昭和は遠くなりにけり

古代に思いを馳せ、現在に雑言す。・案山子の落書・

TPPのゆくへ。

 今となっては反古のような記事ではございますが、当時は六無斎といえどあれやこれやと考えて書いた記事でございます。消費期限表示はございませんので、いつでもお読みいただけます。

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 六無斎といたしましては、関税が無くなり物価が下がればそれに越したことは無いのですが、少々気がかりなことがございます。

 先ず、たとえ関税がなくなっても税関がなくなるわけではないと思います。そういたしますと、これら税関維持の諸経費はどのように負担することになるのだろうかと、余計な心配を早々いたしております。

 次に、自由貿易とは言っていますが、これはある意味では無差別級競争の仕組みにも受け取れます。
 そもそも、自由とか平等といった言葉は非情に重宝なものでして、日本国憲法同様権力者の思うように色々と解釈が可能な言葉なのでございます。自由貿易下では経済大国も発展途上国もありません。関税をなくせば弱肉強食の様相を呈することになります。EUにおけるギリシャが、先進EU諸国並みの生活水準を求めた結果、借金地獄に陥ってしまったことは耳に新しいことでございます。
 しかし、それにもかかわらず、この交渉には何故か発展途上国も加わっているとか。おそらく、中国よりは有利になれると計算してとのことと思われます。しかし、仮にうまくいったとしても、今の中国が抱えている悩みを引き継ぐだけの事となります。物造りの技術は進歩せず、資源やエネルギーを多大に使う持ち出しの多い輸出品しか造れなくなってしまうでしょう。陥る先はギリシャということでしょうか。
 さて、そういった場合どこの国がその負担をすることになるのでございましょうか。

 最後に、関税の撤廃の時期が品目によってまちまちであることも気になります。社会は日々変化しています。今日の状況が十年後の状況であるとは言い切れません。取らぬ狸の皮算用とか、来年のことを言うと鬼が笑うとか申しますが、かっての社会主義国家の十ヵ年計画のようにも見受けられます。こうした計画が思うように進行しなかったことは誰もが知るところでございます。それに何より、十年後に合わせて社会や経済そして生産の体質を変えてゆかねばなりません。どのように変えるか、それが問題です。
 おそらくは、現段階での有力産業に重心を移していくことになると思われます。したがって、偏った経済基盤が出来上がることになる恐れがあります。無論、それはそれでそれぞれが得意な分野を受け持つことになり効率がよくなるというふうに考えられなくもありません。しかし、それではあらゆる方向への可能性を秘めた社会の未来を著しく阻害することを覚悟しなければなりません。そもそも、社会の未来とは個人の未来でもあります。個人の未来を国家が勝手に決めてもよいものかどうか、疑問が残ります。

 思いますに、自由貿易の基本は、強いも弱いも自由に関税をかけあってその過不足を補う仕組みにこそあるのではないだろうか。それに、得意な分野とは結局は儲かる分野のことでしかなく、そうした分野は数えるほどしか無いのではないのか。

 はたして、いったいどこの国が儲からない得意な分野を受け持つというのだろう。

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皆様、儲からない仕事は全て他人に押し付ける皆様、
祈りの時がやってまいりました。

太った人には一日一善、
 やせた人にはヒッグス粒子を。
  毛のない人には神の恵みを、 … 与え給え。

結構でございました。

 なお、この記事ですが実はTPPとするところをTTPとしてしまった記事です。次回のこのコーナーにつまらない続きがあります。