無知の知
朝方、日の光がどこかに当たった反射で、部屋の中に虹の光が出来ます。
最近連続で見ているので、ちょっといい気分です。
これも「 心の奥を落ち着かせる 」をした効果かもしれません。
気持ちの良いキレイな光を見たり近くに感じた時は、神仏などの加護や恩恵があると言われていたりします。
単なる迷信や噂だと信じられないかもしれませんが、これを否定できないようなことがあったりします。
みなさんも、気にしてみてくださいね(^^
それで前回書いた「 心の奥を落ち着かせる 」ですが、早速現象がでましたので、その話をしたいと思います。
世間ではネットやスマホの普及により、自分の意見を簡単に書き込み出来るようになりました。
しかし、自分のストレスをぶつけるやり場にしている人も中にはいます。
それが社会問題になっているのは、ご承知の通りです。
それで私が頼まれて管理している、ネットのコンテンツにあるコメント欄で、あおるような書き込みがありました。
それは、あきらかに無知からくる内容でしたが、放っておくことにしました。
なぜ無知だと言えるかといいますと、その気になって調べれば手に入る情報だからです。
その情報は、私も関わっているのでいつでも論破できる状態でしたが、「 心の奥を落ち着かせる 」ことで、どのような結果が出るか試していました。
するとしばらくたって、その情報とは違う書き込みによって、あおっていた内容は否定され、無知を暴露された形になりました。
また別の人のあおりコメントもあり、こちらも似たような内容でしたが、こちらも無知からくるものでした。
こちらは先程とは違う、簡潔だけどコンテンツの主旨をよく理解した書き込みによって、あおっていた内容の底の浅さが露呈した形になりました。
それらが、あおった本人たちに返っていったのを、本人たちが気づいたかという確認はとれませんが、多くの人は見て判ると思います。
これらのようにあおりの内容に対して、そのままの情報の返答とは違う書き込みによって、相手に返っていったというのはとても面白いですよね。
それはつまり、それぞれに必要なことが返っていったということです。
あおりの内容は書けませんが、最初のはコンテンツの内容と本人の知識との比較によるもので、自分の知っていることが正しいという決めつけでした。
それを覆されたことにより、本人の情報収集能力や知識が足りていないことによる無知を知らされた訳です。
次のはコンテンツの内容ではなく、どちらかというと表示等に対するものですが、こちらも自分の知っていることが正しいという決めつけです。
ただこちらは、最初のものと比べると見ているところが浅く、深く見ているコメントによって、本人の観察領域の狭さによる無知を知らされた訳です。
本人たちが、ここに気づいていないなら同じことを繰り返すでしょうし、周囲からの評価もそれなりになって、益々相手にされなくなると思います。
できることなら、これらの書き込みから学んでほしいものですね。
無知を知って自分が無知であると心得ると、選択や行動などいろいろと変化するはずです。
みなさんも、これらと同じような無知をしないように気を付けてくださいね(^^;