ちょっと前にツイッターで
「ひろしまタイムライン」
と言うものを見つけまして
もし75年前にSNSがあったら
という企画で
1945年の広島で書かれた
3人の実際の日記をもとに
原爆の様子をつぶやかれているのですが
読んでいて
胸が痛くなりました
私は小学生の時4年間だけ
長崎で過ごしておりました
当時は夏休みでも8月9日は
学校へ登校し、平和公園の様子を
TVで見ながらみんなで黙祷を捧げるのが
毎年の恒例行事の一つでした
平和公園の近くに住んでいたので
しょっちゅう遊びに行っておりましたが
公園の敷地内には時々、被爆した方々の
写真が飾られておりました
子供にとっては目を覆うような
衝撃の写真も・・・
今も飾られているかは分かりませんが
ショックなことから目を背けてはいけない
という事を教わりました
社会科見学は原爆資料館でした
きのこ雲の写真から
ボロボロの兵隊服
ホルマリン漬けの胎児?赤ちゃんの
展示もあったような・・・
衝撃すぎて色々と記憶が飛んでおります
幼心に怖かったし
現実に起こった事なんだというのを
痛感できました
ところが中学に入り
神奈川県へ転居
あの日々は何だったのか
戦争を考えるようなものは何もなく
原爆を感じるようなものも何もなく
当然夏休みの登校日なんてないし
黙祷の時間も街のアナウンスで
遠くから聞こえてくるだけ
ちょっと土地が変わっただけで
こうも違うのかとビックリしました
たった4年間だけだったけど
長崎で過ごしたことは
私の中でとても大きく
とても良い経験をさせてもらったと思っています
今、こうして一緒に過ごせてる時間が
なんて幸せなんでしょう
子供達もいつか広島、長崎へ
連れていきたいです
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