スポンサーリンク

瞑想で、ゆったりした心地よい感覚を味わう

東の窓から降りそそぐ、朝の太陽の光を浴びながら、頭をからっぽにする時間が大好きです。

目を閉じて、瞼を通して入ってくる優しいパステルオレンジの光が、なんとも言えず心地よく、ゆったりとした気分を味わえます。

私は、頭をからっぽにしたあと、慈悲の瞑想をするようにしています。

こころが幸せに満ちていくのを感じるからです。

自分ではない誰かの幸せを願うことで、脳内では「βエンドルフィン」などの 多幸感をもたらしてくれる物質が分泌します。

その脳内物質のおかげで、幸せや 安らぎを感じられ、気持ちが安定します。

自分の幸せだけでなく、自分の「親しい人」の幸せ、「生きとし生けるもの」の幸せ、そして、自分の「嫌いな人の幸せ」を順に願っていくことで、感覚に変化が訪れます。

今まで、苦手だと思っていた人や 波長が合わないなと感じていた人の幸せを 願った瞬間に、なぜか安心するのです。

すべてを許して すべてを包み込むような 温かい気持ちが 体中を満たしていくからです。

自分と 他人との 区別がなくなり、地球に存在する生きとし生けるものすべてが愛おしくなるような感覚です。

普段、私たちは「自分」「自分から見た外の世界」を区別して捉えます。

つまり、「自分」「他人」というふうに分けて考えています。

そのときに、どうしても「判断」が入ってしまい、自分の価値観に合わないものに対して、不快な気持ちになることがあります。

しかし、それは区別をしているからです。

いつもは、「意識の所在地」「自分の中」に置いて、外に向けていることで、どうしても区別は起こります。

ときどき、この区別を取っ払って ものごとを見てみると、いつもとは違う感覚が得られます。

自分の中心に置いて外に向けていた「意識の所在地」を、もっと 空の高いところに置いてみます。

そして、そこから 地球全体に 意識の矛先を向けてみるのです。

すると、空から見たら 「国境なんて存在しない」のと同じように、「自分」と「何か」という区別はなくなって、生きとし生けるものすべてを 俯瞰して見ることができます。

よく、「相手の立場になって考える」と言いますが、これは意識の所在地を「相手の中」に置いて考えています。

それが、思いやりです。

反対に、自分にばかり意識を置いていると、自己中心的な、一人よがりの狭い視野になりがちです。

心が疲れている時は、「意識」が自分に偏りすぎて、自分中心にものごとを考えすぎてしまっているのかもしれません。

周囲のモノゴトを、自分中心に見てしまっている、つまり、“ わたしとの関係だけ ” で判断してしまっている状態です。

周囲のモノゴトは、“ わたし ”のために存在しているのではありません。

たまには、意識を自分から切り離して、「自分」と「他の何か」 に境界線を引かずに、大きな視野でとらえることで、心のバランスがとれていきます。

そのあとに、「意識の所在地」を また自分に戻してみると、目の前のことをしっかりと 冷静に見られるようになります。

これらを気づかせてくれたのが、「慈悲の瞑想」という動画でした。

ボイスヨガを提唱されている八田幸子さんの素敵な声のナレーションの誘導で、マインドフルネスの体験ができます。

八田さんの声は、透き通るような澄んだ声ですので、この声に耳を傾けているだけでも心が洗われる感じがします。

最初は、呼吸を整えることから始まります。

4秒で 鼻から吸って → 7秒 息を止めて → 8秒で 口から 長くゆっくり吐く

そのあとに、慈悲の「言葉」を唱えていきます。

本当に「言葉」って不思議です。

慈悲の言葉を唱えていると、だんだんと心地いい感覚に包まれます。

まるで天国のような、暖かくてやわらかな光に包まれている空間で、みんなの幸せを願っているという不思議な感覚になっていきます。

朝に行うと 清々しい気持ちで1日を始められます。