松尾芭蕉の名句に見る大衆社会の足音への憂いは彼の知的な保守性のみを意味するのか。“古池や蛙飛びこむ水の音”への考察。

松尾芭蕉の名句、“秋深し隣は何をする人ぞ”が都市化の進む17世紀の日本の都市の世相を表しているのは、言わずもがなである。これにも少し触れたいところがあるが、ここではそれは最後の蛇足とさせていただく。わたしが当エントリーで記したいのは、別の、そして有名すぎる名句、“古池や蛙飛びこむ水の音”である。

この名句は、松尾亜省の真骨頂たる、シンプルな言い回しによるイメージしやすい情景描写力がよく現れた作品とも言える。ただ、他の著名な作品、例えば先に挙げた“秋深し……”や、“木曽の情……”のような質素で野太い武士文化と、大衆的な町民文化の橋渡しでありながら、大衆化に対する少しばかりの躊躇が見られる作品とは一線を画している。

これも同じであると皆は言うだろう。では、芭蕉はこの句でいかなる大衆性や都市化を批判して、いかなる喪失を嘆いているのか。この句は文字通りに読めば「視界外でカエルが池に飛び込む音が聞こえるよぉ~」と春?のうららかな叙情感を表したシンプルな俳句である。

まず、第一段階としてこの句も他の名句同様、芭蕉の野太い質実剛健さを失いたくないという情感を表しているとしよう。どうなるのか。なんかわからんが、ちっこい小動物が古池に落ちる音が聞こえる。まぁ、無垢なる人間、もしかしたら、かろうじて手足が生えたばかりのあまり知的ではない人間が、古池、アンシャン・レジーム的な世界に飛び込んで駆逐されている。とでも言い表そうか。もしかしたら、「井の中の蛙大海を知らず」を受けているのかもしれない。そうすれば、もっと無知で視野の狭い人間となる。ここで問題なのは、古臭い世界とはなにか。なぜ古池で井戸ではないのか。まぁ、井戸は深いから音なんてあまり聞こえないし、実際の情景をベースにしているのだから、事実として古池なのだともいえよう。

しかし、疑問が起こる。井戸と違って開かれた古臭い世界なのだ。大衆社会批判ならば、例えば、禅宗や一向宗的な価値観を持つ、質実剛健な武士や農民が、大衆化の進む、まさに土建と開墾ラッシュに湧く大坂や江戸とその近郊の、開放的で世俗的な雰囲気に巻き込まれて借金でも作って、古臭い地元にカエル。みたいなはずである。これだと少し合点がいく。カエルも古池も水もそうした意味であろう。

が、がである。こrでは動線が二重になっている。俳句だし、ダブルミーニングや複数の動線なんてキにするなと言いたいし、おしゃれでいいじゃないかと言いたい。しかし、古池なのだ。実も何も大都市の代表格、江戸と大坂は当時、新しい部類に入る。いや、待て。抽象なのだ。古臭いのは都会ではなく、そこの救う権力や金持ちである。残念、これも比較的新しい。カエルときの動線だから、古池でいいのだ。まぁ、これでもいいかもしれない。

しかし、しっくりこない。そもそも蛙(かはず)である。やっぱり古池である。そして、水(みず)である。そう、時は17世紀。活況に湧くのは、相対的に見て江戸よりも大坂。そして、茶屋四郎次郎や島井宗室的な政商の部類ではなく、年貢米を媒介とした金融業や、その他、銀山や開墾業、土建業こそ成長産業である。そう、金融である。堂島である。米を武家から買ったことにして金の貸し借りを行う業種が市場を席巻し、そこに大小様々な武家が何も考えずに見ずに飛び込む。いや、古池である。そう、飛び込んでいるのは、町人や商人である。かつて手足もない物言えなかったお玉杓子であった「蛙」が、武家権力という大きな古池に、米を買わないで金融業をするという、現在でも賛否の分かれる水商売に、いざ鎌倉と言わんばかりに飛び込んでいくのである。

そういえば、松尾芭蕉を始め、社会が大衆化する前のアーティストはたいてい、パトロンがいるもので、彼も商人などを門弟として彼らに教えながら支援を受けていた。そうして、構築した庵の裏を詠った歌こそ、この名句である。自らの業績の裏には、そうした事情があるというまさに、市場社会様様ですねという、芭蕉の自重の思いこそ、この名句なのはないか。

折しも17世紀はとは、意味深な時期である。シェイクスピアを代表格とするイングランド・ルネサンスや、レンブラントなどのオランダ黄金時代と時を同じくし、少し前にはフランドルやドイツでの北方ルネサンスやルターの宗教改革も記憶に新しい頃である。

松尾芭蕉といえば、木曽義仲への同情の歌や、隣の物音から想像できる諸々の感情が気になってねれないというムキムキインテリな感覚が先行しがちだが、いやさ、“古池や蛙飛びこむ水の音”が意味するのは、商人の先物取引の話を聞いて想像力がたくましくなって、「お前ら魚に食われるなよ」みたいな市民社会寄りの歌なのである。道理で他の歌よりも野太い保守的な感覚が抑え目なわけである。まさに、レンブラントの“夜警”と何かしら重なる気がする。

PAGE TOP