小学校といえば何を思い出す?

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高学年(5、6年)の時の先生かなあ。


みんなが、休み時間のたびに
校庭であそんでたけど、
わたしは別に遊びたくないから、教室や図書館にいた。
「勉強ばかりしないで、遊べ」
って言われるのが嫌だった。


その先生は、体育の先生だったけど、
「ぴょんは勉強が好きだから、運動したくないんだろ」
が口癖だった。

勉強が好きなわけではなかったけど、
確かに、鉄棒や泳ぐ練習なんか、したくなかった。
体育の授業なんて、楽しくなかった。


今なら考えられないだろうけど、
食べるの遅いし、嫌いなものだらけで、
給食を時間内に食べ終わらないから、
廊下に机を出して、最後まで食べさせられた。
学校が終わる時間まで、かかったこともあった。


当時から忘れ物が多かったわたしは、
毎日記録する忘れ物数が、毎週1番で、
月曜日になると、その罰で
塩ビパイプでお尻を叩かれていた。
かなり、本気だから、痛かった。


集合写真とかの時、わたしは笑わなかったから、
「ぴょん、胸張って! 笑え、笑え!」
って、隣に立って、いつも言われてた。


他の生徒には、厳しいけど、優しいのに。

わたしは嫌われてる、と思ってた。



親の勧めで中学受験組だったけど、先生は反対した。
わたしのすること、何でも気に入らないんだ、と思った。


親が決めた、いくつかの候補の女子校は、
当時トップクラスだった。

興味がないので、1校選び、
「その1校しか受験しない」
と三者面談で伝えた。


合格発表の日、無事に合格して、学校に連絡を入れた。

登校すると、先生が駆け寄ってきて、
「ぴょん!よくやったなあ!すごいよ、さすがぴょんだ!おめでとう!!」
と涙ぐみながら、頭をわしゃわしゃして、抱きしめてくれた。




先生が心配して、滑り止めをいくつか選んでくれてたこと。

ぴょんなら、公立に行って勉強したら、東大にだって行けるから、と受験を反対してたこと。

後になって、親から聞いた。




上や教育委員会とぶつかっても、生徒のことを1番に考えている先生だったよ。



五十嵐先生、元気かな。






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