こんにちは。
以前書かせていただいた記事の続編・・いや、続編ではないかな。
でも今日感じた事を、突発的にここに書いてみようと思うのですが、
今日もピンポンと共に、宗教の方が来られたんですよね。
私もちょっと忙しかったものですから、迷ったんですが、
リビングの窓も開けっぱなしで、居留守もおかしいし、
とりあえず、いつものインターフォンで対応しました。
今日は分厚い本を持ってきていて、こんなお話をされたんですね。
「神様がそろそろ行動して、この世から病気や死がなくなる」と。
私も、ふんふんと素直に聞いていればいいのですが、
この言葉に、はい?! だったので、それはどういうことなの?と聞いてみました。
神様が行動するってどういうこと?
私たち人類は、ひたすらそれを待ってりゃいいのか?
その意味が理解できないとインターフォン越しに伝えてみた。
すると、彼女は
「まもなく神様が行動を起こすから、救われるのだ」という。
神様を信じれば、何とかしてくれるのだ
このぼんやりとした理屈に、今日は強烈に違和感を感じたのですよ・・。
環境汚染、食べ物汚染、いろんな話をして危機感を煽るのですが、
最後は「神様を信じる、意志に任せる」という所に、話が落ち着く。
そんな話であれば、人類はもう何も取り組めないやんか~。
あまりにも人任せ?いや、神様任せだったもので、
その話はちょっと私には理解できないと、伝えてしまった・・
そうすると、次の一言が、
「私はここに住んでいます。近い場所に居ます。あなたの疑問にできる限りお答えしにきます」
おっとやばい!また集会に誘われる (;^ω^)
「いえ、そこまでしていただかなくても結構です」と、話を切りました。
何でもそうなんですが、信じる事は、「楽」なんですよね。
そして、集団の中に所属する事も、安心で楽。
言われた通りにすれば、責任は発生しないし、考える苦しさもない。
そして何より疑いもしなくなる。
真実はここにあると信じる事って、ある意味最強なのだ。
それを正しい事だと信じて、他人にも良くなって欲しいと奮闘する姿は、
とても素晴らしいと思いますが、
そもそも本人が「良くなる」と思い込んでいる事って、他人にとっては曖昧だったり、
どうでもいい事だったりもする。
それを押し付けられる側としては、不信感とこの瞬間の時間のロスに悶絶するのです。
ピンポン訪問者に、今日も厳しいみはるでした・・・(^-^;
みはる
よかったら、前回のピンポン訪問者の話、読んでください。
前回は、何となく理解ができそうな話だったんですよね・・。
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