31.喫茶店『ドラゴン』にて⑤

 

 

 彼はぼくを責めることなく「風邪を引いてしまいますから」とシャワーを貸し「シリルのですけど」とジャージを貸し、いつものようにあたたかいコーヒーを淹れてくれた。

「どうして………」

 白いカップで揺れるコーヒーを手に問うたぼくに、外でオーガの死骸の片付け作業をしているリリーとシリルの分のコーヒーを淹れながら、彼はいつもの笑顔を浮かべる。

「喫茶店のこと、守ってくれて、ありがとうございました。助かりました」
「それは……勝手に、やったことで」
「シリルもリリーも頑張ってくれていたけど、全方位をカバーはできなくて。もうダメかも、と思ったときにあなたが助けてくれたんですよ」

 だからありがとうございました、と言う彼に唇を噛む。「ぼくを、責めないのかい」君を騙していた。常連のフリをしていた。そのことを糾弾してお前にはガッカリしたと追い出してくれたらいいのに、そうしたらぼくも諦めることができるのに、彼はそうしない。
 まるでそういう可能性に思い至らなかったのか、彼は不思議そうな顔をしてぼくのことを見つめた。小首を傾げて「あなたにも事情はあったにしても……喫茶店が嫌いだったら、あんなに来てくれませんよね?」と言う。

(そりゃあ。まぁ。好きか嫌いかで言えば、ぼくはここが好きだったけど……)

 コーヒをすすって視線を伏せて、目を閉じる。
 ぼくは魔術師という戦場に立つしかなかったけど、ノアは違う。
 彼は草原にある一軒家で穏やかな暮らしを営める人なのだ。誰が己の敵かと獣のような双眸を走らせ息を潜めるぼくとは生きる世界が違う。
 それでも、彼が、そこから手を差し伸べるなら。銃弾が飛び交う戦場に一時の静寂をもたらしてくれるなら。それが束の間の夢でも、ぼくはそれを求めるのだろうということは想像できた。

「好きだよ。ここが」

 掠れた声で絞り出した言葉に、ノアはとても嬉しそうな、満足そうな顔で笑った。

 

 

 

 

 キッチンの机でちびちびとコーヒーをすすっていると、外で作業をしていたリリーとシリルが戻ってきた。「シリル、お先にどうぞ。わたしはそんなに濡れていないので」リリーは全身びっしょりのシリルを風呂場の方に押しやり(こちらに一瞥をくれたが彼は大人しくシャワーを浴びることにしたようだ)、いったん外に出ると、カフェの中にずりずりと何かの塊を押し込み始めた。ノアが慌てたように入り口に駆けていく。

「リリー、それ…?」
「外にいたものの死骸です。血を抜いてできるだけ圧縮しました」

 血術使いの賜物だろう。ミイラのようにひからびた黒っぽい色の塊は、外で死骸のまま放置するよりはマシな状態になっている。
 ノアが口元を袖で覆いながら難しい顔をした。「どう、しよっか。コレ」それだけのものを燃やすなら何か媒介がないと難しいけど、ぼくなら処分することも可能だ。すぐには無理だけど魔力さえ回復すれば…。
 考えていると、トン、トン、と二階から階段を下りてくる足音が聞こえてきた。

(誰か、もう一人いる?)

 ここに通って半月ほどだが、二階はいわゆる居住区、店ではないスペースだ。ノア、シリル、リリー以外に誰かが住んでいるなんて知らなかった。もしやこの誰かが弱っているという『何か』で、ノアが守りたいと思っているもの…?
 足音に気付いたノアが階段の方に駆け寄って「起きて大丈夫ですか?」と声をかけている。
 ノアに支えられながら黒っぽい肉塊のもとにやってきたのは金髪の女性だった。この季節に白いワンピース一枚という姿でじっと肉塊を見つめている、かと思えば、彼女は無造作に手を伸ばして肉塊をひとつまみ掴んだ。
 リリーもノアも、ぼくでさえ目を疑う。彼女は躊躇いもなくそれを口に放り込んだのだ。そうして無言で食事を始めた。絶対においしくはないだろう肉塊を次々と口に放り込み、飲むようにしながら細い体のどこかに収めていく。
 途中、我に返ったノアが慌てたようにコーヒーの準備を始めた。
 店の入り口で立ち尽くしていたリリーは、恐る恐るという感じで「あの、抜いた血も、ありますが……どう、しますか?」と女性に尋ねている。
 オーガの肉をその体毛ごと喰らう女。見た目がどれほど人間を模していても、彼女は人ではないだろう。
 これが、ノアが守りたかったモノ……?

「彼女は一体…?」

 思わず漏れた呟きに、この場に無関係な第三者がいるということに初めて気付いたらしい女性がこちらを振り返った。爛々と輝く蒼の瞳に全身が金縛りに合ったように動かなくなり、手にしていたカップをガシャンと落としてしまう。
 指が一本も動かない。いや、それどころか、息が。できない。瞬きも叶わない。

(魔眼? いや。これは。この力は)

 呼吸すらままならなくなり、座っていることもできなくなってテーブルに突っ伏すように倒れ込む。
 生命の危機を感じて冷や汗で背筋が冷たくなったとき、ノアがぼくと彼女との間に割って入った。「大丈夫です。彼は大丈夫ですから」おかげでぼくは息ができるようになり、咳き込みながら胸を押さえる。
 ノアの向こうにいる金髪の女性はしばらく彼と見つめ合っていたが、彼の言葉を信じることにしたらしく、また無言で食事を再開した。それを見てノアも彼女から視線を外し、胸をさすっているぼくのもとにやってくる。「大丈夫ですか?」「ごめん…割ってしまった」コーヒーの入っていたカップの残骸を震える指で拾おうとして失敗する。
 わざとではないとはいえ、いつも大事そうに磨いているカップの一つだ。なんだか申し訳ない。
 ノアは大丈夫ですよと言って塵取りと箒、雑巾を持ってきてカップの残骸を片付けていく。
 魔眼。いや、それよりもっと原始的で抗いようのない何かに全身を圧迫されて、心臓がまだ早鐘を打っているし、指は震えたままだ。
 こういう感覚は久しぶりだ。
 死ぬ、と思った。抗う術なく死ぬと思った。魔力が枯渇して魔術が満足に使えない状態だったせいもある。だけどそれよりもっと原始的な部分で、死ぬ、と直感した……。

「ここまでバレたんなら、話すか?」

 いつの間にかシャワーから上がったらしいシリルは、肉塊を食べ続ける女性を顎でしゃくりつつ、視線はノアに固定している。「えっと…」ノアは困った顔でぼくと女性とを見比べた。

「そういえば、名前を聞いてませんでした」
「自称天才魔術師Kだろ」
「自称、は余計だよ…」

 シリルの言葉に掠れた声で返し、「滝沢、蛍。こちら風に言うとホタル・タキザワ。でもホタルって言いにくいだろうから、ケイ、なんだよ。日本語の蛍の、漢字での、別の読み方だ」だからぼくは魔術師Kを名乗っている。
 ノアは「ケイ」とぼくのことを呼んで、「内緒ですよ」と唇に人差し指を当てると、ぼくに彼女のことを話し始めた。

 

 


 

 

今回は短め( ˘ω˘ )

短くトントン読めるようにと思ってるのに長くなりがちで申し訳ない…。。

 

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