トイ・ストーリーと玩具論 | ANIREISHA~アニメ、霊的スポット、旧車等~

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【玩具の霊が現れた?】

今日の未明に投稿した記事のアニメ映画「バズ・ライトイヤー」は当初、観る予定はなかった。しかし先月、金曜ロードショーで「トイ・ストーリー4」を見てから、気が変わり、トイ・ストーリー関連アニメを全て観ることにした。

 

記憶が曖昧だが、トイ・ストーリーの1と2はビデオで見たように思う。それだけ面白かったことだと思うから、本来なら3以降は、映画館で観るはずだったのに、なぜか観に行かず、DVD等も購入してなかった。

 

今思えば、2から3までの映画公開までの期間があまりにも長過ぎたため、1と2の面白さを忘れてしまい、「児童用アニメ」だと勘違いしたためじゃないかと思う。

しかし2010年代、3をテレビのロードショーで途中からだったが、見た時は感動し、先月4を見た時、世界中のアニメ作品の中で唯一、子供の目線に立っているのは、トイ・ストーリーだけじゃないかと思った次第。

 

特に4は人間の子供にとっての玩具としてではなく、玩具自身にとって、何が幸せなのか、という斬新な視点で描いていたところが良かった。これは前述の記事の中で触れたLGBTQIA+の尊厳にも通じる。

 

 

が、改めて考え直してみると、「玩具にとっての幸せ」も所詮、大人の人間の発想。そもそも玩具に心はない。心があるように見せかけているのは、大人による子供への情操教育のために他ならない。

また、玩具は企業の営利活動による産物だから、本来、企業側としては、どんどん消費者に玩具を消費して貰いたいはず。つまり、新しい玩具を次々と買って貰いたい、ということ。しかしこれは「物を大切にしない」ことに繋がり、情操教育の観念からはかけ離れる。

 

 

ところで、トイ・ストーリー3やトイ・ストーリー・シリーズの前身「ティン・トイ」では、乳幼児を玩具の扱いが乱暴な怪物のように描いているが、乳幼児に静かに遊ばせることがそもそも無理な話。

 

日本やアメリカ等の玩具には、3歳未満の子供には与えないようにとの注意書きがなされているものがある。逆に言えば、その注意書きがない玩具は少々乱暴に扱ってもいいことになる。

では、そういう乱暴に扱われる玩具は、その行為をどう思っているのか。これを考えれば、トイ・ストーリーの玩具論に矛盾が生じる。2歳以下の乳幼児にも当然、玩具で遊ぶ権利はあるから、それに相応しい玩具が必要。

 

 

 

 

 

もちろん、トイストーリーの主要登場人物のウッディやバズ、ポテトヘッド、ボー・ピープ等は皆、小さな部品が外れる可能性があるため、2歳以下の子供に与えるべきじゃない。

 

 

余談だが、ボーというキャラクターは本来存在せず、バービー人形になるはずだった。しかしトイストーリー1の製作段階では、バービーの版権元が、トイストーリーのヒットに懐疑的だったため、許諾しなかった。だからボーというオリジナルキャラクターを作るしかなかった。

ウッディも本来、登場する予定はなかった。元々、主人公は「ティン・トイ」の主人公、ティニーになる予定だった。しかしバズ・ライトイヤーの登場が決まると、それと正反対の性質のキャラクターが必要になり、宇宙とは真逆の西部開拓時代のカウボーイの人

 

 

形に決まった、という訳。

 

因みにトイ・ストーリー4のブラインドパッケージの12種あるフレーム・マグネットの内、シークレットはティニー。

 

 

シリーズ1では、ウッディは乱暴な子供に対して、怒りの表情を見せ、子供を怖がらせたが、実は私も園児時代、夢で同じような体験をしたことがある。

その夢の中で、私は当時遊んでいた玩具を一つずつ手に取り、顔を近づけていくと、玩具によっては、怖い表情をした顔が現れる、というもの。

 

仮面ライダー等のソフビ人形の顔は変わらなかったが、積み木の一つを取って顔を近づけると、積み木に、目と眉を吊り上げた怒りの表情をした顔が現れた。

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それ以来、積み木を放り投げるようなことはせず、大切に扱った。しかしなぜあんな夢を見たのか。本当に玩具にも心があり、玩具の霊が霊夢となって現れたのだろうか。

今は当然、園児時代の玩具はないが、小学生時に買った玩具としては、ミニカーが5個前後残っている。添付写真のワーゲン・ビートルのファニーカー(マッチボックスだったか?)は、塗装の剥がれた箇所も殆どなく、きれい。このミニカーには感謝されていることと思う。

 

 

一方、トミカのポルシェ911Sの方は、ある程度塗装が剥げていて、一体化したフロントガラス、リヤガラス、サイドガラスがなくなっている。

 

 

これはこの近くで車のプラモのフェンダー部を内側からローソクの火であぶり、オーバーフェンダーのようにしていたところ、誤って隣に置いていたポルシェの各ガラスに相当するアクリル部に熱が伝わってしまい、変形したため、取り外したもの。その時ポルシェは「アツーっ!おのれは、なんちゅうことしてくれてんねん!」と怒ったことだろう。

と、言うことで、玩具の霊に襲われたくなかったら、玩具を大切に扱おう (まとめが変)。

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