サラリーマンの癌闘病日記

普通のサラーリマンとして海外を飛び回っていた私にできた相棒「癌」。新しい相棒ができ生活が徐々に変わった能天気な癌闘病記録を主に綴っています。





フィリピン滞在時に感染した「A型劇症肝炎」のお話

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CapeOX治療も3週目、と言うことはカペシタビンの服用も終わり1週間ほど薬の服用も体重や体調などの記録義務もない“癌を感じさせない生活”を送れているといいうことなんです。

体調のほうもここ数日順調でして徐々に体重が増えてきている今日この頃、来週から再開される3クール目に向けて穏やかな日々を満喫できています。

体調も落ち着いているので、大してアップする記事もないのですが皆さんに忘れられても困りますんで、以前から記事の端々に“ひょっこりはん”のように顔を覗かせていた以前に患った「A型劇症肝炎」についてアップしておこうと思います。

 

 

今思いますと、「A型」で良かったと胸を撫で下ろしている私。

もし、「B型」や「C型」だったら、家庭崩壊につながっていたかもしれませんねぇ(苦笑)。

私個人も肝炎という言うものには、自分が患うまでは予備知識はなく、それぞれ「A型」「B型」「C型」の何が違うのかは知りませんでした。

 

ご存知の方が殆どだと想像しますが簡単にお伝えしていきますと、「A型」は食べ物由来で感染するのに対して「B型」や「C型」は基本的に体液や血液由来(他人との接触で)感染するということです。

私が何故「A型」で良かったと感じているかは、ご想像にお任せしますね(笑)。

 

私が患った10年以上前ではなかったと思いますが、現在では「D型」や「E型」というのもあるようですねぇ(もしかすると、私が知らなかっただけかも)。

近年になって、“昔の予防接種の注射針の使いまわしで肝炎感染し国に賠償を請求できる”なんて話題を耳にしますが、これらは「B型」や「C型」に該当するんだと思います。

 

「A型」は口にした食べ物が原因で重症化し劇症肝炎へ発展する事例は少ないようですが、私は見事“当選”し劇症型へ発展したのでした。

後から分かった話ですが、生存悪率は10%を下回っていたとか。。。昨年から患っていた一連の癌より生存率低いじゃん!って感じです(笑)。

 

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いつものように前置きが長くなってしまいましたが、私が「A型劇症肝炎」を患ったお話をそろそろ述べさせていきますね。

 

当時の私は記事タイトルに示しているように仕事で頻繁にフィリピンに出入りしていました。

長い時ですとビザまがいの許可証を取得し、数か月ぶっ通しで出張ベースでの滞在。

滞在していたのは、首都マニラから来るまで3~4時間くらい南下したラグナ州のサンタロサという街。

当時は既に日本メーカーがいくつか進出し生産工場があったものの、日本料理を口にできるレストランは多くなく長期に滞在していると「日本食ロス」に陥っていた私なのでした。

駐在でもしていれば食材を調達し自宅で日本食を作ることもできたのでしょうが、出張の私はホテル住まいで調理する環境は整っていなかったのです。

 

 

日系工場はあるものの特に親しい日本人もおらず、毎日のように口にしていたのは「JolliBee(ジョリビー)」という現地ローカルファーストフード。

この「JolliBee(ジョリビー)」ですが、簡単に言うと“マクドナルドの現地版”。

カップラーメンでは王者NISSINが世界的に有名ですが、フィリピンでは「LUCKY MEE(ラッキーミー)」という現地ブランドが圧倒的にNO.1。

この「JolliBee(ジョリビー)」もマクドナルドを抑え堂々のシェアNo.1を誇るファーストフードのチェーン店なんです。

日本でもフィリピン人に「JolliBee」とか「LUCKY MEE」の話をすると、必ず食いついて来ますよぉ~♪

 

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そんな私の楽しみは、『ローカル遊び』を楽しむことくらい。

昼夜問わず(主に夜ですけど)現地スタッフといろいろ周辺地域をうろついては、健全な遊びも含め様々な経験をさせていただいていたのでした(詳しくは、このブログではちょっと紹介しかねますのでご容赦くださいませ)。

夜な夜な周囲を遊びまわる毎日を送っていた私ですが、ある日のこと現地スタッフからこんな話を持ち掛けられたのでした。

 

「ここから1時間くらい南に行くと面白いスポットがるらしいぞ、行ってみないか?」

 

サンタロサという町も殆ど遊びつくした私は、二言返事で彼の話に乗ったのは言うまでもありません。

 

私たちが向かった先は、カランバ州のパンソルという街にある「HALFWAY2000」というステージでいろんなエンターテイメントをやってたり個室カラオケを完備している田舎町には珍しい大規模な娯楽施設なのでした。

 

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都会のマニラなら大して珍しくもないのですが、こんな田舎の町にしてはかなり大型の総合エンターテイメント施設、当然私はそこに通い始めたわけですね。

通い始めママさんやスタッフなどとも顔見知りになり、ある程度のワガママも効くようになり私の憩いの場♪になっていった「HALFWAY2000」。

私はここを“客を招いた際の接待の場”として使うようになっていったのでした。

 

そんなある日、いつものように客を引き連れ店に音連れた私。

客を個室カラオケへ押し込んで、私はいつものように個室の外側にある舞台でお姉さんの踊りを眺めながら

、結構お歳は召しておられたママさんに価格交渉を兼ね談笑。

するとママさんから、

 

「今日は少し珍しいモノが入荷しているけど試してみる?日本人はきっと好きなはずよ。」

 

と言われ振る舞われたのが、私の劇症肝炎の原因となった『鮭の刺身』だったのです。

 

“こんなところで刺身に出会えるなんて💛しかもこんな南国で鮭とは珍しいではないか♪♪”

 

日本食とはしばらくの間ご無沙汰していた私、貪るように大盛りの皿を2枚ほど平らげた私なのでした。

 

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身体の異変に気付き始めたのは、2日後辺りからでしょうか。

妙に尿の色が濃いくなったことに気づいたのですが、南国のフィリピンへ長く滞在し疲れも溜まっているだろうし、ビタミン不足解消のために頻繁にオレンジジュースを飲んでいた私はさほど気にしていませんでした。

 

痛みも何も感じませんでしたが、なんとなく体がだるく少し熱っぽい日々を送り、友人の結婚式へ参加するために帰国することになった私。

結婚式に参加している最中に義父が倒れたと連絡を受け、見舞いに行くために早々に引き上げ病院へ向かうことになった私でしたが、病院へ到着し待合の席に座った瞬間に意識を失うことになったのでした。

 

 

私が再び目を覚ましたのは、3日後。

最初に目に入ったのは、ベッド脇の椅子に座り『肝臓の病気(だったかな)』という本を読んでいるかみさんでした。

私が目覚めたことを知ると医者がやってきて、すぐさま症状説明が始まり手渡されたのが「肝臓移植の同意書」でした。

どうやら、私の肝機能は97%くらい失われているとのこと。

しかも、劇症肝炎というまでは病名を特定できるのですが、「A型」なのか「B型」なのか、はたまた「C型」なのかは検査中で結果が出るまでに数日擁するとのこと。

 

更に医者は私がフィリピンに滞在していたことを知ると、

 

「現地でチュウとかしましたか?」

 

なんて遠回しに“外角低めのスライダー”を投げ込んでくる始末。

アタナの言う「とか」って何なんですかぁぁ???とは聞けない私がそこに居るのでした。

かみさんが隣にいるのに、そんなこと答えられるわけありませんよねぇ(苦笑)。。。しかも、かみさんは既に肝臓の病気について勉強済みで、私よりも予備知識は豊富な状態でしたし。

 

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検査結果が出るまではドキドキもので、かみさんを含め見舞いに来てくれる家族や同僚の顔をまともに見れない始末。

症状も劇症化しているし正直「B型」や「C型」を覚悟していました。しかし引き当てた結果は、なんと「A型」。

私が心の中でガッツポーズしたのは言うまでもありません(笑)。

 

「現地人と大皿に盛られた食事を食べていました(汗)」

 

なんて、用意していた苦し紛れの言い訳を使うことなく難局を乗り越えたのでした。

 

ただ、疑いがとりあえず晴れたのですが肝機能が改善したわけではありません。

肝臓提供のドナーを待ちながら入院生活を送っていたのですが、待っているうちに何故か劇的な回復力を発揮し始め最終的に肝臓移植手術は免れ1カ月ちょっとで見事退院までこぎつけることができたのでした。

 

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A型肝炎自体が劇症肝炎に発展することも珍しいらしく、しかも劇的な回復。。。と言うことは、病院にとっては貴重な事例(検体)。

退院後も頻繁に通院し検査することを勧められ数回ほど通院したのですが、何のために自腹で通院しているのか疑問に思い始め通院することを止めてしまい、私の劇症肝炎闘病記は幕をおろしたのでした。

 

個人的には入院中に食事制限が緩和され始めた頃から家族に差し入れてもらった“あるモノ”が自分の体に上手く作用したのではないかという心当たりはあるのですが、当然病院側には伝えていません。

その後、再三にわたり病院から連絡を受けていた私でしたが、ほどなくして中国駐在の辞令を受け国外逃亡。

数年後に日本へ戻って来た時に、別件で入院していた病院にお世話になりましたが誰も私のことを覚えている人は居ないのでした、めでたしめでたし(笑)。

 

 

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