【ルーツを辿る】会津藩士・斗南藩士 <その4>
こんにちは、はなです。
さてさて、今回は戸籍調査に進展がありましたので、そのご報告です!
前回までに分かった事は、
1.祖父の昭和40年初頭の本籍地
東京都芝区三田松坂町
2.祖父の出生地
福島県若松市(現在の会津若松市)にて、明治41年(1907年)出生
3.曾祖父母の氏名
曾祖父:「信彦」、曾祖母「カウ」
でした。
ただ、港区から取得した祖父の除籍謄本に東京都に転籍する前の
本籍地の記載が無かったので、祖父の出生した地名(番地まで記載あり)で、
祖父と曾祖父の除籍謄本、原戸籍謄本の取得を試みました。
その結果は、、、
曾祖父(信彦)の戸籍遍歴が判明しました!!
(昔へ遡っていきますね♪)
4. 明治25年(1892年)、福島県北会津郡若松町北小路町
転々とはしていますが、調べてみると、すべての住所が現在の
「会津若松市」に該当するようです。
ていうか、同じ住所に居たり戻ったりしたみたいな^^;
それと、もう一つ判明した事、
高祖父の氏名です!!
それは、
「赤羽 源之允」である事が分かりました!!
たぶん読み方は「げんのじょう」かと思われますが、
実際のところは良く分かりません^^;
家系図のようなもので記すと、下記のような感じでしょうか。
源之允ー信彦ー良知ー昭彦ー私
いやはや、何とか4代先までは判明しましたが、
これから先が更に難航しそうな予感です。。。
実は曾祖父「信彦」は、高祖父「源之允」明治15年(1882年)
に養子として迎えられていて、家督を相続しているようで、
明治25年(1892年)当時の戸籍を見ると、
高祖父「源之允」は亡くなっている事になっています。
もしかしたら高祖父が亡くなる際に、曾祖父が養子として入ったのかもしれません。
いずれにしても、高祖父「源之允」の戸籍は不明のままです。
(曾祖父「信彦」の前戸主という事しか分からないのです。)
ですが、折角ここまで辿り着いたので、もう少しのような気もします!
また会津若松市役所に相談しようかなって思ってます(^^♪
また情報やコメント、ご意見などございましたら、
お気軽にご連絡下さい!!
ではでは、また次回お会いしましょう!!
はなでした^^
⇓⇓もし良かったら、ポチッとお願いします(^^♪
【ルーツを辿る】会津藩士・斗南藩士 <その3>
こんばんは、はなです。
今回は、戸籍調査に進展がありましたので、そのご報告をして参りたいと思います。
祖父は、昭和40年初頭、東京都芝区三田松坂町
(今で言うと港区三田五丁目辺り)に住んでいたと前回ご報告させて頂きました。
東京都港区役所に父の除籍謄本を取得し、それが判明致したのですが、
そこで分かった事は、下記になります。
1.祖父の昭和40年初頭の本籍地
東京都芝区三田松坂町
(父と同居していた住所と同一)
2.祖父の出生地
3.曾祖父母の氏名
曾祖父:「信彦」、曾祖母「カウ」
やはり聞き伝えではありましたが、
祖父は会津若松出身である事が分かりました!
それと大きな収穫として、
曾祖父の氏名が分かった事。
これは何よりの収穫です。
ここからは曾祖父の戸籍を遡っていけば良いのですからね!
ただですね、ひとつ調査をする上で、
問題がある事が分かったのです。。。
情報を整理すると、
(曾祖父が当時の若松市役所に出生届を出している)
・祖父は昭和40年初頭に、
東京都芝区三田松坂町に本籍地を構えている
ここからが問題で、
なぜか、港区から取得した除籍謄本に
東京都芝区三田松坂町に転籍する前の
本籍地の記載が無い!!
通常は、転籍する前の本籍地(従前本籍地)の記載があるもの(らしい)なのですが、
それがなぜか無いのです。。。
ガーン😨(ショボン。。。)
これは困ったぞ、と思ったのですが、はなは諦めません!!
会津若松市役所の市民課に電話で問合せをしてみました。
その方曰く、
「従前の本籍地が無いと調査できない
(番地まで分かるもの)」
との事でしたが、祖父の出生地には番地までの記載があったので、
それで調査可能か聞いてみました。
すると
「その出生地での番地が本籍地かどうかは、調べてみないと
分からないが、依頼を受ければ調べてみます!」
との回答を得られました。
ダメもとで良ければ調べてみるよってことですね!
という事で、
曾祖父「信彦」、
若しくは、祖父「良知」の戸籍調査依頼をする段取りとなりました!!
これは遠方なので、郵送依頼ですけどね。
この結果は、また次回ご報告させて頂きたいと思っております。
どこまで辿れるか分かりませんが、少しずつでも分かってくると嬉しいものです。
また情報やコメント、ご意見などございましたら、
お気軽にご連絡下さい!
ではでは、また次回お会いしましょう!!
⇓⇓もし良かったら、ポチッとお願いします(^^♪
【ルーツを辿る】会津藩士・斗南藩士 <その2>
こんにちは、はなです。
さてさて今日は、
の調査結果を綴っていきたいと思います。
この文献は、国立国会図書館に所蔵されているのですが、デジタルコレクションとして、ネットでも確認する事ができます。
便利な時代になりましたね〜
西暦で言うと1858年にあたります。
ちなみに、URLはこちらになります⇓⇓
会津藩士人名辞典 : 役名禄高住所明細. 安政5年調 - 国立国会図書館デジタルコレクション
本当は、国立国会図書館に出向きたかったのですが、こんなコロナ禍の状況ですし、
ネットで調べることができるのなら・・・
ということで、調査開始です!
で、ですがね、初めスマートフォンで閲覧してみたのですが、全然文字や画像が小さくで読めないww
こりゃダメだということで、パソコンにて再トライです。
パソコンだと良く確認できない箇所のズームアップもスムーズで、良い感じです♪
これには、その当時の会津藩士の氏名、禄高、住所が絵地図のような感じで記されています。全55ページ(コマ)です。
その中で今回は、赤羽家に特化して調べてみました。
すると、そこに記されていた人名は下記14名でした。
(石高や役職の記載の無い方が多いですが...)
赤羽五三郎 250石
赤羽庄三郎 350石
赤羽勝之進 300石 物頭
赤羽源兵衛 200石
(別ソースから、弟 赤羽酉五郎、次男 赤羽源六)
赤羽大助
赤羽豊四郎
赤羽藤助
赤羽郷右エ門
赤羽登
赤羽勝次郎
赤羽庄左エ門
赤羽勘兵衛
赤羽源吾
赤羽秀之助
さあこの方々に私の祖先が繋がっているのかどうか...
全く不透明ですが、他の文献調査と祖父の戸籍調査とを合わせながら、手掛かりを探っていきたいと思います!
次は、葛西富夫 著『斗南藩士』の調査進捗かな??
また情報やコメント、ご意見などございましたら、お気軽にご連絡下さい!
ではでは、また次回お会いしましょう!!
⇓⇓もし良かったら、ポチッとお願いします(^^♪
【ルーツを辿る】会津藩士・斗南藩士 <その1>
明けましておめでとうございます!
はなです。
さてさて、今日は祖父の戸籍調査についての経過ご報告をして参ります。
と言ってもそんなに進展はないのですが(笑)
前回お話しした通り、祖父の出生地は、会津若松というのは聞いていたのですが、正確な住所も分からないので、まずは父の戸籍調査から始めました。
父の現在の本籍地は埼玉県桶川市。
昭和40年前半に埼玉県上尾市に住居を構えているので、まずは桶川市役所から戸籍謄本を入手。
そこには予想通り、上尾市から転籍と記載されていたので、次に上尾市役所に除籍謄本と改正原戸籍謄本を取得しました。
上尾市は現在の本籍地ではないので、戸籍謄本ではないんですね〜
これもまた、勉強、勉強(笑)
そしてその結果は、父は昭和40年前半に祖父の戸籍を抜けたと判明しました。
その場所は、東京都芝区三田松坂町、
今で言うと港区三田五丁目にあたるらしいです。
そこで父は、祖父母、父の兄弟と同居していたようでした。
ようやく祖父の直近の住所が判明しました♪♪
次からは祖父の戸籍取得です!!
ですが、大きな壁が立ちはだかりそうな・・・
次回にその進展をご報告していきたいと思います。
それと並行して、下記資料の調査も開始しております。
こちらも随時、進捗を綴って参りたいと思います。
会津藩士人名辞典 : 役名禄高住所明細. 安政5年調 - 国立国会図書館デジタルコレクション
こちらは、「国立国会図書館デジタルコレクション」
としてネットで閲覧できます!!
『斗南藩士』 葛西富夫 著
こちらは残念ながら、ネット閲覧できず・・・
また情報やコメント、ご意見などございましたら、お気軽にご連絡下さい!
ではでは、また次回お会いしましょう!!
⇓⇓もし良かったら、ポチッとお願いします(^^♪
【ルーツを辿る】会津藩士・斗南藩士 <プロローグ>
はじめまして。
「赤羽(アカバネ)はな」と申します。
「はな」と言いましても、メスの飼い猫ちゃんの名前を拝借しておりまして。。。
50代の初老の男性です^^;
それはさておき、自身のルーツを知りたい!! という願望(欲求?)が以前からありまして…みなさんにもありませんか??
私は長年の夢?だったものを、少しづつですが実行に移し始めている段階です。
スーパー初心者なので、一つ一つ調べ調べ、一歩一歩進めていき、その進捗を綴っていきたいと思っております。
それでは本題に、
戸籍調査開始!!(祖父を辿ってみる)
私の祖父は、漆工芸家の「赤羽良知」と言う者なのですが、キリスト教のカトリック系の作品を多く作っておりました。
会津若松出身だとは聞いていたのですが、実ははっきりしたところは分からないのです。
そこで戸籍を辿っていく事にしましたが、これが道のりが長そうで…
次回は戸籍調査の途中経過をご報告したいと思います。
それと並行して、幕末・明治期の会津藩士、斗南藩士の名簿関係を歴史資料から調査していますので、随時綴っていきたいと思います。会津藩士、斗南藩士の可能性も探っていきたいと思っております。
赤羽家中心となりそうですが、ご了承くださませ…
また情報やコメント、ご意見などございましたら、お気軽にご連絡下さい!
ではまた、次回お会いしましょう♪
⇓⇓もし良かったら、ポチッとお願いします(^^♪