の池田は、バントに足をからめ、アウトと交換に塁をひとつずつ進めていく泥臭い野球だったのだ。この74年の決勝では、報徳学園が3点を奪い、3対1で初優勝を果たしている。その報徳・福島さんから聞いた逸話。

「池田が甲子園に来たときに泊まっていた網引旅館は、以前報徳のOBがやっていた関係で、蔦さんとは面識があったんです。甲子園に来たら飲み友だちで、実は決勝の前日も、2人で1時ころまで飲んでいたんです。いまやったら、フライデーされるな」

 そして、山本さんからもとびっきりのエピソードを聞いた。

「実はあの74年、センバツ出場が決まってからも、一人やめているんですよ」

 センバツ出場が決まってから退部するなんて、ちょっと常識では考えられず、それだけ練習がきつかったということだろう。ん? ちょっと待てよ……つまり"さわやかイレブン"は、もしかしたら"トウェルブ"だったかも、ということか。いやあ、おもしろい。

 

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高校野球あれこれ 第152号

センバツ出場32校紹介】創立173年目、史上最遅出場の耐久が、エース冷水中心に堅実な野球で快進撃狙う

 

2024年の春の訪れを告げる第96回選抜高校野球大会センバツ)の出場校が決まった。3月18日から阪神甲子園球場で繰り広げられる戦いの「主役たち」を紹介していく。

 

耐久(和歌山)=初出場

 

 さかのぼること江戸時代の1852年(嘉永5)に創立された耐久が、センバツ初出場を手にして、1905年の創部以来、初の甲子園出場を決めた。学校創立から173年目での甲子園出場は史上最も遅い出場となった。昨年秋の和歌山大会初戦で箕島に圧勝して勢いに乗り初優勝を飾ると、近畿大会で2勝を挙げて4強に入った。

 

 耐久の昨年秋の近畿大会準決勝のスタメンは以下の通り。

 

(右)堀端 朔(2年)

(二)赤山 侑斗(2年)

(遊)澤 剣太郎(2年)

(中)岡川 翔建(2年)

(一)白井 颯悟(1年)

(捕)川合 晶翔(2年)

(左)原野 耕守(2年)

(投)冷水 孝輔(2年)

(三)岩﨑 悠太(2年)

 

 投手陣は最速142キロ右腕の冷水 孝輔投手(2年)が中心となって、チームの快進撃を支えた。近畿大会3試合すべて1人で投げ切り、防御率は1.38。敗れた準決勝の京都外大西(京都)戦では、1失点(自責0)完投負け。力投型の本格派が、センバツ初出場への原動力となった。

 

 昨年秋の近畿大会で打撃好調だったのは、1番の堀端 朔外野手(2年)、4番の岡川 翔建外野手(2年)の2人。ともに3試合すべてで安打を放ち、岡川はチーム最多の4打点をマークしている。チームとしては、3試合7盗塁9犠打と、細かい野球もしっかり実践できている。チーム打率こそ3試合で2割も満たなかったが、9得点を挙げた。

 

 甲子園初出場と、学校の歴史を大きく塗り替えたナインが、大舞台で思う存分暴れるつもりだ。

 

耐久の甲子園実績

センバツ出場 初出場

選手権出場 なし

 

耐久の昨年秋の成績

★和歌山大会

1回戦 12-3 箕島

2回戦 6-5 紀央館

3回戦 10-6 粉河

準々決勝 6-0 日高

準決勝 5-0 和歌山東

決勝 5-3 田辺

近畿大

1回戦 5-4 社(兵庫)

準々決勝 4-1 須磨翔風(兵庫)

準決勝 0-1 京都外大西(京都)

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第151号

センバツ出場32校紹介】関東一1番飛田&4番高橋の打力に注目!技巧派左腕・畠中も安定

 

2024年の春の訪れを告げる第96回選抜高校野球大会センバツ)の出場校が決まった。3月18日から阪神甲子園球場で繰り広げられる戦いの「主役たち」を紹介していく。

 

関東一(東京)=8年ぶり7度目

 

関東一は多彩な勝ち方で昨年秋の東京を制した。都大会初戦で14安打12得点と打線が爆発すると、2回戦では終盤に突き放しての快勝。3回戦で1点差の接戦を制すると、準々決勝では7回に一挙7得点で3点差を逆転。準決勝では先行逃げ切り、決勝では中盤で逆転勝ちするなど、どんな状況でも勝ちに結びつけてきた。明治神宮大会でも2勝して4強に進んだ安定した総合力は、このセンバツで上位に勝ち進む原動力になるとみている。

関東一の昨年秋の明治神宮大会準決勝のスタメンは以下の通り。

 

(中)飛田 優悟(2年)

(右)成井 聡(2年)

(左)坂本 慎太郎(1年)

(三)高橋 徹平(2年)

(捕)熊谷 俊乃介(2年)

(一)越後 駿祐(1年)

(遊)市川 歩(2年)

(二)小島 想生(2年)

(投)石田 暖瀬(1年)

 

東京都大会6試合ではチーム防御率1.44を誇った。技巧派左腕の畠中 鉄心投手(2年)と、145キロ右腕の坂井 遼投手(2年)の2人が投手陣を支える。畠中は明治神宮大会での大阪桐蔭(大阪)戦で先発4回をわずか2安打無失点に抑える好投を見せた。センバツでもクレバーな投球を見せてくれるはずだ。

 

打線では、1番の飛田 優悟外野手(2年)と4番の高橋 徹平内野手(2年)が軸。飛田はミート力に優れ、明治神宮大会では3試合すべて第1打席で安打を放ち、トップバッターとしての役割を果たした。高橋は高校通算44発の長打力が売りで、低反発バットになるセンバツでも、そのパワーを見せつけるつもりだ。

 

過去、甲子園では1987年センバツの準優勝が最高成績。全国の頂点を目指し、今センバツでもその実力を存分に発揮する。

 

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第150号

センバツ出場32校紹介】櫻田が東北大会決勝でノーヒットノーラン、安定した投手力を誇る青森山田センバツ初勝利に挑む

 

2024年の春の訪れを告げる第96回選抜高校野球大会センバツ)の出場校が決まった。3月18日から阪神甲子園球場で繰り広げられる戦いの「主役たち」を紹介していく。

 

青森山田(青森)=8年ぶり3度目

 

 青森山田投手力を武器に昨年秋の東北大会を8年ぶりに制した。櫻田 朔投手(2年)が東北大会決勝の八戸学院光星(青森)相手にノーヒットノーランを達成したことに象徴されている。青森大会では2.08、東北大会では1.12のチーム防御率を誇った。明治神宮大会でも優勝した星稜に1点差で敗れるなど、安定した投手力を武器に、今センバツでも上位進出を狙っている。

 

 青森山田の昨年秋の明治神宮大会準々決勝(初戦)のスタメンは以下の通り。

 

(右)佐藤 洸史郎(1年)

(左)駒井 利朱夢(2年)

(中)對馬 陸翔(2年)

(一)原田 純希(2年)

(遊)蝦名 翔人(1年)

(二)伊藤 英司(1年)

(捕)橋場 公祐(2年)

(三)菊池 伊眞(1年)

(投)関 浩一郎(2年)

 

 投手はエースナンバーを背負う関 浩一郎投手(2年)と櫻田の2人の右腕が軸。関は185センチからの大きなカーブが特徴で1試合2ケタ三振を奪う力がある。櫻田は145キロ右腕で制球力が安定していて、変化球のコントロールも長けている。どちらが先発してもしっかり試合が作れる。

 

 打線では1番に座る佐藤 洸史郎外野手(1年)が昨年秋に結果を残した。青森大会、東北大会の計9試合、すべてで安打をマーク。6試合がマルチ安打で、青森大会は.500、東北大会では.412の高打率を残し、打線を引っ張った。また4番の原田 純希内野手(2年)も打率3割を超え、勝利に貢献している。

 

 甲子園では夏は8強に進出した経験があるが、センバツでは過去2度とも初戦敗退を喫している。センバツ初勝利を目指し、勢いに乗りたいところだ。

 

青森山田の甲子園実績

センバツ出場3度目=0勝2敗

夏選手権出場11度=12勝11敗(8強)

(※カッコ内は過去最高成績、20年センバツは大会中止)

 

青森山田の昨年秋の成績

★青森大会

2回戦 14-2 八戸工

3回戦 8-1 弘前

準々決勝 8-3 八戸工大一

準決勝 3-1 弘前学院聖愛

決勝 7-4 八戸学院光星

★東北大会

2回戦 9-8 羽黒(山形)

準々決勝 5-1 鶴岡東(山形)

準決勝 4-0 一関学院(岩手)

決勝 3-0 八戸学院光星(青森)

明治神宮大会

準々決勝 2-3 星稜(石川)

 

高校野球あれこれ 第149号

センバツ出場32校紹介】昨年準V報徳学園が、強力投手陣を武器に22年ぶりの全国制覇狙う

 

2024年の春の訪れを告げる第96回選抜高校野球大会センバツ)の出場校が決まった。3月18日から阪神甲子園球場で繰り広げられる戦いの「主役たち」を紹介していく。

 

報徳学園(兵庫)=2年連続23度目

 

名門の復活だ。昨年センバツで準優勝した報徳学園が、今センバツも切符をつかみ、昨年の借りを返す機会が巡ってきた。強力右腕2人を擁し、今年こそは頂点を奪うつもりだ。昨年秋の兵庫大会8試合での失点はわずか4。予選を含め県大会2回戦までは4試合連続完封勝ちを収め、県優勝まですべての試合で2点以下に抑えた。近畿大会準々決勝で大阪桐蔭(大阪)に1点差で敗れ8強止まりだったが、投手力の高さが認められ選出された。今春にすべてのリベンジに燃える。

 

報徳学園の昨年秋の近畿大会準々決勝のスタメンは以下の通り。

 

(遊)橋本 友樹(1年)

(右)安井 康起(2年)

(三)西村 大和(2年)

(一)齋藤 佑征(2年)

(二)山岡 純平(1年)

(左)辻本 侑弥(2年)

(中)福留 希空(2年)

(捕)徳田 拓朗(2年)

(投)今朝丸 裕喜(2年)

 

報徳学園の代名詞といっていい2枚看板を背負うのは、主将でもある間木 歩投手(2年)と今朝丸 裕喜投手(2年)。間木は、小さいテークバックからの直球が144キロを誇り、変化球も6種類を器用に操ることができる。昨年秋の近畿大会では初戦の奈良大附(奈良)相手に13奪三振4安打完封劇を見せている。今朝丸は最速150キロ右腕。185センチの上背も魅力で、将来性豊かな本格派だ。2人とも昨年センバツのマウンドを経験し準優勝に貢献している。

 

打線では昨年秋の近畿大会で好調だった辻本 侑弥外野手(2年)、齋藤 佑征内野手(2年)をはじめ、この冬を越えてスケールアップした姿をセンバツで見せる。

 

甲子園では春夏ともに優勝の実績がある。センバツでは優勝2回を誇り、ここ2大会連続でも4強以上の成績を残した。2002年以来、22年ぶり3回目の優勝へ、全力で突き進む。

 

 

 

 

高校野球あれこれ 第148号

センバツ出場32校紹介】経験豊かな髙尾ー只石バッテリー擁する広陵が03年以来の優勝を狙う

 

2024年の春の訪れを告げる第96回選抜高校野球大会センバツ)の出場校が決まった。3月18日から阪神甲子園球場で繰り広げられる戦いの「主役たち」を紹介していく。

 

広陵(広島)=3年連続27度目

 

 過去、センバツでは優勝3回を誇る名門。昨年秋、広島を制すると、中国大会では史上初の3連覇を達成。22年秋から広島、中国大会で負けなしの強さを継続している。優勝を狙って臨んだ明治神宮大会は優勝した星稜(石川)に初戦で逆転負けを喫したが1点差の惜敗だった。投打にしっかりとした軸があり、今センバツでも優勝候補に挙げられる。

 

 広陵の昨年秋の明治神宮大会1回戦のスタメンは以下の通り。

 

(中)濱本 遥大(2年)

(右)田村 夏芽(2年)

(一)土居 湊大(2年)

(捕)只石 貫太(2年)

(左)澤田 哉斗(2年)

(三)酒井 綾希人(2年)

(遊)白髪 零士(1年)

(二)池田 颯大(1年)

(投)髙尾 響(2年)

 

 投手力では絶対的エース髙尾 響投手(2年)の存在が光る。1年春からマウンドに上がってきた経験と、147キロの直球に、スライダー、スプリットを低めに集める投球は大会No.1投手と言ってもいい。バッテリーを組む只石 貫太捕手(2年)とは1年の時からコンビを組んでいる。経験と打者との駆け引きには絶対の自信がある。成長著しい1年生の堀田 昂佑投手の成長ぶりにも注目だ。

 

 打撃では4番に只石が座り、長打力がある3番・土居 湊大内野手(2年)に、出塁率が高く俊足の持ち主、田村 夏芽外野手(2年)が2番に座る。この3人が広陵の得点源になっている。

 

 昨年のセンバツでは4強の成績を残した。狙うは、巨人で活躍した西村 健太朗投手を擁した2003年以来の優勝。経験豊富な髙尾ー只石の強力バッテリーで白星街道を突き進む。

 

広陵の甲子園実績>

センバツ出場27度目=42勝23敗(優勝)

夏選手権出場24度=35勝24敗(準優勝)

(※カッコ内は過去最高成績、20年センバツは大会中止)

 

広陵の昨年秋の成績>

★広島大会

1回戦 11-1 広島工

2回戦 7-6 呉港

準々決勝 7-1 海田

準決勝 5-3 尾道

決勝 4-3 広島新庄

★中国大会

1回戦 6-3 岡山学芸館(岡山)

準々決勝 4-0 下関国際(山口)

準決勝 8-4 宇部鴻城(山口)

決勝 2-1 創志学園(岡山)

明治神宮大会

1回戦 6-7 星稜(石川)