2018/06/02

神様仏様

大事に至らず今またふだんの生活にもどれているのですが、
先週日曜日、家族の異変で救急車を呼んだ。
平日であれば救急車でなく自分が近くの病院へ担ぎ込んだと思う。この時もそのつもりだった。
しかし目の前の状況と当番医までの距離を考えて救急車を呼ぶという判断をした。
結果論的には救急車を呼ばなくても済んだのではないかとも考えるけれど、判断を誤って一生治らない後遺症を負った人のことを思い出したりもする。

あれからずっと、
私が弱気になっているから悪いことが襲ってくるんだ、強い気持ちを持たないと・・
みたいなことを考えていました。
しかしそんなことで頭がいっぱいなのも実は弱気というか負を招きそうなとげだらけの心というか。
大したことにならなかったのと、今後どうすればいいのかもわかったんだからよかったしありがたい・・と言う気持ちが最初に出てくるような人になりたい。
心の中が不満だらけだからネガティブな発想しか出てこないのである。
不満の原因はきっと我儘だろう。

それとは全く無関係に
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築地本願寺へ行ってみた。
ここへ行きたかったわけではないけれど近くまで行ってこんなのが目に入れば行かないわけにはいかないでしょう。
もう一つ、見てみたいものもあったから。
しかしすごい意匠だな。どこか外国みたいだ。
私はどちらかというとターミナル駅の駅舎に見える。
本願寺という名称と全然クロスしないけどな私の中では・・
階段を上がって中へはいれば
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お寺・・線香のにおい・・祭壇があって間違いなく見慣れたお寺の風景・・
しかし巨大な鉄筋コンクリートの空間にコンサートホールみたいな椅子・・
外人さんがいっぱい・・
違和感いっぱいである。
コンクリート製のお寺というのはよく見かけるけれどここは1937年竣工だそうだ。
なんか戦後のコンクリート寺とはまた別な意味でのコンクリート建築なんじゃないかという印象を受ける。
建物全体が作品である的な。
意外に自由な雰囲気で「撮影禁止」みたいな表示も見当たらない。
不思議で印象的な世界だな。
・・・・・あれ、ないじゃん。
ここにあると聞いていたあるものが見当たらない。
なんだないのかよ・・
まあいいやとトイレに行って戻ってくると。
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あっ
これコンソールでしょ?
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そりゃ除いてみますよ・・
足鍵盤。
2オクターブ半くらいあるのか。
間違いなくこれはエレクトーンなんかじゃありません。
電子式のパイプオルガン?こんなとこにそんなものでごまかしたらかえって恥ずかしいでしょう?
どこにあるんだ・・と上をみるとあっ
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あった・・
そう、ここはお寺なのになぜかそこそこの規模を持った
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オルガンを持っているんです。
これを見てみたかった。
パイプオルガンというのはキリスト教の教会でミサその途中楽譜の読めない人にも賛美歌を訴えるよう旋律を先導して聴かせる・・とかそういうのが元々の仕事なはずで・・
なんでお寺にオルガン?

一般的にオルガン音楽というとバッハの名前ばかり出てくる。
あたりまえだけれどたくさんの作曲家がたくさんのオルガン音楽を残しています。
ただ妙に専門特化しすぎな感があって、いわゆるクラシック音楽の世界と別個の枠があるような印象もありますね。
「オルガンの世界で有名な」作曲家は一般には無名だったり。
普通にクラシックの有名なロマン派の作曲家も実は結構オルガン作品を残しています。
ブラームス、ドボルザーク、シベリウス・・・でも彼らのよく知られたオーケストラやピアノ作品に比べるとその知名度は著しく低く知る人ぞ知る的な印象が・・・
聴いてみるとそのわけもわかるような・・まで言ったら怒られるか。
そんな中で成功しているのがメンデルスゾーンだと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=faw9A0Q0rfg

このオルガンソナタ第二番ハ短調は名曲だと思う。
ちょっと優等生的なところを感じなくもない。でも彼らしさを生かしつつオルガンの魅力を最大限に引き出していると思う。

よくある2楽章構成でさらにそれぞれの楽章が前後半からなり、全体的には4つの部分を感じる・・みたいなやつでしょう。
後半急に明るく元気になっちゃうところがちょっと浅いような気もするしメンデルスゾーンだなぁという気もする。
交響曲第5番もとてもいい曲で好きだけどだけど各楽章の変化が唐突すぎまとまっていない気がしなくもない。

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2段鍵盤でソロとコーラスみたいな第1楽章第2部。
最後にコーラスとソロの対話みたいなのがありますが、泣かせますよね。
なんか嘆きつつこれが自分の定めなのだとかうたっていそう・・ちょっと演歌っぽい。

実はこの曲についてごちゃごちゃと書いたのはかなり前。
こんなの書いてもだれも読まないだろうとずっと塩漬けになっていました。
ごちゃごちゃいっぱい書いてあったのは皆消してしまったけれど築地本願寺のおかげでやっと公開。

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興味のない時にはきれいに並べてあるあのパイプがパイプオルガンだと思っていた。
あのパイプも鳴るんだろうけどあれはケースみたいなものでそのうらに複数のオルガンが並べられて・・
どうでもいいですかねそんなの。
サントリーホールのオルガンは近くに行くと中がちょっとのぞけます。
いくつかのホールでオルガンを聴きましたがホールの整った音響空間での整った音というか・・
天井が高く石でできた協会の果てしなく続きそうな長いエコー・・みたいなところでオルガンを聴いてみたい。
ここはどうなんだろう?
毎月最終金曜日にランチタイムコンサートをやっているようだ。
この日はその日じゃなかった。

オルガンを持っているホールや教会等はよく無料か500円のランチタイムコンサートというのをやっています。
折角あるんだもん、聴かせなかったらもったいないもんね。
やると行政から補助金が出るとかあるのかもな・・
ここは人がすごいだろうな。多分私は無理。
これまでいろいろ行ってみたけれど、
タダだからか周囲の客の素行が悪すぎて鑑賞どころじゃなかったことがあるのはある程度仕方ないんだろう。
奏者が演奏で何も感じさせないのにマイクを持たら饒舌になっちゃって学生のサークルか・・みたいなのは萎えた。
冷やかし客ばかりなのにマニアックな選曲で場が盛り下がってるのも見た。
意気込みはわかるけれど、実態に合わせるというのも必要じゃないかと思う。
反対にちゃんと楽しめてお腹いっぱいになったこともあった。その時は所沢ミューズ(だっけ?)。
あれはランチタイムじゃないからか。
やっぱりちゃんと聴きたい人とちゃんと聴かせたい人が集まった場じゃないと私はダメかも。
機会があればいろいろ行くといいと思う。

別な理由で私は頭のおかしいのがまだ治っていないため目の前で人間が演奏するコンサートにはしばらく行きたくない。
短い人生なのに損していると思うけれど仕方がない。

最近ある出来事でちいさく衝撃を受け、それは神様が私にあることを教えているんだと思った。
そうだったのかぁ・・と思っても
その先自分は何を考えてどうべきなのかまでは教えてくれない。
何かをアシストしてくれるなんてこともない。あるわけがない。
私は特定の宗教に傾倒したりはしていないけれど、時々そんなことを思う。
しかし考えるのもやるのもみんな自分、自分しかいない。
誰もいない。
何でもいいや、私は楽しくて幸せですよ。

コメント

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オルガンの音

オルガンの音はやっぱりそのオルガンのあるホールでちゃんと人間が鍵盤をひいて音を出しているのを聞くに限ります。
レコードだのCDだのでスピーカーから出てくる音を、‥もう夜も更けているからご近所迷惑で‥などとボリュームを絞って聞くのはよくありませんねぇ。そんな時は楽譜でも眺めて頭の中で再生するしかありません。
たとえ演奏者がまだ未熟であったとしてもパイプの中の空気の振動する音を聞いているだけで聞いている人間の心が震える、というものです。

これも日本独特な神仏習合文化の一種なんでしょうかね。
靖国神社でさえ盆踊りをやっていますしね!

「何でもいいや、私は楽しくて幸せですよ」というお気持ちに同感です。

Re: オルガンの音

ヨリックさん、こんばんは
ああヨリックさんオルガンお好きなんですね。
昔、芥川也寸志の本を読んでいたら日本にはオルガンがないことが残念だという話が出てきました。
高度経済成長とバブルを経た現在はいろんなところにオルガンがあっていいですよね。

ありがとうございました。

Re: タイトルなし

瑪瑙さん、こんばんは
そうですね、日本人のいいところですね。
明治の廃仏毀釈で分離させられてしまいましたが、私の知っているある神社は元お寺でもあって
神様と同じ敷地に仏像もたくさんあります。
自分の信じるものが唯一と決めつけそれ以外は否定して命を奪う・・みたいなのをニュースで見ますが
日本人のこの感覚は尊いものなのかもしれませんね。

ありがとうございました。