15.利他的な馬鹿野郎

 

 

 タブレットの中で忙しなく流れる数字を目で追い続け、糖分摂取に角砂糖を二つ落としたコーヒーをすする。
 相変わらず人の入りが良いとは言えない喫茶店ドラゴンは、閑古鳥は脱したが、一時間に一人客がいればいい方、という赤字経営が続いている。
 ノアはこれまでその赤字を自分の貯金を切り崩すことで誤魔化していたらしいが、それもそろそろ限界だろう。
 だが、赤字経営を喫茶店で取り戻すにはまだまだかかる。メニューのテコ入れもビラ配りもサイトのリニューアルも、オレが勝手にやってるが、認知度が上がって客の入りに結び付くにはまだかかる。

(…よし)

 タブレットの一台で客がいない間にサイトを作成しつつ、もう一台のタブレットでイイ感じに曲線になったグラフに『売却』ボタンを叩いた。
 勘と経験で株の売買を再開したが、案外なんとかなるものだ。
 まったくの素人だとここでまだグラフの伸びを追いかけるんだろうが、ここらが限界だ。
 クソジジイにオレが生きてることもバレたし、と遠慮なく自分の金をかき集めて投資に使ってるが、今のところは順調に増えていってる。
 この増えた金を店のために使うことで、今はなんとか黒字で店が回っている。
 変動し続けるグラフを表示する仮想ウィンドウを閉じて目頭を揉んでいると、隣で難しい顔をしていたノアが同じように眉間を揉み解した。「今の、何?」「株」「ええ…」「なんだよ。オレの金でやってるんだからいいだろ」株のかの字も知らないだろうノアは肩を竦めた。
 そこで、喫茶店の前を箒で掃いて掃除してきたらしいリリーが店内に戻ってきた。「終わりました」ノアは相変わらず、誰にだって甘い顔で「ありがとう。じゃあ、休憩しようか」と今しがた淹れたコーヒーの入った耐熱サーバーを掲げた。

 

 

 馬鹿野郎なノアが『行くところがない』と言うリリーって女を受け入れ、ここで雑用という仕事を与えて暮らさせ始めて、これで三日になる。
 今のところ女に不審な点はない。
 店の中から金目の物が消えることもなく、店にある電子データのハッキングやクラッキングの形跡もなく、食材が消えることもない。
 魔術の痕跡がないかどうか、ノアのためという建前で気配を探ってみたが、それらしいトラップが仕掛けられた形跡もなし。
 問題だった金の竜のことも『ドラゴン型のAIだ』というノアの無理ある説明に頷く始末だ。おそらく天然なんだろう。
 リリーはただ間が悪かっただけの運のない女。
 そんな女に丁寧に笑いかける男がいて、天然な人間が二人、目の前でコーヒーを飲んでいる。

「そうだ。リリーの服を買いに行かないとね」
「えっ」
「靴だって僕のサンダルだし。いつまでもそれじゃいられないだろう?」
「…でも。わたし、お金は……」

 クッキーをつまんで口に放り込みながら、十代後半だろうリリーを頭からつま先まで眺める。
 胸もないし棒切れみたいな体つきだが、それでも女だ。服はノアので問題ないかもしれないが、下着はそうはいかないだろう。ノアは暗にそう言っているわけだ。面倒見がいいことで。「金はいいんだよ」ぼやくように言って、自分の口座からノアの口座に送金しておく。とりあえず200ポンドもあれば困らないだろう。
 携帯端末から入金の知らせのウィンドウが立ち上がると、ノアがオレに向かって目配せするように小さく頷いてみせた。

「よし。今日はリリーと買い物に行くよ」
「え。え、」

 視線をウロウロと彷徨わせて戸惑っているリリーを連れ、ノアの野郎はさっそく店を出て行った。看板をしっかりクローズにして。
 一体どこまで面倒を見るつもりなのかは知らないが…。追い出すにしたって、靴や服一式がなきゃ、こっちも気分が悪いってもんだ。

(甘いな。オレも)

 素性もわからない相手に恵んでやるほど情も感じてないし、義理もない。
 だが、ノアがそうしたいのなら、馬鹿げたことにも付き合ってやるさ。
 カップの片付けをしていると、二階で寝ていた金の竜がふよふよと浮かびながら階段を下りてきた。蒼の瞳が店内を見渡す。『ノアは』「リリーと買い物」『リリー…』誰だそれは、と言いたげに首を傾げる姿に溜息を吐く。「女だよ。最近いる女」一回鉢合わせして、そのとき苦しい言い訳でドラゴン型のAIだって話になったろうが。寝すぎて忘れたのか。
 合点がいったのか、竜は一つ頷いてキッチンに入っていき…ふと気が付いたように引き返してきた。

『確信はないのですが。彼女には、何か、あると思います』
「何が」

 キュ、と水を止める。念入りにキレイにした白いカップはノアが大切にしているものだから、間違っても割らないよう、丁寧にシンクに置いていく。「オレも一通りの可能性を疑って調べた。あの女は物盗りでもないし、魔術系の気配もない」『そう、ですね。うまくいえないのですが…』竜はふわふわと視線を彷徨わせ、爪の長い小さな手が宙を彷徨う。『ただの人、にしては、血の臭いが強いのです』は? 血?
 眉根を寄せたオレに、竜も同じような顔をしている。

『何か、怪我をしているのか、と最初は思いました。しかし、シャワーのあとでも、いつでも、彼女からは取れない血の臭いがします。まるで、染みついているようです』

 血の臭い。竜であるコイツだからこそ気付き、ただの人間では気付かないような血の臭い…?
 まさかレディース・タイムってことは…ないか。誤魔化しようがないし、オレだろうとノアだろうとさすがに気付くはず。
 血、で思いつくことを一通り頭の中に浮かべたが、どれもピンとこない。
 結論の出ないことに対して思考だけ重ねるのは時間の無駄だ。そのリソースを別のものに費やした方が何かを生み出せる。
 ただ、リリーにはやはり何かあるんじゃないか、ということは頭の片隅に留めておこう。

 

 陽射しが弱くなり始めた頃、日課にしているジョギングと筋トレに出かけた。
 体力はだいぶ戻ったが、一度落ちた筋力を戻すにはそれなりに時間がかかる。
 今日も今日とて、この田舎町は平和だった。事件も事故も何もない。
 枯れ葉色の木の葉が風に舞い散るのを見るともなく眺めつつ走っていると、夕飯の香りがする店舗兼自宅の前で、リリーが膝を抱えて蹲っていた。手には箒がある。また律義に店の前の木の葉を掃いてたんだろうが…。

「何してる」

 駅でコート一枚でいたあのときのように小さくなっていたリリーは、顔を上げず、抱えた膝の間からちらりとオレを見上げた。「……なんでも。ないんです」「そうか。じゃ、中に戻れ。冷えるぞ」…動きやしねぇ。まったく、なんなんだ。こっちは運動後で体冷やしたくねぇってのに。
 動こうとしないリリーから一人分離れた位置の石畳に腰を下ろす。冷てぇ。
 カサカサ、と乾いた音を立てて茶色の枯れ葉が風に吹かれて地面を転がっていく。
 電灯をつけた自転車がのろのろと向かいの道を走っていった。スーパーからの帰りなのか、大荷物だ。

(明日の天気は、雨だな。雲が分厚い)

 空を覆う鉛色を睨みながら、雨は嫌いだ、と思う。カフェの客足は遠のくし。思い出したくないことを思い出すし。
 だが、雨で客が来ないなら、それはそれ。客がいないからこそ、店のテコ入れをした方がいいか。そんなことを考えていると、「ノアは」と横から小さな声。雲から視線をずらすと、蹲ったままのリリーがぼそぼそと「ノアは、どうして、優しいのでしょうか」と、そんなことを言う。
 それをオレに訊くか? オレだって訊きたいよ。なんでアイツはあんなに利他的な馬鹿野郎なのか、ってな。

「知らねぇ」
「お友達、なのでは」
「お前が友達ってモンをどう理解してるのかは知らないが、オレの思うダチってのは、赤の他人よりせいぜい自分と気が合う、理解してる、ってくらいのモンだ。ダチだから相手のなんでもがわかるわけじゃない」

 だから、ノアがどうしてああも馬鹿なのかはオレも知らない。
 リリーは箒を持つ手に力を入れると、すっくと立ち上がり、風に吹かれてやってきた木の葉を追い出し始めた。「わたし、こわいんです」「何が」「ノアの…優しさが」訝しむオレを振り返るリリーの目元は泣き腫らしたように赤く、イギリス人らしいブロンドの髪が風に吹かれて揺れる。

「優しくされたのは、たぶん、二度目で。人間らしく、生きたのは、たぶん、初めてで。わたし、もう、どうしたらいいのか……」

 嬉しくて。怖くて。どうしようもないんです。リリーはそう言葉と涙をこぼした。

 

 


 

 

15話め!
シリルは浅く広く自分の利になりそうなものに手を出しており、いろいろやります。いろいろやれます。世渡り上手、シリル

 

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