ヒロニャン情報局

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女性蔑視の職場だった造船工場

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私は地元の商業高校卒業後、新卒で造船工場に就職しました。
その職場は本当に酷い職場でしたが、高校からの推薦で就職したので、簡単に辞めることも出来ず我慢して働き、結果3年目で鬱病になってしまい退職を余儀なくされました。
その造船工場での出来事を紹介したいと思います。

私が就職した当時は、まだバブル景気が終わりかけていた頃で、造船業界もそれほど景気は悪くなく、私が就職した地元の造船工場でも大量に高校の新卒を採用していました。
私もあまり深く考えず、ただ家から近いと言う理由と高校の推薦があると言うだけで、その造船工場に就職してしまいました。
まさか、その後のバブル崩壊による大量リストラや工場閉鎖などがあるなんて、予想もしませんでした。


今にして思えば、社会人になるのに非常に考えが甘かったのかもしれませんが、高卒の女子が未来の日本の行方をそこまで深く考えて就職するかと言えば、やっぱり少し無理があるかなとも思います。
いずれにせよ、結果として私は近所にあった地獄の造船工場に就職してしまいました。

就職した造船工場は、新来島系列のドックと呼ばれる大型造船を作る大きな工場の中に、塗装部門や溶接部門や組立部門や資材や総務など、数多くの部門があり、私は半年間、組立の現場実習が終わった後、塗装部門の庶務係として、工場内に配置されました。

そこに配置された理由は、5歳年上の先輩女性社員が結婚するとのことで、寿退社に伴う交代要員でした。
その先輩には約半年間お世話になりました。
しかし、その時すでに、なんでこんな所に来たのかとか、ここは地獄とか最悪とか良い情報はありませんでした。

でも私は真面目に朝は職場の誰よりも早く出社して、職場の掃除やコピーなどの事務仕事の準備、休憩用のお茶出しやお菓子の準備など、改めて列挙すると分かりますが、いわゆる雑務全般を庶務係の高卒女性社員が、残業代なしの安月給で一手に引き受けている職場でした。
でも頑張りさえすれば、きっといいことがあるだろうと信じて、毎日頑張って働きました。
そうこうしている内に、私に異変が生じる出来事が起きました。
それは忘年会の出来事でした。

私のいた造船工場の職場では、庶務係の私と先輩以外は全員、30歳以上の既婚男性ばかりでしたが、忘年会ではその中でも若い30代の男性社員達と庶務係が、忘年会の準備をする習慣がありました。
何もかもが初めて、ただ言われた通りに、これも仕事と思ってこなしていきました。
そして、忘年会当日が来て、地元のホテルで宴会を行いました。

そこで、女性は完全に女中さんとして男性に酒やビールをお酌するなどの奉仕する役割を命じられました。
きっと今なら大問題です。
特に嫌だったのは、酔った男性社員がイヤらしい目で見たり、私は大した体では有りませんが、それでも身体を触ってくるのは耐えられませんでした。
先輩女性は体型も豊満で触られても平気みたいで、男性社員の扱いに慣れていたので驚きました。
私はまな板の幼児体型で、男性社員もその辺を平気で言ってくるし、嫌で嫌で最後は泣いてしまい、部長が最後はカバーしてくれましたが、精神的にボロボロになったのを覚えています。
職場が向いてなかったのだと思います。

その後、段々会社に行くのが嫌になり、先輩が寿退社した後は完全に孤立して、暗いとかチビとか嫌味も言われながら、耐えていましたが、それも限界に達して、鬱病を発症し退職することになりました。

その会社もその後、庶務係は派遣になり、景気悪化で工場自体が別会社に吸収されてなくなりました。
あのままあそこにいたらと思うと怖く、きっともうあの世に行っていたかもしれません。


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