ポテリス(前)
子供たちがまだ小さい頃、夫の都合でごく短期間アメリカ中西部のイリノイ州に滞在したことがある。シカゴから車で4時間ほど南下したアーバナ・シャンペーンというのどかな町だった。
オーチャードダウン(果樹園)という地区にあるアパート群に部屋を借りたが、その名が表す通り、周囲を林に囲まれ芝草の絨毯が広がる緑豊かな土地だった。
着いた時は早春で、むきだしの木々のあちこちにカラスの巣のようなものがひっかかっていた。「あれは何ですか?」と現地の人に聞くと「リスの巣ですよ」という答えが返ってきてびっくりした。リスがカラスなみにいる場所に私たちは来たのだと。
暖かくなると木々のまわりでリスたちの遊ぶ姿が見られた。ガサガサと音を立てて木の幹を上ったり下りたりもしたが、とりわけ下って来る時のリスの格好には驚いた。頭を下にして真っ逆さまにスルスルと下りて来るのだ。
夏になり、ひどく蒸してくると、あちこちのベンチやコンクリートの上で、両手両足をベッタリ広げて平行四辺形になり、頭だけを持ち上げて涼んでいる姿をよく見かけた。まるで「リスのひらき」だった。
私たちは彼らのかわいさに夢中になり、飽かず眺めていたが、見ているだけでは物足りなくなり、やがて彼らにエサをやり始めた。リスたちはすぐに覚えて戸口に集まってくるようになった。すると、近くの町に住んでいる日本人の友人から「リスにエサをやっちゃいけない」と忠告された。リスのことをよく知らないアパートの住人がリスを餌付けして、ある日網戸の破れ目などから侵入され、家中を荒らされる事件がよくあるのだそうだ。
私たちは残念に思った。エサやりを止めようと考えたが、どうにも諦めきれず、苦肉の策を考え出した。私は子供達に「じゃ、一匹だけにしよう」と提案した。子供達はすぐに賛成し、私たちは群れの中から一匹を選ぶことにした。
リスがたくさん群れる中で私たちが選んだのは美しい、小柄なリスだった。多分まだ若いメスだろうと思われた。周囲にはふてぶてしいほど図体が大きく態度も大きいリスがいる中、そのリスは仕草がどことなく繊細だったから。
私たちはそのリスをポテと名付けた。ポテトチップスをよく食べたから。というか、私たちが与えたのだったが。
以後私たちはポテだけにエサを与え、他のリスが寄ってくると追い払った。ちょっと気の毒だったが、家の中を荒らされてはたまらない。
ポテはだんだんと私たちに慣れ、私たちの手から直接ポテトチップスを取って食べるようになった。だが、もちろん、私たちに触れさせるようなことはなかった。そこはさすがに野生だった。
ポテがずいぶん私たちに慣れたころ、私はいたずらを考え出した。手に持ったポテトチップスを毎日少しずつ小さくしていったのだ。ポテトチップスが小さくなる分、ポテは私たちの指に顔を近づけなければならない。エサは欲しいが人間は怖い。ピクピクとポテの緊張が伝わってきた。
とうとうある日、私はほんの小指の爪ほどのポテトチップスをポテに差し出した。受け取るためにはポテはどうしても私の指先に触れなければならない。
「さて、どうするかな? 諦めるかな?」
ポテは私との間にすぐ逃げられる距離を保ちながら、ポテトチップスの欠片に精一杯首を伸ばしてきた。もし人間が自分の数百倍もの巨軀を持つ未知の動物に限界まで近づかなければならないとしたらどれほどの勇気が要ることだろう。
緊張に全身を震わせながら、とうとうポテはポテトチップスの欠片を私の指先から取って逃げた。その瞬間、私は自分の人差し指にひんやりとリスの鼻先を感じた。その冷たさを全く予想していなかった私は衝撃を受け、たった今自分に起こったことは日常決して味わえない希有な出来事だと気づいた。慣らされていない野生が私に触れていったのだ。
芝草の上ではポテがぎりぎりまで高まった興奮を静めようと、ピョンピョン、ジャンプをくり返している。
あるいは、私に触れた瞬間、ポテの小さな脳の中でも、私と同様、何かが起こったのかもしれない。
リスにとって人間は見た目も暮らしもかけ離れ、通常は無害だが決して油断できない異質な存在だ。だが、私の指に触れたポテはその感触やあまり良いとは言えない匂いなどを通して、意外にも人間にはどこかリスの自分と共通する要素があり、おぼろげではあるが、共感の可能性を感じ取ったのではないだろうか。
そんなことを想像してみるのは実に楽しかった。
後半に続く…
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