こんにちは。
台風が過ぎ去り、一気に気温が下がりました。
外はもう肌寒いですね。
朝一番にピンポンがなりました。
最近は、宗教のおばちゃんが、日曜日にも突撃でやってきます。
断っても断っても、やってきます。
Aさんを断れば、Bさんが素知らぬ顔してやってくる。
Bさんにも断るとしばらく来ないのですが、
今度は違う宗教団体がやってくる。
そこでループを繰り返しているうちに、
また最初の団体のCさんがやってくる。
ああいうのって、エリアを割り当てしていないのかなぁ?
なんだかいろいろと考えてしまいます。
今日のお話は、やっぱり一緒。
「神様がこの世の中を何とかしてくれる」というもの。
何とかしてくれる存在を信じているから、その教えを忠実に守る。
でも私からすると、その話があまりにも抽象的なもんですから、
話を聞くだけ無駄に思えてしまう(キビシイですかね?)
何とかって、何をどうするの?
混沌とした世の中が、どうクリアになるの?
邪魔ものが排除されると言う意味なの?
変なオーラが降ってきて、悪と呼ばれるものがみな改心するの
か?
そんな詰まらない事を考えていた時、
私はふと、気が付いてしまいました。
わたし、「何とかしてくれる」という他力な言葉が嫌いだって事に。
もちろん、結果的に助けてもらう事はたくさんあるけど、
最初の段階で、誰かに何とかしてもらおうとする考えは、
元々私の中の発想として無いんですよね。
むしろ、そこに罪悪感を感じている事に気が付いてしまいました。
生まれ育った家系の背景的なもの?
長女気質?なんだろう・・?
とにかく、何とかしてくれるよ~とか言ってる人は、
あまり好きではないんですよね。
だから、親のお金で車買って偉そうにしている人とか、
大学生やっている間は、親が子供の税金を払うのは当然とか。
甘いな~と感じてしまう。
私は何だかんだで甘え下手を貫いて、
甘えを拒否してやってたつもりなのかもしれませんね。
だから、「神様」という実体のないものに、
「何とかしてくれる」という言葉が合わさると、
もう「拒否」しか残らないんですよ。
でもこの年になれば思いますよ。
もうちょっと人に甘えて楽しても良かったのでは?と。
でも、神様に甘えようとは思わないけど。
みはる
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