皆さん、こんにちは。^^
「昨日に引き続き、もう1人の恩人Y君について書きます。」
自分がギランバレー症候群で入院してる間、K君同様に仕事の合間や仕事終わりに毎日のように病院に来て話相手になってくれてました。
【Y君編】
Y君とは高校からの友人で1度クラス一緒だっただけで、部活もサッカーとラグビーで別でした。なのに生涯の友人となる程、仲が良くなりました。喧嘩もしょっちゅうしてましたけど。
Y君は卒業後、専門学校に進学して大手の測りメーカーに就職して営業職をしていました。就職してからは仕事、仕事、仕事でほとんど会う機会もなかったです。
当時ブラック企業なんと言葉なかったですが、まさにそうやったと思います。
毎晩夜中まで残業して会社に残って作業してました、
「POSの設定が・・得意先の社長に頼まれた仕事が・・」とか。
しばらくしてY君は横浜に転勤になり、会う事もありませんでした。
3年ほどしてから大阪に戻ってきましたが、努めていた大手の会社を辞めて以前の話に出て来たK君の兄と一緒にお好み焼きの店を立ち上げる事になりました。
勤めていたのは大手の会社で安定した収入もあったので、親には相当反対されたらしいです。
Y君達が起業して数年後、Y君は結婚して2人の男の子にも恵まれました。
自分が病気になった頃、Y君は1つの大きな店舗をまかされつつ、各店舗の若い店長達のフォロー等で毎日夜中までずっと働いてました。
K君とY君と3人で集まるとなると真夜中2時、3時にファミレスにでちょっとお茶するぐらいがやっとこでした。
無理が続いてるY君は「体調がおかしい。」とよく言ってましたが、「そら働き過ぎやろー!」と冗談で言ってました。
Y君「でも病院行ってる暇も時間もないわ、せなアカン事山ほどあるし・・。」
【退院したら、K君とY君に必ず恩返しをする】
退院後すぐに、世話になった2人の手助け(恩返し)ができるチャンスが来ました!
とは言ってもこっちがまた助けられたような感じもあります。。
当時2人はK君の兄のお好み焼きチェーンの会社で一緒に働いてました。
「事務の人が辞めたから、簡単な事務作業で良いから手伝って欲しい。」
と声をかけてくれました。恩返しとまではいかなくても、退院直後で身体の自由が完全に戻ってない自分でもできる仕事を2人の会社で用意してくれたんですね。
簡単なPCでの入力作業や、事務的な作業をバイトと言う形で手伝う事になりました。
本業のクリーニングをするにはまだ筋力が足りないので、座ってやるPCの打ち込み作業ならなんとかできました。
1日3時間程度でしたが、しばらく無収入だったので家計は助かりました。そうして日常生活のリハビリにもなりましたし、また助けてもらう事になってました。
2人の会社でバイトさせてもらいながら、徐々に日常生活も復帰しつつクリーニング仕事も始め出す事ができました。
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【突然の訃報】
2人の会社の手伝い初めて1年ぐらいした頃の事です。
リハビリで筋力も回復して本業のクリーニング業も再開していました。
昼頃に店でいつも通りアイロン作業をしてると、K君がバイクで急に店にやって来ました。
だいたい来る時は連絡あるんですけど、その時はなかったです。。嫌な予感がしました。
K君「aki落ち着いてよく聞け、何も言わんでええから。Y君が今朝亡くなった・・。」
自分に話し掛けながら、K君はずっと泣きそうでした。
あの時の突き刺さったこの言葉、一言一句今でも忘れません。
「うそやろ!」ではなかったです。泣くの我慢しながら話してるK君を見て事実やとすぐに解ってたので。
その日の朝、いつも通り深夜の作業から家に戻ったY君は1階で寝てる嫁と子供とは別に2回の寝室で寝てたそうです。
朝になって嫁が起こしに行った時にはY君はもう冷たくなってました。心不全との事です。
原因・病名の詳細は不明。
「だから、心不全て何やねんて!」
過労、ストレス、病気、何が原因なんか・・解りません、だれも教えてくれません。。
「ようするに、原因は不明。」なんやねんそれ。
誰のせい?Y君のせい?会社のせい?社長のせい?仕事のせい?
Y君はそこまでして、働く必要あったんやろか?あるはずないです。
自分も含め、何でもっとY君の身体の事に気遣わへんかったんやろ・・。
何を思っても、何を言っても全部今更論です。
お葬式の時、2人の小さな子供にはパパが棺桶で寝てる意味が解ってませんでした。
享年37歳、若過ぎました。
Y君には何も恩返し出来ませんでした。
完全に元気になった姿を見せる事もできませんでした。
火葬された時、親御さんの許可を頂き遺骨を少しもらいました。今でも小さいケースに入れてきちんと保管してます。
Y君が亡くなった時に着てたNIKEのシャカシャカの上着を遺品整理の時に貰いました。
亡くなった日、仕事から帰ってそのままのカッコで寝てたんですね。その上着を仕事中もフットサルの練習の時もいつも着てました。プリントも剥がれて、生地がボロボロになるまで大事に大事に着ました。
Y君は将来の夢をずっと教えてくれませんでした、
「そのうち教えたるから、まーまっとけ。」
自分が親の介護も何もかも全部終わったら、小さいケースを持っていろんな山をY君と一緒に登ろうと思ってます。
Y君の夢が「皆で山登りしたいねん。」やったらどんなに嬉しい事か。
まあ、それは自分が死んだらY君に聞いてみたいと思います。
「11年前に助けてくれた恩は、一生忘れません。本当にありがとう。」
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