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邦画 巨匠の映画評

【巨匠の映画評】『君の膵臓をたべたい』 ツッコミどころが多すぎて逆に戸惑うぜ

更新日:

邦画に手を出すも…

編集者のあんちゃんが「巨匠、洋画ばかりじゃなくたまには邦画なんかもいかがでしょう? サイトに若い女性も取り込みたいので、是非こういった映画も」なんて言うもんだから、オイラも面白そうなタイトルに釣られて何の気なしに見ちゃったんだけど、これがひどい代物でさ。

週末の2時間を無駄にした挙句、例のAmazonプライム・ビデオでの視聴だからWi-Fiの通信量も食っちゃって腹が立って仕方がなかったんだけど、逆に考えれば映画館なんかで金を払ってまで見ずに済んだことを幸いとすべきかもしれないね、この『君の膵臓をたべたい』という映画は。

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もうツッコミどころが多すぎてどこからツッコんでいいのかも迷うくらいだよ。モグラたたきゲームで全部の穴から一斉にモグラが顔を出してきたようなもので、逆にどれをたたいていいのか戸惑ってしまうという、そんな感覚だね。なぜそんなにツッコミどころが多いのかと言えば、結局は映画で最も重要な人物造形の拙さに収斂される。

この作品は主人公が高校時代を振り返るという青春物語なんだけど、主人公の志賀春樹が他人に興味がない友達ゼロの根暗な男で、ヒロインの山内桜良が膵臓の病気で余命が僅かなクラスの人気者という、今時中学生でも避けるような手垢の付きまくったキャラ設定と関係性でさ、もうそれだけでオイラは逃げ出したくなっちゃったよ。

ヒロインは新型のダッチワイフかよ

しかし何で日本の青春映画はこうも難病が好きなのかね。難病を扱うなとは言わないけど、扱うなら既存の作品にはない切り口にしてくれないとさ。この映画は切り口はそのままに、その上切った断面が全く粗いんだ。

このクラスの人気者という桜良がなぜか根暗な春樹に一方的にご執心になっていくんだけど、そのきっかけが「落とした日記で自分が近いうちに死ぬことを知られてしまったから」というもので、それだけじゃいかにも動機付けが弱いから、いや春樹に対するこのストーカーじみた桜良の異常行動には別の理由があって、それがこのクソ映画の印象を180度劇的に変えてくれるはずだと辛抱強く眺めてたら、やっぱり最後の方で別の理由が明かされる。それが「前から気になってた」だよ。もうズッコケちゃったよ。

高校生なんて見てくれだけで人を好きになっちゃう年頃だけどさ、これは映画なんだから。惹かれた理由が例え直感のようなものであっても、それを裏付ける理屈を担保してくれなきゃ見る側は肩透かしを食らうだけで、桜良がなぜそこまで春樹に対して異常な好意を抱いたのかを物語の進行と濃く絡み合うような理由にしないと、いくら後に2人の交流エピソードを見せられてもその土台が薄っぺらくしか描かれていないから、桜良が春樹に強く迫れば迫るだけ、ただの気味の悪い女にしか見えてこない。

いや本当にこの桜良が新型のダッチワイフかっていうくらいに一面的で人間らしさが見えないからね。ただ台詞と表情があるだけで、その裏にあるはずの病気に対する苦悩や葛藤といった人間的な側面が極めて薄いんだ。終始ハイテンションな内面レベルのまま死んでいくから、死んでも「うざい女がやっと画面から消えてくれたぜ」とホッとしたくらいだもん。

一応苦悩するシーンはあることはあるんだ。でもその絶対量や描写の質が圧倒的に乏しいわけ。桜良が生きている間はそれらしいことを臭わすだけで、ほとんどは死んだ後に日記の文章と映像を合わせて「あの時は辛かった」的な種明かしをしていくんだけど、その日記の文面も「へー、そうだったのか」と思わせるような意外性が微塵もないから種明かしにもなっていない。

本当はそういった弱さや葛藤をもっとメインに据えて画面でじっくりと見せなきゃいけないのに、それを脇に置いたまま童貞のオッサンが漫画から得た知識で書いたような月並みな疑似恋愛エピソードばかりを並べ立ててくるんだから、もう頭が痛くなっちゃうよ。

昭和期の少女漫画を臆面もなく再現

桜良が死ぬまでにしたいことを春樹に手伝わせるっていう体で2人の交流が描かれるんだけど、例えば旅行先の博多のホテルに泊まるシーンで、2つ部屋を予約していたのにホテル側のミスでより豪華なスイートルーム1部屋に変更されるっていう、昭和期の少女漫画で使い古された展開を臆面もなくやってのけちゃう。開いた口が塞がんなかったけど、この映画は一事が万事そういった既視感バリバリのエピソードを惜しげもなく晒してくるんだ。撮影中に「監督、恥ずかしいから止めましょう」って制止する人間はいなかったのかね。

何だかこの2人に割って入ってくる委員長の元カレの扱いは雑だし、特にひどいのは桜良の親友の恭子だよ。この恭子は元々友達がいなくて、そんな中で唯一話しかけてくれた桜良によって救われたらしいんだけど、この恭子が桜良と親しくなっていく春樹に嫉妬して、「何でアンタみたいな地味なヤツが桜良に近づくの」的なことを言うんだけど、元々お前もそんな地味で友達のいない境遇で苦しんでたんだろ。

主人公であるはずの春樹も桜良に言われたことだけをする主体性のカケラもないポンコツ男で、コイツが主体的にしたことと言えば桜良の病院と葬式に行ったことだけだからね。主人公ならもっと働け、コノヤロ!

こんな人間性のおかしな連中が集まって話が進んでいくものだから、どんな展開や台詞をかまされたって何も心に響いてこない。そして最後は12年後に話が戻って、春樹と恭子が友達になって終わるという何だか焦点のズレた締め方になるんだから…言葉がないね。

これは小説が原作らしいんだけど、この作者はリアルな恋愛をしたことがあるのかと疑問に思うほど人物描写がステレオタイプに過ぎている。自己の経験を源泉とするような生々しい肉感が皆無なんだよ。実は本来の小説はまだまともで無能な脚本家によって改悪されたという可能性もあるかもだけど、オイラは知る由もない。

監督も脚本がひどいなりに何とかして欲しかったけど、何とかした上でこの出来だったら、それも考えものだね。そういや演出も褒められたものじゃなくて、桜の木を撮っておけば綺麗な映像に見えると勘違いしちゃってる。もっとオイラの映画を見てタキノピンクを勉強してほしいぜ。映像にもちゃんと道筋があって、無造作にカットを入れるだけじゃダメなんだよ。

監督タキノが撮り直すなら

ただこんな穴だらけの蜂の巣のような映画にも唯一見るべきところがあった。それが桜良が病気で死なず、通り魔に殺されて難病の余命すらも全うできなかったというアイデア。

このアイデアはなかなか斬新だなとは思ったんだけど、残念ながらこの映画は通り魔の伏線が全くなくて、前半の「人はいつ死ぬかわからない」という台詞の回収にしか使われていないから、いいアイデアなのに要領を得ないものになっている。

監督タキノが仮にこの映画を撮り直すとなれば、このアイデアを物語の軸に持ってきてだね、桜良をもっと落ち着いた普通の子にして、そんな彼女が慎ましくも健気に春樹に恋をしながらも先のない2人の未来や病気の辛さに耐えかねて、難病での寿命を迎えるまでに自分で命を絶つみたいな、若い女性が自死に至るまでを深く突き詰めた作品にするね。

まあ色々と語っちゃったけど、結論としては自分の行為とは矛盾するようだけど、いい大人が真面目に語るレベルの映画じゃないよ、これは。

でもこんなどうしようもない映画に客が入っちゃうんだから、日本の映画界の凋落は見る側の感性の鈍さにも原因があるのかもしれない。青春難病映画に顔のいい男女を放り込んでおけば儲かるんだから、リスクを犯してまで挑戦的な作品を生もうとは思わないし、生める人材もいない。

日本のストーリーテーリングの才能を持った人間はみんな漫画に行っちゃうからね。一流どころは無理だろうけど、少し燻っているような若い漫画家をどうにか引き抜いてだね、じっくりと脚本を書かせるとかにしないと、ますます邦画は世界に置いていかれるよ。

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