君と手紙と。

2021/04/04

ゲイの生活。

t f B! P L

 皆さんこんばんは。



手紙を書く。

手書きは億劫ではあるけど、次に繋がるようにする。

趣きを感じるような言葉を添えて、相手方の家族全員の幸せを願う。


思えば、季節の節目には年賀状や寒中見舞い、暑中見舞いに残暑見舞いを書いたり、

時期になればお歳暮を送ったり、お礼状などを用意したりと、一年を通してやる事だらけ。


貰うばかりで礼節を欠いてばかりだった両親の代わりに、

この15年ものあいだ、相方と2人で親戚とのコミュニケーションをしてきた。


親しき仲にも礼儀ありという言葉があるように、「ありがとう」という気持ちを込めて

人として最低限の礼を親戚にたいして尽くしてきたが、これがいけなかったと気づいた。


田舎のような濃密な付き合いでなければ、都会の親戚づきあいなんてものは

基本的には「冠婚葬祭」オンリーの、干渉しないつかず離れずの薄い関係が普通だ。



相手側からしたら、両親は利益にならないことは何もしないのは百も承知なのに、

手紙などを送っていると、介護とは無縁のお達者な老後を満喫していると勘違いされる。



ある意味、自由そのものの両親だけど、他の人の介助がなければ自宅では過ごせない。

季節ごとの便りがあることで、こちらの介護の現実を軽視されてしまう事が多くなった。



それならばと、今年の年賀状に両親の状況を詳しくお知らせしたうえで、

今後は相方自身も年令が年令なので、代筆や代行は終わりにさせていただくと宣言した。

そして御礼に気を遣うからと、相手からの手紙なども全てお断りさせていただくことに。



やっと肩の荷がおりた。これでよけいな神経を使ったりすることも、

お歳暮やお祝い金にびた一文出さない親の代わりにお金を出し続けることも無くなる。



うおー!やったぜーと相方と喜んだ。

毎年、両親の年賀状だけでも200枚は書いていたから嬉しい。



これからは、少しは年末はゆっくりできそうだ、、、、、



介護をするようになってから仕事とプライベートの境界線は消えてしまった。

コロナ感染症が蔓延している今になって、家族の意味を考える時間が増えたように思う。



歳を重ねると大事に抱えてきたものや、見てきた風景を手放す瞬間がやってくる。

そして生きやすくするためには何を脱ぎ捨てていけばいいのか、それを再確認していく。



手にして初めて分かるモノ、

失って初めてわかるモノ、



歳を経るごとに見える景色は限られてくる。

心の襞を這う思い出にぼんやりと燈が照らされれば、それが正しいことだったのか悩む。


けれど、何が本質なのかを知れば、相方との当たり前の日々が幸せなんだと気づくんだ。



そういえば、相方との出会いも「手紙」だった。

90年代半ばにPHSやADSLが登場したけど、まだまだネット社会には遠かった。

ホームページもドット絵のカクカクしたやつで、とにかく今のようなお手軽さはなくて。



今の世の中は出会い系アプリとかあるが、昔はそうじゃなかった。

普通の男女の出会いはどうなのかは分からないけど、ゲイの出会いは狭き門でした。


相方に出会う前、僕は東京に出てきてからひとりの男性と同棲していた。


二丁目に行って出会う?

クラブイベントに参加する?

僕はそのどちらもなくて、ゲイ雑誌の文通で知り合った。


おい、君はいつの時代からタイムスリップしてきたんだ?くらいに疑問だろうが、

当時の僕は、自分でもどうしていいか分からず本当に男との出会い方を知らなかった。



だから、上京してから今まで付き合ったのは今の相方以外で5人だけ。

そのうちの1人が同じ感染者の元相方、もう1人が僕を感染させた人という内訳。

昔は心情的にキチンと書けなかったけど、やっと話せるだけの時間が過ぎた。


元相方さん、どうしてるかな?移住先で自分のお店を持ててるといいなー。

彼はなにかあるたびに心のこもった手紙をくれて、僕はそれを今でも大事に取ってるよ。



どの人も自分の心が壊れそうな時にいてくれた人達だから全員幸せだと嬉しい。

みんな大好きだったから、僕自身は感染したことに文句は1つもないんだな。

最初は受け入れがたい事実だったけど、それはもう遠い昔の話だしね。



相方と文通のやり取りをした時、なぜか文字の癖や文の内容が僕の心に響いた。

不思議なもんでこの人に会わなきゃダメだと、第六感みたいなものがあった気がする。



それで出会ったのが、ネックレスじゃらじゃらさせた見た目ヤクザの相方だった。

あまりのアウトロー臭に、ファーストインプレッションは最悪だったのを覚えてて(笑。

それでも相方の目の奥に同じものを感じて、何度か食事をするうち好きになっていた。



自分から告白したのは相方が生まれてはじめてだった。

そしてドキドキしながら勇気を振り絞って告白したこと。



ああいう純粋な気持ちは、きっとこの先もう感じることはないんだろうな。

僕も長い月日のなかで汚れたおっさんになったってことかもしれない。



今、令和という新しい元号になっても相方と共にいる。

すごく不思議な感覚で、そして傍にいてくれる「当たり前」に感謝したい。



相方も僕に出会って良かったって思ってくれてるかな?

そんな彼はもう50代に入ってしまったけど、年を重ねても僕は今でも君が好きだよ。


「愛してる」


面と向かっては恥ずかしくて言えないけどね。

いつか一度だけそう言ってやろうと思うんだ。




それじゃまた。












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