昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

ノーベル賞と平和。

 今年も早やノーベル賞が噂される時期となりました。去年のノーベル賞、私のブログ並みで終わったようですが、日本がこの賞の複数の受賞者で沸き返った時に書いた記事がございます。暇ならどうぞお読みください。誠惶誠恐、頓首頓首。

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 今年度、日本人のノーベル賞受賞者数が二十何人かを越え、ニュースが軒並みに日本人の優秀さを讃えています。しかし、残念なことに、この背景に日本国憲法の平和があることを誰も取り上げようとはしていない。

 日本は戦争を放棄した平和国です。したがって、軍隊も無ければ徴兵制度も無い。ある意味では無防備な国ともいえます。しかし、基本的人権の自衛は可能であり、必要最低限の武装は可能です。実際そうなってもいます。そして、その必要最低限の武装であることが基本的人権の無視を引き起こす徴兵制度、若者の自由な発想を崩壊させる徴兵制度を見送らせているわけでもあるのです。

 聞けば、世界の徴兵年齢は二十歳前だといいます。心身ともにまだ未完成の時期に軍隊という異常な世界に学業を中断させてまで放り込む、それが徴兵制度です。
 今日の軍隊は、かってのバンジュン・アチャコ二等兵の時代とは違っているかもしれません。しかし、人としての矛盾即ち基本的人権の無視を強いる仕組みは何ら変わってはいません。それが軍隊というものだからです。そして、こうした仕組みの中で若者がどのようになってしまうのか、ベトナム戦争が既に教えていることです。つまり、戦後の日本人はこうした仕組みとは何のかかわりもなく勉学や仕事に励み有意義な活動し続けることが出来た。その成果が今日の受賞につながっているのです。

 戦後、日本の経済は朝鮮動乱をきっかけに大きく成長を遂げました。しかし、それだけでは先進大国アメリカにジャパンバッシングを引き起こさせるほどの急激な日米経済摩擦の肉迫感を与えることは出来なかったでしょう。しかし、アメリカは1965年よりベトナム戦争に突入しています。その結果アメリカの若者は徴兵且つ戦場という内憂外患の精神状態に追い込まれたのです。それに比べて、日本の若者は何の不安も無く学園や職場でそれぞれの学業や仕事に没頭していました。未来を担うこの二つの若者達の違いが、日米の明暗を分けることに不思議はありません。

 日本が大国アメリカに追いつきそしてある意味で追い越せたのは、アメリカが十年にわたって未来を担う自国の若者を戦場に追いやったことにあります。ベトナム戦争の開始が1965年、終結が1975年、そしてジャパンバッシングの始まりが1980年、日米それぞれの若い実が結実するに要するちょうど良い時間がここにはあります。

 ところで、教育水準の高い人口一億をこす国が世界にどのくらいあるのでしょうか。しかも、且つ徴兵制度の無い国となるとどうでしょう。日本のノーベル賞受賞者、決して多いとはいえません。

 先だっての戦争法案可決によって、自衛隊員に不足が生じるようになった場合、国は徴兵制度を敷くのだろうか。もしそうなったら、日本のノーベル賞受賞者、もしかしたら日本は韓国並みのあるいいはそれ以下の国になるのかもしれません。

 

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なぁーんも なぁーんも
寛容 寛容
へば 寛容

何事も寛容寛容へば寛容、誠惶誠恐、頓首頓首。