スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

【ミャンマーへのバックパッカー旅。そこは、素朴であたたかい、素敵な国だった】 ~軍事政権下のミャンマーを旅して、、(その1)~ (#軍事クーデター #アウンサンスーチー拘束・軟禁 #ミャンマーの正月は4月 #水かけ祭りティンジャン #ミンナスーMinnathu #世界遺産バガン #FECドル兌換券への200ドル強制両替 #ミャンマーの化粧品タナカ)

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前回の続き?なのかな?😅

というわけで、現在、2月1日に起きた軍事クーデターとアウンサンスーチー氏拘束・軟禁、それに反対する抗議デモの拡大で混沌とするミャンマー

このまま以前のように軍事独裁政権に戻ってしまうのはまだなんともいえない。

近年、アウンサンスーチー氏を中心に民主化が進んでいたミャンマーだが、数年前までは、軍が国を統治していた。

その頃の、軍事政権下のミャンマーを訪れた時の話。

軍事政権下といっても、めっちゃ危険とかそういう感じではなく、なんというかのんびりした仏教国という感じで、良い国だったよ。

バンコク(タイ)のカオサンロードの旅行代理店でVISAを取って、ミャンマーに向かったんだけど、まず入国の際、200ドルの強制両替、、、それもFECっていうミャンマー政府の発行するドル兌換券みたいなものへ、、、てゆーのが、この頃は義務だったのさあ。(外貨獲得のため?あ。今はその制度は廃止されてる)ん?こうゆーとこも軍事政権っぽい?

その兌換券をチャット(ミャンマーの通貨)にまた両替して使うんだけど、滞在中200ドルも使う予定ないし、でもって再両替の手続きもめんどそうだし、とりあえず交渉、、、

で、ちょいワイロを渡して100ドルに😁

その頃、バックパッカー旅と同時に、世界の現状や国際協力、開発援助、今でいうSDGsについて知ったり経験したりするのがひとつの目的だったから、ミャンマーでも、とある施設を訪問したりもして、

でも、めっちゃ文明国のタイから来たのもあるんだけど、ミャンマーはバスの切符ひとつ買うことから始まって、とりあえず移動が大変だった、、、旅慣れてないとか英語が苦手とかが原因ではなく、欧米人バックパッカーもブーブー言ってた。こうゆーのも民主主義じゃなかったから?過当競争がないからサービスもあんましされてないってゆーか。

ちょうどミャンマーの正月(4月)、水かけ祭り(ティンジャン)の時だった。その時期を狙ったわけじゃない(というか行くまで知らなかった)。むしろ迷惑だった😅ふつうに帰りに駅まで行こうとしてるだけで、水かけられてびちょぬれ。タクシーの中にも水責めでもうわやくちゃ😱タクシーの運ちゃんもそれを楽しんでるんで、言わないと窓閉めてくんない。というか、冷房が壊れてて、暑くて窓開けてた。でまあ、そんなつもりじゃなかったから、荷物(バックパックだし、、)も中までびちょびちょ、一万円札も濡れて破れて、結局その後使えなくて(両替を受け付けてもらえなかった)、えらい目にあったりした。

でも、人はほんとによかったよん。あたたかくて、どこかのんびりしてて、、、

水かけ祭りの時も、ヤンゴンの街中に、荷台から通りの人たちに水をかけてる軽トラがたくさん走ってて、その車から、「乗れよ!」って荷台に乗せてもらって、そこからめっちゃ水かけあったりした。

でもってその後、駅まで送ってくれた。(その頃は、バンコクに根を張って拠点にして旅してたから、夜行列車でバンコクにまた戻る予定になってて、びちょぬれのまま、、、😅)

いつやってくるかわからない乗り合いバス(来たのはただのボロボロワゴン車だったけど)を待ってる時に、近くの露店にギターが立てかけてあって、それを弾いて、その辺の人みんなで歌ったりした。

なんかいろいろ思い出す😌✨

ところで写真はヤンゴンの水かけ祭りと、ミンナスー(Minnathu)村でのもの。

遺跡群で有名なバガンの近くにあるミンナスー村。
あ。そーいえば、バガンって、遺跡の管理がいいかげんだったり、逆に観光地化しようとし過ぎちゃったり(近くにゴルフコース作ったりとか)で、ずっと世界遺産登録が見送られてたんだけど、2019年7月にやっと世界遺産になったらしい。

オールドバガンの外れの安宿でチャリンコ借りてバガンを周ったんだけど、その途中でパンクして(なんせ道が悪い😅)、その辺の人に「自転車屋さんってない?」って聞いたら、ひとりの少女が教えてくれた。「自転車屋」というより「うちの父ちゃんはパンクが直せる」っていう感じだったけど、、、その時居た村が、この村だった。

というか、チャリで観光してる外国人なんてぜんぜんいないからか、いろいろ話しかけたりお誘い受けたりして、ちょい観に行った寺院ではお昼を一緒にしたり、汗だくで坂道上ってたら、「ちょっとうちに寄ってお茶でも飲んできな」って声かけられたり。

うん。素朴であたたかい人と風景、、、ほんと、いい国だった😇

ちなみに旅を続けてるうちに、その頃にはもう、ミネラルウォーターとかめんどくなってて、出されるものはもう飲み食いすることにしてた。でも、案外、お腹もけっこう無事だった。たぶんこっちのお腹が環境に順応してたんだと思う😅

あ。写真の白い顔の子どもは、べつに何かの恐怖映像じゃなくて、タナカっていう木から作った(名前もそのまま)ミャンマーの伝統的な天然の化粧品(?)みたいなもの。美肌効果やにきび防止、日焼け止めにもなる。

化粧品というより伝統文化かな。といっても、よくある少数民族のペイントじゃなくて、、、なんていうんだろう、こんなふうに、化粧品をペイントとして文化としているのってミャンマーだけ?少なくとも珍しいと思うし、そりゃあ町なかではもうあまり見られなくなったかもしれないけど、この文化はぜひずっと残していってほしいな、って思う。

このタナカ、特にここミンナスー村のような田舎では、今も日常的に、子どもや女性、もちろん男性も、みんなふつうに顔に塗ってる。旅をしながらたくさんの人とふれあう中で、自分もやっぱり顔に塗りたくられたし😁

そんなミンナスー村でのことをまた次回書こうかと🙂

ではでは、また。。

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

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