昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

悪の論理。

 強者が弱者を追いつめて悪事に走らせる。これを悪の論理と言います。無論私の勝手な雑言ですが、暇のある方はお読みください。

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 悪の論理は社会の至る所で実践されています。また、この論理は狭義には狩猟をする動物全てが持っているもので、おそらく人類はこの論理を長い狩猟時代の間に学んだものと思われます。
 人も動物もそうですが、彼らが単独で狩猟をする場合は待ち伏せや不意を衝いて獲物を捕らえるというのがその一般的なやり方です。しかし、複数での狩の場合は獲物を自分達にとって都合の良い場所へ追いつめるという方法を用います。そして当然追いつめる先には、仲間が待ち構えていたり、罠や落とし穴や絶壁があったりするわけです。

 悪の論理は、元元は獲物に対してのものです。しかし、人はこれを人に対してもいつの頃からか用いるようになっています。例えば、近いところでは北朝鮮への圧力制裁というのがそれと見えます。この狙いは、国連の場で北朝鮮に圧力をかけ、北朝鮮が国連から脱退することを促し、北朝鮮を世界から孤立させるというものです。しかし、北朝鮮は嘗ての日本が国際連盟から脱退したようなことはしませんでした。それは、アメリカの悪の論理を知っていたからでしょう。
 ただ、それにつけてもこの場に日本が居て北朝鮮に圧力をかけたことを思うと、因果はめぐると言うか歴史の皮肉と言うか、…
 それにしても「明日は我が身」と言いますが、この時の日本は「昨日は我が身」とは考えもしなかったのだろうか。

 嘗て、日本はアメリカの悪の論理に負けて真珠湾を攻撃してしまいました。この攻撃によってアメリカはドイツへの攻撃権を得、第二次世界大戦終戦へと導くことが出来たのです。結果としては、めでたしめでたしという事ですが、実は同時に悪の論理の優秀さが証明されたという事でもあるのです。

 さて、悪の論理は強者が弱者を追い詰める為の論理つまり強者の論理です。そして、その強者の論理で世界は動き歴史は書かれています。つまり、強者にとっては強弱の関係を善悪の関係に置き換えることはいとも容易なことなのです。つまり、日米を善として、北朝鮮を悪とする。ここに強者の論理、悪の論理の真骨頂があるのです。
 こうした観点から金正男の暗殺やシリアのサリンを省みた場合、これまでとはまるで違った事実関係が見えてまいります。

 強者の論理でしか動かないアメリカや日本の社会、正にサイレントプアの社会としか言いようがない。しかし、サイレントプアの時代は終わりを告げるかもしれない。北朝鮮の核ミサイル、これはサイレントプアの悪の論理に他ならない。弱者が強者に悪の論理を仕掛けたのである。そして、日本はこれに負けてしまっているようにも見える。
 そもそも日本は世界で唯一の核の被爆国です。本来なら日本は世界が目指す核廃絶運動の旗頭とならねばならない国です。しかし、日本はこの運動に参加しないばかりか核廃絶の署名さえ拒否している。もしこれが北朝鮮の核保有に対しての皮肉の表現だとしたら、正に北朝鮮の悪の論理に負けたことに他ならない。
 それにしても、核廃絶の署名を拒否する日本が、一体どのような面で北朝鮮に核放棄を迫るのか、霞ヶ関幼稚園のお猿の面をつけての政治お遊戯としか言いようがありません。
 それにしても、日本くらい悪の論理に弱い国はない。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。