ヒロニャン情報局

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貧乏だった頃は恥やプライドすらも捨て端材や廃棄を貰う日々

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私が高校生の頃に両親が離婚しました。

理由は父の浮気であり、私は当然の様に母に付いて家を出ました。

シングルマザーとなった母はそれまで専業主婦だったのですが近所のスーパーでパートを始め、私も母の負担を少しでも減らしたいと老人ホーム厨房内での調理補助作業のバイトを始めました。

学校が終わってから夕食の洗い物が終わるまでの間の4時間程度ではありましたが毎月の交通費や通信費、お小遣い位は自分で賄える程度の稼ぎは貰えました。

父と別れ、経済的な不安もありましたが少し生活が貧乏になったかな位で二人で協力すれば全然やっていけるねって母と安堵しました。

私のバイト先では端材や廃棄になる食べ物をこっそりとなら持ち帰ってる人も居たので私も食費を浮かせる為に時々貰っていました。

野菜の切れ端や残り物でも数百名分の調理から出たとなると結構な量になるので凄く有り難かったです。

それから半年が過ぎ、このままの生活が続けられるなら奨学金を利用して大学へも進学出来るかなと計画を立てていた頃、母が心労によって倒れました。

突然、気絶したようにバタンと倒れたので驚き、直ぐさま救急車を呼び診察を受けると失神だと言われ、原因は精神状態の乱れから来ていると言われました。

不思議だったのは母はそれまで苦しそうな態度や辛そうな顔を見せたことが無く、寧ろ父と夫婦をしていた頃よりも明るく元気になっていたので精神的にダメージを負っていると言われてもピンとこなかったのです。

その後、精神科に通う事になり母は鬱病であると診断されました。

鬱になった原因はパート先での虐めだと知りました。

母には休息が必要だと言われパートを止めさせるように言われました。

当然私もパートは止めて母に病気を治して欲しいと思いましたが、同時にお金の不安もありました。

現状は生活に困窮はしてないまでも余裕はない状態です。

ここで母にパートを止められてしまえば考えるまでも無く食べていけません。

学校にだって通えないので悩みました。

母は働くと言っていましたが私としては賛成も出来なかったです。

結局、生活保護と障害年金の申請をする事にして母にはパートを止めて貰いました。

それから申請が通るまでの二ヶ月間は私の人生に於いて最も貧乏でした。

母は駆け落ちをしていた事から実家に頼る事は出来ず、収入は私のバイト代だけで、生活の基盤は保険を解約したお金で繋いでいたので少しでも食費を浮かせる為にバイトの日はかならず端材や廃棄を貰う様にしていました。

他の人が持ち帰り、残ったものは全て貰うという行為に対して、遊び感覚でバイトをしている同世代の子達からは陰で意地汚いと言われてたり、ゴミ拾いしてると馬鹿にされているのは知っていましたが背に腹は代えられないと恥じを捨てて貰っていました。

結局、申請は通りましたが破産するギリギリの貧乏生活は日々の生活を見直す良い体験であったと思います。

 

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