クソ玩具って一体どんなの?

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競技玩具氷河期に連発されては消えていくクソ玩具たち……
 
その「クソ玩具」って具体的に言うとどういうものなのか?
「競技玩具」と言う括りで、あくまでユージンの考えるクソ玩具の条件をまとめてみました

・身も蓋もない事を言うと
売れなかった玩具
なんですが、それはあくまで結果論ですね
 
・費用対効果
 
お値段に見合っているかどうかって事なんですが
相対値だけじゃなく『絶対値』も重要となります

例えどんなに面白くて、値段と見合った良い物であったとしても
1つ1万とかされたらさすがに手が出せません
 
また、購入後の維持費も重要で
どんなに初期費用が安くても、消耗パーツが多いとどうしてもコスパ面で不利となります
特に電池を必須とするものは、お金がかかるだけじゃなく、消耗した電池の処理も考えないといけないのでマイナスがどうしても大きくなります
あまり使われる種類の電池じゃなかったり、必要な数が素数だったりするとますますマイナスに……
また、高い専用フィールドがないと遊べない物もコスパ的にマイナスです

遊ぶための商品、必須ツール、電力の有無、消耗品の多さ……これらが総合的に影響します

また「長い目で見れば安い」は、「長くこの商品と付き合う、もしくはこの商品が長く続いてくれると言う保証」がなければ通用しません

例え、性能が低くなろうと入門機として格安の製品は用意すべきでしょう

・環境関連
 
プレイするのに広い場所が必要にもかかわらず、公式がその場所やイベントを十分に用意しなかった場合は
いくら商品を買っても宝の持ち腐れとなってしまうので、購買意欲は下がります
狭い部屋の中でも楽しめる遊び方の提示が必要

また、一緒に遊べる相手の有無も大きく影響するので
「相手がいる環境の用意」もしくは「相手がいなくとも楽しめる遊び方の提示」も大事です
 
どうしても新規玩具は、他にプレイする人間が不足してしまうので
「一人遊びのプレイバリュー」が低いと流行らせるのは難しい
 
・プレイバリュー関連
 
これが本題
何は無くともプレイバリューがなければ始まらない
 
プレイバリューと言うのは文字通り
「遊ぶ価値」
「遊んで楽しいかどうか」
って事ですね
 
競技玩具においてどんなことに楽しさを見出すかと言うと
「商品の機能の面白さ」
「製品の違いによる性能違いの明確さ」
「多数の商品を組み替える事によって発生するシナジー効果の発見」
「商品の動きの派手さ、意外性」
「多数の戦術が十分に活かせる競技バランス」
「単調にならない試合内容」
「プレイヤーがしっかりと干渉している感」
 
これらが大事であり
これらが出来ていない玩具はプレイバリューの低いクソ玩具となります

「商品に特別なギミックがなく、ただ造形しているだけ」
日用品で代用できたりすると最悪です
わざわざその商品を買う理由がなくなりますから
よほど造形が優れており、芸術性があるのなら話は変わりますが
そうなってくると競技玩具としての魅力ではなくなります

「製品の違いが微妙」
製品ごとの差別化が微妙だったりすると製品が複数存在する意味がなくなります
一番ひどいのはただの色違いですが
形状が違っていても性能に差別化が図れていなければ意味がありません
 
「出来る事が少ない」
手で機体を回転させて、ただ的に当てるだけ
もしくは、対戦相手と手で動かした機体同士を一回ぶつけ合うだけなど
これなら、川に石でも投げてた方がマシです

動力が人力以外でも同じです
むしろこれで電動だったらコスパ的にも大きなマイナスになるので目も当てられないです

「組み換え要素がない、もしくは意味がない」
カスタマイズが出来ると言うのは、組み替えて性能を変える事を楽しむだけじゃなく
『形は違っても同じフォーマットの機体同士で戦っている』感じを出すのにも役立ちます

そして、仮に組み換えが出来たとしても、そこに性能差が生まれないのであれば意味がありません
 
「無駄なアクセサリー推し」
アクセサリーに出来ると言うのは悪い事ではありませんが
それはあくまでオマケ要素

機体をデフォでカラビナとしてベルトなどに取り付けられるようにされても何も嬉しくないです
 
「パッと見何がしたいのか分からない」
パッとその商品を見て
『速さを競わせたいのか』
『弾丸を飛ばしたいのか』
『ぶつけ合わせたいのか』
『回転させたいのか』
などを直感的に分からせられない形状はその時点で失敗です

「なんでもできる推し」
なんでもできると言うのは聞こえがいいが、それは単にコンセプトが定まっていないだけ
開発する前にコンセプトを定めようか……
 
「消費者にコンセプトを委ねる」
『遊び方は君たち次第だよ~!我々は特に指定しないよ~!』
……これもまた聞こえがいい言葉ですが、ハナッから自由に遊べるのであればわざわざこの商品を買うとは限りません
自由に遊べる人間は、何も買わずとも自由に遊びます
 
また、公式じゃなく消費者がコンセプトを定めて浸透発展させた……と言うコンテンツは多数ありますが
それはよほどその『商品』に魅力があればこそです
公式が最初からそれを期待するのはお門違いでしょう

『ビーダマンと言う前例があるじゃないか』と言うのは、都合のいい免罪符ですが
元々ビーダマンにはキャラクター玩具としての十分な魅力
そしてビー玉発射メカとしての面白さと発展性があり
更に、メーカーも遊び方を必死で提示し、競技物としての発展に努めていました
決して消費者任せというわけではありません
 
「プレイヤーが試合に勝つために出来る事が少なすぎる」
改造できない、組み換えパターンも少ない、動力は電動、試合中操作できずにただ見てるだけ
 
競馬の勝敗予想してた方が楽しいです
 

 

大体こんな感じでしょうかね
あくまでユージンの見解です

 

CM

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