【1位は国産初のスペシャリティーカー】
いよいよベスト3の発表。
第3位:ランボルギーニ・イオタ
ボディ・デザインはスーパーカーの魁であるランボルギーニ・ミウラのものを流用したかに見えるイオタ。本来はレース用に開発されたものだった。
かつて本物のイオタは世界に3台とか4台しかないとか言われてきたが、「JOTA」(イオタ)というエンブレムは存在しない。言わば「幻の車」。
1960年代後期、ランボルギーニ社のテストドライバーだったボブ・ウォレスは、新たなスポーツカー開発のため、レース用実験車両「J」を製作した。しかし会社はレース参戦を禁じていたため、Jは本社近辺でテスト走行をされることになる。
それを見たミウラのオーナーたちが、ミウラをJに改造すべく、ランボルギーニ社に車を持ち込み、10台前後の「SVJ」が誕生した。これは後にイオタと名付けられた。
「SVJ」とは「ミウラP400SV改イオタ」の略(だと思う)。ミウラP400SVはミウラの最終型で、ライトナセルに「まつ毛」がない。
昔、世界に数台しか本物はない、と言われた、その数台はこの10台の生残りという訳。
本物のイオタ「J」はテスト走行終了後、資産家に売却されたが、その資産家が走行中に大事故を起こし、Jは大破して廃車となった。ボブは二度とJを製作しなかったから、真の本物のイオタは大破したこの一台のみ、ということになる。
とは言え、公式データも存在することから、少量、レプリカ的イオタが市販されていたものと思う。岡山県在住者のイオタもこのイオタだろうか。
ミウラと大きさはあまり変わらず、重量も数十キロ位の増量。しかし総排気量はかなり少なく、3929CCとなっている。
最高出力は385aps( 440psとも)、最大トルク40.7akgmと、ミウラよりは向上しているから、最高速度もミウラよりは速くなっているものと思う。
実車写真はスーパーカーカードか何かだったように思うが、ネットでの拾い物。
ミニカーは1/43が京商で、トミカサイズのものがトミカプレミアム。京商のイオタの造形は「最高」と言う他ない。車高の低さ、ワイド感、ボディライン等完璧。後部が開閉するからエンジンを見ることもできる。
トミカの方も後部が開閉するものの、ライトが再現されてなくて、ライトカバーだけだから今一つ。アマゾンで購入時は、掲載写真ではライトがあるように見えたのだが、やはり1/43以上のサイズでないと再現し難いのだろう。
第2位:ロータス・ヨーロッパSP(スペシャル)
この車は「サーキットの狼」の風吹裕矢の愛車の記事で散々解説したから、説明は不要と思う。イオタよりも更に地を這うような車高とデザインで、コーナリングが群を抜き、1600CCクラスで世界最速の最高速度209キロを誇った。
SPの実車写真は風吹裕矢の愛車の記事時のものとは違い、倉敷市で開催された「クラシックデイズin鷲羽山」でのもの。写真の白いヨーロッパも同じカーミーティングでのものだが、SPよりも年代が古いもので、恐らく前期型「S2(シリーズ2)」(タイプ54)だと思われる。
初代ヨーロッパが昭和41年に発売されたS1(タイプ46)。ロータス初のミッドシップ・スポーツカーだった。提携していたルノー16の4気筒OHV で、1470CC、82PS、という、一見スポーツカーとしては見劣りするエンジンを搭載していながらも、車重が610kgと軽量だったため、軽快な走りを見せた。
ただ、使い勝手は悪く、例えばウィンドウは取り付けるか、取り付けないかの二者択一。だからちょっとだけ窓を開ける、ということができない。それはレーシングカーのようでもある。そんなこともあり、母国イギリスでは販売されなかった。
昭和42年には一般的なロードカー、S2が発売され、パワーウィンドウ、スライド式シート、ラジオも装備された。
エンジンの性能も大きくは変わらなかったが、総排気量が1565CCとなったものの80PSになっている。
昭和45年、S2は後期型(タイプ65)になり、リヤは前期型と変わらないが、フロントにSPと同じ丸型ウインカーが付いた。
翌年、外観はSPと見分けがつかない「ツインカム」が登場。ここで初めてロータスツインカムが搭載される。最高峰、SPが登場したのは昭和47年だった。
ミニカーも風吹裕矢の記事時とは異なり、1/43が「ホンウェル」のカララマ・ブランドのSPで、1/64が京商のロータスコレクションのS1。前者は以前紹介したポルシェ904カレラGTSのような、ライトが片方ないとか、ドアが開き難い、ということはないが、トランクが開かない。
カッターナイフでも差し込めば開くと思うが、塗装が剥げそうで怖い。やはり中国メーカーの売価500円は安かろう、ちょっと悪かろう。
それでもこのミニカーは私が持っている1/43サイズの中では一番気に入ってて、造形は優れている。更にタイヤが曲がるギミックもある。落ち着いたカラーリングもお気に入り。
ウィンドウは半分開いたまま固定されているが、ここに爪(指か)を掛けてドアを開けるようになっている。車内も一般的な1/43モノより精巧。
京商の方も造形等優れている。ただ、同社の「サーキットの狼」仕様のSPよりは小さい。サイズ感は合っているんだろうか。
第1位:セリカ1600GT(ワンテール)
並み居る外国のスポーツカーを抑えて、堂々の1位となったのは、国産車初のラグジュアリー・スペシャリティーカー「ワンテール」こと、第1期型初代セリカ1600GT。
トヨタではコロナで培った手法、量産車をベースにして、スペシャルなボディを造り、低価格で販売する、その方法を更に進化させ、ラグジュアリー・スペシャリティーカーを誕生させた。
それがカリーナとシャーシやパワーユニット等を共用し、斬新なボディを載せて昭和45年に発売したセリカだった。キャッチコピーは「未来の国からやってきたセリカ」。
販売法としては、外装や内装、エンジンやミッションに至るまで、全てをフルチョイスできるセミオーダー・システムを取ったが、その組み合わせは何百何千通りにも及ぶ。まさに自分だけの車ができたのだ。
ただ、最上級グレードのGT(他にET、LT、STがあった)は、1588CCのDOHC4気筒エンジンの5速ミッションしか選べなかった。最高出力115ps/6400rpm、最大トルク14.5kgm/5200 rpmだった。
初代セリカはダルマと呼ばれたが、これはフロントバンパーがボディと一体型のため、それがだるまのヒゲに見える、という説と、サイドのシルエットがだるまのシルエットに似ているという説がある。後者の説を取るとリフトバック(LB)はダルマではなくなる。私はその説を支持する。
私の初代マイカーは昭和47年にマイナーチェンジを行った1600GT(第2期型)だったが、テールランプとウインカーが分かれていたため、ワンテールじゃない。
2回目のマイナーチェンジでダルマGTは2000CCになり(第3期型)、マーカーライトもリフトバックと同じ形状になった。
実車写真は憧れのワンテール。外観はピカピカの新車並み。撮影地は四国。
ミニカーは私が唯一持っている1/24サイズのもので、メーカーはホワイトボックス。ギミックはドアの開閉のみだが、これもカッターでも使わないとドアが開き難い。
更に車内のメーター類がシール。売価が4,000円台と安かったからか。それにしてもあんた、あんまりじゃあ~りませんか。やっぱり安かろう、ちょっと悪かろう。
次回、世界の名車MYベスト10シリーズは番外編を投稿予定だが、その前にアニメがらみの旧車記事を書くかも。
下のバナーをクリックして欲しいじゃあ~りませんか。