会心の一瞥
今年も例年通り、新年の神社巡りをしてきました。
そして昨日、恒例の名古屋春節祭も行ってきました。
それとは別に、昨日「 熱田神宮 」に用事があったので、ここぞとばかりに2回目の「 新年御垣内参拝 」もしてきました。
そしてある神社の御垣内参拝が、特別にできるのを偶然にも知ったので、そこも行く予定です。
今年は特にお参りする先々で、参拝中に風が吹き白い布がめくれたり、心地良い風が木々を揺らしたり、突然日が差したりなど、神仏が歓迎してくれているようなサインがありました。
それらにより、私が最近特に想っていることを、後押ししてくれるのではないかと感じています。
世の中ではここ数年で、「 一瞥( いちべつ )体験 」というのをした人が急激に増えています。
一瞥体験とは簡単に言うと、「 大きく価値観が変わるような世界をちょっとだけ体験する 」ことです。
その体験には深い浅いがありますが、多くの苦しみから解放されます。
ただ、ちょっとだけの体験ですので、また元に戻っていきますし完全ではありません。
ほとんどは、その体験で得たことが大切だと思いながらも、この世の中( 現実だと思っている世界 )との兼ね合いが難しくなり、別の新たな苦しみを生み出します。
その新たな苦しみに対応できず、体験を無かったことにする人もいます。
それとは逆に、体験を大切にして深めていこうとする人もいます。
また体験を特別にしすぎると、「 私は特別だ 」とか「 私は悟った( 完全 )」とか勘違いしやすくなるので、注意が必要です。
この一瞥体験は、「 しなければならない 」というものではありませんが、本人の意思とは別に起こってしまう場合もあるようです。
いきなり起こってしまうと、自分が変になってしまったとか、精神の病気になったのではないかと、戸惑うことにもなりかねません。
今の世の中の大きな流れと共に、私たちの精神的基準も大きい変化のときを迎えています。
おかげさまで、私はその兆候に早く気づくことができたので、颯清堂を通してその準備や対応をみなさんにお伝えしていたのです。
今まで、できるだけ怪しくないようにしてきたつもりですが、そうでなかったものもあったと思います。
しかし、それらが普通に語られることも、そんなに遠くはないように感じます。