【なぜ女性は男の誤解を恐れないのか】
髪留めであるシュシュを時折、ミサンガかブレスレットのように手首にしている若い女性がいる。「スイートプリキュア」でも確か奏(キュアリズム)が響(キュアメロディ)に、柔道の試合の御守り代わりにシュシュを貸す約束をしていて、奏がシュシュを手で広げているシーンがあったと思う(第 8 話・チャララーン! セイレーンのニセ親友大作戦ニャ!)。
世の男たちはシュシュを手に巻いている女性を見るたびドキッとして、「あのコ、またパンティーを手に巻いてる」と、つい思ってしまう。しかし次の瞬間「いやいや、あれはシュシュや。」と納得する。
が、シュシュとは分かっているものの、頭のどこかで、「あのコはあんな柄のショーツ、穿いてるんや。」と思ってしまう。因みに奏のシュシュは、レモンイエローに濃いピンクの水玉模様。奏は性格がおしとやかな分、下着の方は派手に・・・、と思ってしまうのだ。
人前で女性が手首にショーツを巻くことなんかあり得ないのに、毎回男は瞬間的に誤解してしまう。一度誤解してしまうとその記憶が脳に刷り込まれてしまうため、同じ光景を見るたびに同じ発想をしてしまうのだ。所謂パブロフの犬現象。
そんなこと考えたこともない、という女性が大半だと思うが、よく思い出して戴きたい。入浴時、脱いだ時のショーツの状態を。くるくるっと丸まった感じが、シュシュと瓜二つであることに気づくことだろう。そして各種シュシュの色や柄もショーツっぽい。
このことをこれまで、シュシュを手にしている女性に指摘したことはないが、女性の側は男の目を気にしたことはないのだろうか。「私、こんなショーツ穿いてるのよ。」と言っているも同然なのに。
いつか機会があればこのことを当該女性に聞いてみたいものだが、変質者扱いされることと思う。
余談だが、シュシュと言えば思い出すのが、特撮ヒロイン・東映魔法少女シリーズ(フジテレビ時代のシリーズ)最終作品「有言実行三姉妹シュシュトリアン」。尚、このシリーズを「東映不思議コメディーシリーズ」内のシリーズと見る向きもある。
お酉様によってある三姉妹がシュシュトリアンに変身する能力を与えられて、怪人たちを倒していく、酉年のヒロイン。怪人を倒す前、必ず諺を言ってポーズを決める。
「シュシュ」には「可愛い」という意味もあるから、「シュシュトリアン」は「可愛い酉年のヒロイン」という意味になる。「アン」は字面の雰囲気的なもの。このシリーズの原作者は石ノ森章太郎。
シリーズ一番人気の「美少女仮面ポワトリン」は東京等で主人公の演者本人(アイドルだった)が演じるショーが開催されていた位だから、シュシュトリアンも開催されていたかも知れない。
尚、セーラームーンのコスチュームは、ポワトリンを参考にしたのではないかと言われている。
因みに魔法少女シリーズは関西では関テレではなく、サンテレビと京都放送で放送していた。
♪金毘羅船々(こんぴらふねふね) 追風(おいて)に帆かけて
シュラ シュシュ シュ♪(?)
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