2017.08.17
光の微笑み・影の囁き 2
クラリスは、父将軍の妹だからオスカルの叔母にあたる。
しかし一度も、叔母様とか叔母上とは呼ばなかった。
オスカルの一番上の姉とは1歳しか違わず、オスカルとも15歳しか離れていない。 いつも名前で呼んでいた、クラリスと……。
本人がそう呼ぶよう望んでいたし、オスカルとは歳の離れた双子のようだった。
特にオスカルが成人してからは、実際の年齢より若く見えるクラリスは、5年後のオスカルがそこにいるかのように似ていた。
娘は父親に似ることが多い、その父の妹だから似ているのは当然なのだが、瞳の色も体型もほぼ同じ。 当時の女性としては高い身長も、髪のウエーブも不思議なほどに似ていた。 唯一異なるのは、オスカルが陽の光のように輝くブロンドなのに対して、クラリスは月の光のような色の髪だった。
見た目は良く似た二人だが、その生き方は正反対。
男として生きるオスカルは恋を諦めたが、クラリスは女性として恋に生きた。
世間から忘れられ、ひっそりと暮らしていたが、心には愛する人が住んでいるといつも言っていた。
庭の薔薇を摘み取って、オスカルは屋敷に入って行った。
クラリスが横たわる部屋の隅で、使用人たちが泣いている。
クラリスの世話をしていた使用人のほとんどが、ばあやと同年代の老人だった。
30年以上もの間、この屋敷に住んでいたのだ。 給金は少なかったが、家族のように暮らし、食べる事だけは困らなかった。 生活に必要な物資は、定期的に届けられていたから、この屋敷から外に出る必要はない。
彼らは、庭で花や野菜を育てる事も楽しみの一つだった。
クラリスは、百合や薔薇を育てていた。 花は何でも好きだったが、特に白や薄いピンクの薔薇がお気に入りだった。
オスカルは、摘んで来た薔薇をクラリスの顔のそばに置いた。
使用人達の話では、朝食に起きて来ないので見に行ったら亡くなっていたそうだ。
特に持病などは無く、至って健康だったが、長く生きられないことをクラリスは予言していた。
1ヶ月前に会った時、もう長くないとオスカルに告げた。
その時は、悪い冗談だと思っていたのだが、本当に亡くなってしまった。
もっと詳しく聞いておけばよかった。 使用人が呼んできた医師も、死因が何かわからず首をひねっていたという。
アンドレにとって、クラリスは特別な存在だから、誰よりも悲しんでいるのがオスカルにはわかった。
その日は、皆でクラリスのことを語り明かした。 事情をよく知るマロンが、語り始めた。
18世紀のフランスでは、父親(家長)の権威は絶大だった。
クラリスにとっては、兄が父親代わり。 特に、貴族の結婚は、父親が決める。
恋愛結婚など、あり得ない時代だったのだ。
クラリスにも、14歳の時に縁談が舞い込んで来た。
相手はレニエよりも年上の公爵。 軍の要職に就いていた事もあり、レニエは妹を嫁がせると決めた。
クラリスは泣いて嫌がった。 相手が再婚であること、祖父にも思える年齢であることが主な理由だった。
しかし、何よりも拒んだ理由は、愛する男性がいたからだった。
その男性は、公爵の息子で名前をシャルル・エリオ・ド・リールといった。
息子が先に申し込んだなら、兄も賛成したに違いない。
だが、、妻を亡くしていた公爵が、王宮に出入りしているクラリスを見かけてひとめ惚れした。 ジャルジェ家の娘と知って、是非にと結婚を申し込んだのだ。
それを知った息子は、父親に抗議した。 自分が結婚したいと願い出たのだが、聞き入れてはもらえず、息子は諦めるしかなかった。
クラリスがシャルルと出会ったのは、王室が年に一度行っている孤児のためのクリスマス会だった。 その頃は、まだ王室の財政も窮していなかった。 実は破綻していたのだが、表には知られていなかった。
親を亡くしたパリの孤児が招待され、ベルサイユ宮殿の鏡の間でお菓子や軽食を振舞われるのだ。 その給仕係や、ちょっとした人形劇などの出し物を貴族の子弟が奉仕の気持ちでやっていた。 その練習で、何度か会ううちに、お互いに惹かれていった。 お互いに独身の貴族、何の問題もなく結婚できると信じていた。
しかし、父に逆らえないシャルルは、父親が決めた地方の貴族の娘と結婚して、クラリスの前から去ってしまった。 絶望したクラリスは自害しようと思ったのだが、自殺は重罪。 遺体を埋葬する事は禁止され、ゴミのように放置される。 何よりも、家族に迷惑がかかる。 仕方なく、クラリスは公爵と結婚することになった。
ところが、結婚前の健康診断で、妊娠が判明してしまった。
さすがの公爵も、息子の子を宿した娘とは結婚できない。 だが、縁談を白紙にするには遅すぎた。 そこで、公爵とレニエが話し合って、結婚はしたが、間もなくクラリスは亡くなったことにしようと決めた。
レニエは、あえて領地ではない村の屋敷を買って、数人の使用人と暮らす事を命じた。 それからクラリスは、この世を去ることだけを願って生きていた。 やがて、クラリスは男の子を出産した。 死ぬ事だけを願っていたクラリスだったが、息子のために生きる勇気が湧いて来るのを感じた。
息子の成長を、楽しみに生きようと決めたクラリスだったが、将軍は生まれたのが男の子だと知ると、自分の息子にすると言い出した。 その時生まれていた5人の子は全て女児、6人目が妻のお腹にいたが男である保証は無い。
またしても、生き甲斐を取り上げられそうになったクラリスは、せめて息子が5歳になるまでは自分に育てさせてほしいと兄に懇願した。 兄も妹が可哀想に思い、願いを聞き届けることにした。 5歳になったら引き取ることで、クラリスの息子は将軍と妻の子として、戸籍に記載された。
しかし、その子が4歳の時、突然高熱を出して亡くなってしまった。