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   沖縄タイムス社  1,800円+税
   2019年3月28日 第1刷発行

 オリオンビールの創業者で、沖縄の財界四天王のひとりと言われた具志堅宗精の評伝。
 沖縄戦で「生き残った」奇跡と、戦後の宮古群島知事、さらに不可能と言われた沖縄でのビール製造。幾多の逆境を「なにくそやるぞ」の不屈の精神で乗り越えた生涯と、その先駆的な企業理念を、同時代の日本・世界の動きと併せて描いています。

 具志堅宗精の人物像をウィキペディアから拾うと、次のとおり。
 1896年、那覇市垣花生まれ。島尻農学校(後の沖縄県立農林学校)を中退後、1918年、22歳で大阪に渡り造船所で働く。その後200円を貯めて沖縄に戻り、沖縄県警察部に入職し、沖縄戦までに沖縄県内の警察署長を歴任する。
 那覇警察署長時代の1945年4月、沖縄戦の爆撃で警察署も壕へ退避することになると、具志堅は部下の若い隊員に命じてデパートの焼け跡から米やメリケン粉などの物資を繁多川の壕と亀甲墓まで収集させる。同年6月、沖縄戦で沖縄本島に上陸してきた米軍に警察署を包囲されると、具志堅は部下を投降させて自分は自決しようとし、持っていた拳銃の引金を引いたが不発に終わり、部下とともに投降して捕虜になる。
 戦後は沖縄民政府の知念地区警察署長を務めた後に退官し、宮古民政府知事(宮古支庁長)に就任する。
 知事退任後は実業界に入り、1950年に具志堅醤油合名会社(現:株式会社赤マルソウ)を設立。57年には沖縄ビール株式会社(現:オリオンビール株式会社)を創業し、ビール販売の県内シェア1位を獲得することに成功する。
 60年、沖縄整肢療護園(現:沖縄南部療育医療センター)初代園長に就任したほか、58年から79年までの約20年間、沖縄社会福祉協議会会長を務めるなど社会福祉事業にも貢献した。
 79年、83歳で他界。

 玉城英彦の著書は、2008年に「恋島への手紙 古宇利島への想い出を辿って」を読んで以来2冊目となります。著者は古宇利島出身で、長く北海道で国際保健医学を研究してきた人物。「恋島……」では故郷への想いを書き綴っていたのに対し、この著作では具志堅宗精の自叙伝を著者なりに咀嚼し、当時の世情などを付け加えて新たな一代記のような仕立てにしているものになっています。
 しかし、そのほとんどが他の書物から引用して表現を柔らかくしているだけなので、読んでいて新鮮味が感じられないのが残念なところ。少しでもいいから自ら関係者を訪ねたりして、新事実などが加えられていればよかったのにと少々残念です。
(2021.9.12 読)

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