心のバリアフリー。

2021/04/20

ある視点。 介護生活

t f B! P L

 皆さんこんばんは。



ずっと気になってた、某党の常任幹事でありコラムニストでもある車椅子の彼女の話題。

車椅子ユーザーを家族に持つ僕達としては、その動向にとても興味がありました。


車椅子であるないに関わらず、障害を持つ人の旅行はその労力も含めて大変なものです。

僕達は車移動がほとんどではありますが、場合によっては新幹線等にも乗ることがあります。


その場合、事前のルート検索や交通手段は検討に検討を重ねるもの。

前もって宿泊場所だけ決めてるのに、あとは野となれ山となれなんて普通はありえない。


なにより無人駅でなければ移動可能なのと、目的場所まで実は距離もあまり変わらない。

今回はいわば不要不急の旅行であることを差し引いても、彼女側に大きな問題ありでしょう。


多くの介助を必要とする人は、健常者には見えない世界を見ている。

これは事実ではあるけれど、それだって健常者側からすればバイヤスにまみれたものだ。


本当の共生社会は自我を押し通す事ではない。

他者の助けを得ないといけないのならば、相手の都合にも理解を示すのは当然。



JR東日本は純粋民間会社で私企業です。

無人駅で事前連絡なしに当日の人員調整を要求したりするのは、

限られたリソースを最適に配分出来ないという悪循環を生んでしまいます。



この騒動が起こったのは、くしくも障害者差別解消法という法律が施行された日。

彼女は、自分の持つ権力を利用してマスコミを呼び、職員を晒し者にしました。



これは計算尽くのことだと思われても仕方ありません。
煽動する人にとって、表向きは私はみんなのために正しいことをしている、なのでしょう。


が、彼女のしたことは客から従業員への理不尽な恫喝であり、
もはやそれはカスタマーハラスメントという、社会問題そのものなやり口です。



この国は、互助や自助、共助と公助のシステムが社会全体を作り上げています。
お互いが相手のことを慮って、それぞれが助け合うのが理想の形だったりして。



だから、一方的な強要や、炎上させて権利を取得する方法は健全じゃないと思う。



うちも車椅子の親がいるけど、車椅子が通れない砂利道などは親ごと担ぎあげます。
本当に重くて、それをやると翌日は体のあちこちにガタが来てしまうのです。



彼女は、そういうサポートしてくれる人の気持ちや大変さが分かるのだろうか?
相方の両親はやって当たり前な態度で、遅いと叩いてくることもあるからキツイ。
JR職員も障害者という立場を乱用されて、理不尽な権利で頬をぶん殴られた状態だろう。


こんなんじゃ理解なんて深まらない。



世の中の人は彼女が思うよりも皆さん親切です。
親を車椅子に乗せてると、エレベーターの開閉を助けてくれたりと、
とてもいいコミュニケーションができ、感謝することのほうが多いです。



話は逸れますが、前に駅で白杖を持った若い子に会ったことがあります。
点字運賃表や音声ガイダンスがあっても誘導ブロックが塞がってると電車に乗れない。
なので案内して一緒に乗ったことがあったけど、爽やかな笑顔でお礼を言われた。



こちらがドギマギしてしまうくらい、気持ちのいい子だった。
ほんとは障碍の有無なんか関係なくて、結局は人と人との関わり方だと思う。



人種差別の問題があって、キャンセルカルチャーが当たり前な世の中になった。
力を持つ公の人間がコミュニティーの悪用をすれば、文化的ボイコットが起きてしまう。



彼女の場合は、それは犯罪なのでは?と思う過去の違法な案件までバレてしまっている。
今の問題で言えば、あの辺はユニバーサルデザインタクシーたくさんありますけど、、、
1ヶ月前に予約しないとうんぬん言ってたけど、前日や当日OKなのは知ってるでしょう?



また、JR東日本と東海道本線の管轄の問題もあり、職員が提案した方法よりも
改札口への行き方が複雑なこともあって、なぜ頑なに聞き入れないのか分からない。


本人指定駅の到着時間と移動時間を加味すると、実はすでに目的地は閉館してたのでは?
という疑問も各方面より上がっていて、意図的にやったと本人がのちに語ったことから、
彼女はJRを困らせるために、はなっからこの騒動を仕組んだということになる。



最初から無人駅だったことも、エレベーターがないことも知っていたのがなんとも、、、、
こうなると、政治パフォーマンスとして駅が彼女に祭り上げられたと考えるのが自然だ。



一般企業を攻撃するより、設備の充実を提案していくことが賛同を得やすい。
駅員もサラリーマンであるから、度を超えた要求をすれば受け入れられないと思う。



嘘の上塗りばかりすると、他の障碍者の迷惑に繋がります。
それぞれが社会の構成員であることを考えたら、ひとりよがりの自己都合な行動で
これから障害者への見る目が厳しくなるかもしれないことは考えられなかったのか。



彼女も辛いことがたくさんあったでしょう。
出来なくて歯がゆいことも多かったはず。
人と違うことに折り合いを付けるのも苦しかったでしょう。




彼女の言う通り、当事者が声をあげるのは必要なこと。そこは正しい。
攻撃的な方法と物言いが反感を招いているわけで、そこに障碍者という括りはいらない。
今回取った方法は、周りの人々との溝を生むやり方でしかなかった気がします。



権利獲得のために炎上させて問題提起のインパクトを与える。
それはもはや健常者VS障碍者の構図でしかなく、目的は手段を正当化する悪手です。


だから誰もが使える駅作りに繋がらないどころか、問題をより複雑にしてしまうんだ。



そもそもが乗車拒否ではなく、事前にご連絡くださいなのに。
彼女の言い分を汲んだうえで、職員のかたは可能な範囲で代替案を提案してくれた。

JRは規則に則って双方に事故が起きないように合理的配慮をしてくれている。
が、彼女がマスコミを呼んで他の車椅子ユーザーのためにならない「対立」を作りだした。
自分の拡声器代わりにマスコミを使い、その目的を完遂するのはやってはいけないと思う。



お互いに敬意を払ったり、感謝の気持ちをもつのは大事なこと。

なにごとも越えてはいけない一線というものがあり、
それを越えると、交渉の余地がないほどに感情というものでこじれてしまうんだ。




その結果が今なのです。とても残念に思いました。
ハードを整えるのは大事だけど、心のバリアフリーを忘れないでいたいなあ。
彼女も含めて、いろんな立場の人が気持ちよく社会参加できるといいよね。



真の多様性は、お互いの障壁を取り払って、
いまの社会にある問題を自分の問題と捉え、関心を持っていくこと。



障碍者の今があるのは、理解してくれる社会のおかげであることも忘れてはいけない。
彼女が敵視している多数派が予算を作り、環境を作り、たくさんの労力をさいてくれた。


彼女の友人は人々の憧れや妬みが彼女を悪く言うといい、
彼女自身は、電動車椅子で人の足をひくのが趣味だと過去に語ってきた。



それを聞いて、いつも「何か」に追い詰められているのかもしれないと思った。
社会生活が困難になるのではないかと、必要以上に差別を恐れているのではないかと。



心のどこかで自分の障害を受け止める勇気が持てない。
そういう悔しさが健常者へ向いているのだとしたら悲しいことです、、、、



世の中にはいろんな人がいるけど、良い人のほうが圧倒的に多いです。
ほんのちょっと歩み寄ってみたら、互いに気持ちよく接することができると思うんだ。

まだ若いし、政治の世界にいる車椅子ユーザーとして良きロールモデルになってほしい。



やみくもに差別や偏見、権利の論調に結び付けるのはダメだよ、、、
遵法精神が欠けた人に快く手を差し伸べてくれるような人はそうそういないから。


そうなれば、障碍に対して誰もが他人事ではないとみんな考えてもくれなくなる。



僕も一応障碍者ではあります。
それは難病指定されているからで、僕としては本当に有り難いことです。



しかし、いまだに指定を受けられない病気もあるということ。
僕が言うのもおこがましいですが、いつか障碍者のヒエラルキーがなくなればいい。


そう思うのです。




本当の社会的弱者は福祉にアクセスできない。
誰かの権利が叶ってる裏で、必要な権利が得られなくて泣く人がいるのです。
だから、なぜ国からの支援が受けられるのか、初心を忘れないようにしようと思った。



そう考えていたら突然、小学生のころ僕にダウン症の友達がいたことを思い出した。
妥協する事がたくさんあったと思うのに、いつもニコニコしてて純粋だった。



母の友人の子だったんだけど、あの子の前では僕は自分でいられた気がします。
でもその子には綺麗な姉ちゃんがいて、僕はあの姉ちゃん狙いで遊んでるんだろとか
同級生達にはやし立てられていつしか遊ばなくなって、、、、、後悔している。



田舎の話は思い出したくなくて、あの子のことも忘れてた。
僕も相方にああいう笑顔が出来てるかな?正直なところ自信がない、、、、



車椅子の彼女には政治という力があって、たくさんの支援者がいるのだから、
先人の作ってくれた道を台無しにするやり方じゃなくて、健常者とか障碍者とか
分け隔てのない考え方でアプローチしていただけたら嬉しいな、と思います。



僕は自分の良心に基づいた行動ができるような人間になりたい。
たまにはムかっともくるけど、なにが常識かなんてその人次第で違うものなんだから。



車椅子といえば、階段を上り下りができる次世代型の車椅子。
あれは介助者にとってだいぶ楽になるから、それが車椅子の当たり前になればいいね。



わんこが亡くなって、新しい歩行器が出たりと数年単位ですごい進化を感じる。
だからバリアフリーもどんどん進化していくんじゃないかな、と思う。




それじゃまた。








※お願い

当サイトのテキストの無断転載、
無断使用を固く禁じます。


※お問い合わせ
こちらのURLよりお願いします。

このブログを検索

ブログ アーカイブ

Translate

人気の投稿

QooQ