夜明け前。

2021/04/15

ゲイの生活。 介護生活

t f B! P L


 皆さんお久しぶりです。



ここのところ、ストレスなのか動悸や軽い胸の痛みが続いていました。

また心筋梗塞を起こすとまずいので、先週は仕事以外はなるべく家で安静にしてました。

負担を減らそうと2週間ほど家事代行を頼んだり、夜のトイレ介助は相方と半分こしたり。


余計な出費も出ちゃいましたが、おかげで今週からはだいぶ体も楽になりました。

しかし、日常的に徹宵な生活が続いてるので、床に入ってもなかなか寝付けなくて。


相方も今年に入ってから投薬治療中で、薬で抑えられなくなれば手術しかないそう。

元気そのものの両親を尻目に、僕ら2人とも完全に耐用年数間近という感じです(汗。


要介護の親を在宅で介護していると、いつかはひずみが出てくるものです。

親に見合った水準のケアをしようとすれば、すべての時間を費やしても足りない。

必然的に睡眠を削るしかなくて、気づいたら2人とも満身創痍になっていました。


やることはやらないといけない。

だから、これからは手を抜けるところはどんどん抜いていこうと相方と取り決め。


そうなったのは相方の病状を聞くために、両親を伴って病院へ行ったのがきっかけ。

相方が先生の話を聞く間、院内のカフェで両親を待たせていたんだけど不機嫌に。


処方箋を貰って戻ってきた途端、激昂しはじめて相方に遅いと口々に文句を言い始めた。

相方は冷静に「体調のこと話したでしょう?」と両親へ諭すように話しかけた。

が、お前の体調なんてどうでもいい、お前は俺らの世話しとけばいいと平然と言い放つ。


さすがに相方は激怒して、別に死んでもいいけどお前ら俺が死んだらどうするんだ?

そう言うと、両親もそれは困るモゴモゴとなんとも苦し紛れな言い訳をしてましたが。


こんな時、義務という重苦しい感情から解き放たれるためにいろいろ考えてしまう。

自分達が死ぬか、親を施設に入れてあとは絶縁するか、そんな二択が頭をよぎるんだ。


人生設計ができないまま、親たちが生きている間の費用もすべてふりかかかってくる。

そのうち、自分のことに手が回らなくなり漠然と燃え尽きた感覚だけが強くなっていく。


僕はわんこが亡くなった時、もうこの世にいる理由もない、そう思っていました。

でも今は相方が傍にいることで、この人を支えていつか2人で笑い合えるようになろう。


そんな目標ができました。

だから相方を守ってあげられる介護方法を模索していかないといけません。


日本は超高齢社会、100歳が当たり前だという時代が到来しつつあります。

両親がその年令になったとき、はたして僕達は2人とも生きていられるだろうか。

願わくば、介護をするためだけに再生医療で命を永らえるそんな未来が来ませんように。



生は神からの贈り物だとしたら、死は魂からの贈り物なんだろう。

他者の声に溺れないで、その胸の鼓動に正直に生きていくのがきっと本当の幸せ。


もっと2人のことだけを考えてもいいんじゃないか?

それは我が侭じゃないよね?最近そう思うようになった。



それじゃまた。









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