ヒロニャン情報局

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どうしようもない私を見捨てなかったのは自分だけ

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私は、どうも他の人とは大きく違った家庭環境で育ったらしくアルコール依存症の両親と祖父母に育てられ貧乏でした。

虐待も受けていましたが多くは記憶に残っておらず精神科医からは「暴行、暴言などの虐待と性的虐待の可能性あり」とも診断されました。

そんな人生を背負ったまま私は育ち、反抗期は家にも帰らず未成年なのに飲酒したり水商売でお金を稼いでいました。

「お金を稼ぐのなんかちょろい」と思ってしまった私は、都会に出て稼いで遊んで買い物して男の家に転がり込んでとよくあるヤンキーらしい展開に。

その頃の私は、アルコール依存症と買い物依存症とギャンブル依存症、そして摂食障害にそしても陥っており水商売でもらった給料の全てをギャンブルにつぎ込み、家に帰れば男から暴力を受ける毎日。

血だらけ、傷だらけで実家に帰った私を見た親はそのまま精神科に私を預けました。

監視される部屋に閉じ込められた私は意味もなく毎日叫んでいた(そうだ)。

精神的に追い詰められた生活をしていたんだろうと、世の中から隔離されること数か月。

精神状態は少しづつ回復して半年後には実家に帰れました。

私は、小さな頃から自分のことを変な人間だと思って育ってきて愛情の意味もしらなかったから誰かに聞きたいと強く思ったんです。その頃はもう大人です。

いろいろ探しているうちに出会ったのが、総合病院に勤める精神科医でした。

先生の勧めでグループセラピーや講演会、保健婦さんとの面会などを繰り返しているうちに専門の先生に出会う事ができたんです。

アルコール依存症問題を専門に扱っている先生との出会いが人生を大きく変えてくれました。

それまで、愛情は誰かに与えてもらうものだとばかり思っていて親から愛されたい願望が強かったのです。

そしてそのまま大人になってアダルトチルドレンに。

愛される事が叶わないから、暴力や酒や食べ物、買い物で埋めようとしていたのです。

治療は長年続きました。

そして、最後に「自分で自分を愛する」をことを知った時、私は泣きました。

嬉しいのか何なのか分からない涙で子供みたいにわんわん泣いて。

自分の事を大切に、自分のことを大好きに、いつも自分の味方で。

そういう考え方に変わった時、親とも他人である事も知り、依存症から抜け出すことができました。

そこからは、後ろ指さされるような仕事を辞めて少ない給料でもいいから昼間働くことにし、早寝早起き、自炊の生活です。

自分でもこんな生活が出来るなんて思ってもみなかったし、お金がなければ何も手に入らないと思っていました。

私のやり直しはまだ途中だけど、良い友達にも出会えて昼間の空気の良さを知りました。

しあわせです。それだけで。


 

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