知らないということ
ただいまゴールデンウィーク中ですが、コロナ変異型あり、地震あり、異常気象ありと、なかなか落ち着けませんね。
また変異型により、いろいろなところで制限などの影響がありますが、できる範囲でやるしかありません。
それで先日、ウィスルを不活性化するとされるUV( 紫外線 )ランプによる「 除菌ケース 」が、値下げしていたので試しに買ってみました。
効果は目に見えないので判りませんが、やった気にはなります(^^;
考え方は人それぞれですが、多くの人が昨年の例を今回に当てはめています。
私自身は、別物と考えて行動したほうがいいと思っています。
なぜなら考えがパターン化してしまうと、本当に危険なときでも同じ行動をしてしまうからです。
解明されたものならそれに沿えばいいですが、手をこまねいてる段階ではちょっと不安要素のほうが強く感じます。
いろんなウワサもありますが、判っていないことがまだまだありますので、注意してくださいね。
あとは後悔のない選択をしてください。
さて新型コロナについてまだ判ってないことも多いのですが、ワクチンについてもまだ判らないことが多くあります。
それだけでなく判っていないことというのは、世の中にはあふれるほど存在しています。
前回の動画でも、それを感じさせられたのではないでしょうか?
視野が拡がれば拡がるほど、心がフラットになればなるほど、今まで見えて( 観えて )いなかった部分に気づきます。
そのとき「 自分は全然何も判っていなかった 」と感じるはずです。
視野が拡がるほど多くの知識を得て理解すると思っていたのが、実は逆なんですね。
私たちが知ることのできるのはほんのわずかでしかなく、知らないことの方がずっとずっと多いのです。
つまり自分が、「 知らない 」ということを理解する訳です。
そうすると、何が起きるかといいますと「 謙虚 」になります。
おごることなく、我を通すこともなく、出しゃばることも無くなるのです。
しかし、へりくだることも、自分を抑えることも、控えることもありません。
なぜなら、自分が「 知らない 」ように、相手も「 知らない 」からです。
要は、自分も相手も「 同じ 」だということです。
ですから自分にも「 フラット 」、相手に対しても「 フラット 」に接します。
だからといって、誰にでもタメ口ということではないですよ。
「 知らない 」ことを知っている人は、きちんと礼儀もわきまえていますから。
そこは勘違いしないでくださいね(^^;