嫌韓はイカン

嫌韓はイカン

韓国に住んで13年。韓国の良いところも悪いところも見てきました。それでもやっぱり韓国好きです。日本と韓国仲良くなって欲しいと願います。なので日韓交流推進ブログです。

タイトルに「嫌韓はイカン(遺憾)」としたのは、嫌韓の方々を責める意味ではありません。いがみ合う現状が残念だという思いを伝えたいからです。
なので嫌韓の方々、お手柔らかに…(^_^;)
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「知っていること」と「理解していること」とは、全く違うと思っています。

例えば、友人の悩み事を聞いてあげることは出来ても、本当にその悩みや痛みを理解してあげることは出来ないのです。
その人の悩みや痛みは、同じ経験をした人にしかわからない。

慰安婦の方々が、どれだけ辛い思いをしたか、私にはわかりません。
話を聞いてあげることは出来ても、慰労してあげることはできない。
日本人として、申し訳ないと謝っても許してもらえるかわからない。

私にわかるのは、女性として辱めを受けたということだけです。

彼女たちが、お金目当てに名乗りを上げていると言う方々は、何を「理解している」のか問いたいのです。
同じ体験をしたでしょうか?せめて、似た体験でもしたでしょうか?

少なくとも女性なら、わからないはずがない。
と思うのは、私のエゴでしょうか…。


嫌韓の方々の意見で、韓国はレイプ大国だというのがあります。
しかし私は、潜在的には日本の方が多いと感じています。

レイプは、事件として起訴されないと数値には現れません。
事件として起訴されるということは、現行犯逮捕か、レイプを受けた本人、もしくは家族などが申告したということです。

レイプ事件は、その性質から申告しないで泣き寝入りしている女性が多いのです。
その理由は、他人への周知を恐れること、忘れたい記憶をまた掘り起こされることなどがあげられます。
レイプ事件は、起訴することで2度レイプを受けることになるのです。

特に日本のような社会では、恥ずかしくて言えないなどと、泣き寝入りする女性は多いことでしょう。
また、レイプされたとも思っていない女性が多いとも感じています。

私は、30代までは東京で働いていましたが、会社の近くに大学が多く、春先には新入生歓迎会などで、居酒屋が大学生であふれていました。
歓迎会が終わると、酔いつぶれた女学生が道端にゴロゴロ転がっていて、いわゆる「お持ち帰り」として、パンツ丸見えでおぶられている女学生を毎年、毎年、見て来ました。

もしその後、男子学生の家へ「お持ち帰り」されて、行為に至ったとすれば、それはレイプなのです。
そういうことすら、知らない子が多いのです。
酔いつぶれた私が悪いのね。などと、これまた謙虚に思ってしまっている。

悪質なのは、お酒に薬などを入れて泥酔させるような犯罪行為もあります。
そして最近では「何人食った」などと得意げにTwitterなどに上げている無知な学生がいます。

また、韓国のケーブルTVで、たまたま日本のAVを見たことがありました。
そこでは、道端で時給1万円とアルバイトを持ちかけ、ホテルでAVを撮られてしまっている内容がありました。
その子は初め、戸惑っていましたが、結局丸め込まれてしまいました。
これらは、ほとんどが未成年でしょうから、完璧なわいせつ罪でもあります。

他にも援助交際やら、出会い系やら、最近では神待ち?などと言って、女性を食い物にする行為は、枚挙にいとまがありません。

これらをすべて検挙すれば、日本の性犯罪は、おそらく韓国の性犯罪数をはるかに超えると思います。

レイプってなんでしょうか。
それは虐待であり、人権侵害です。

日本ほど、性と人権に対して認識の甘い国はありません。
その意識の希薄さからか、人権侵害されている当の本人もそれに気づかないフシがある。

心理学では、人間は、相手も自分と同じ考えを持っていると錯覚しやすいそうです。

「お金のため」に慰安婦が日本を告発したというのなら、その人は「自分だったらそうする」と言ってるも同然かもしれません。
そして自身が、人権侵害されてもわからないので、慰安婦の方々の痛みがわかるはずもないのでしょう。

お互い理解し合えること、私はそれを「共感」だと思っています。

人の痛みを知ること。

それは、人間として最低限の良識ではないでしょうか。


参考リンク
【日本人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】
(2013年6月のライブドアニュースより)
http://kajipon.com/kt/peace-i.html



数日前、NHKのニュースで「従軍慰安婦問題を日韓で協議することとなった」と聞こえたので、おお!これは一歩前進したな?と思いきや、その後「河野談話は日韓政府間での密約があった」という発言。
私の聞き間違いかと思い、しばらく調べ物をしていたのですが、結局「河野談話の見直し」をするという発表に過ぎなかったようですね。

あくまでも「謝罪しない」姿勢を崩さないということで…。
なるほど。そうですか。

そうまでして、守るべき何があるというのだろうか、と常々思うのです。
彼らは一体何と戦っているのでしょうか。
自尊心?潔癖性?志?

そうまでして守ったとしても、事実は事実としてすでにあるのですから、むしろ、みっともない姿を晒しているだけとは考えが至らないのでしょうか。

また「強制連行」の有無ばかりが焦点になっているような気がするのですが、従軍慰安婦は紛れもない「違法行為」であるのをもっと糾弾するべきだと私は考えています。

本来、国が取り締まらなければいけない売春という違法行為を国が制度化したのですから、これ以上の恥はないでしょう。
ちなみに、組織的にそういう制度を作っていたのは、ナチスドイツと日本だけです。
軍の関与が明らかになっていない、業者がやったなどとは言い訳するのも苦しいですね。

「従軍」という言葉が、すでにそれを証明しているではないでしょうか。

軍の輸送手段に「従軍」させられて各地に送られているのですから、軍の関与がなかったとは、普通に考えてもありえないでしょう。

しかも慰安婦は、日本人、朝鮮人(朝鮮半島)、台湾人、中国人、華僑(華人)、フィリピン人、インドネシア人、ベトナム人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人、ユーラシアン(欧亜混血)、グアム・太平洋諸島の人々、(インドネシア在住の)オランダ人など、これだけの国の女性を蹂躙したのです。

そもそも「慰安婦」って誰が名づけたのでしょうか。
私は、この単語自体にも、ぞっとするものを感じます。

先の橋本市長発言「命を懸けている兵士に休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」なんてことが、公共の電波で発せられる事自体、どうかしています。

私はこの時、今の日本の政治家の思想がハッキリと得心できました。
戦後70年たっても変わらないのだと。

しかし橋本サン、語るに落ちている。
あれでは「慰安婦制度があった」と言っているも同然ですからね(笑)

数日前にもセクハラ発言が問題になりましたが、これも自民党でしたね。
トカゲのしっぽ切りで収めようとしているようですが、これらは女性蔑視というレベルではないことをよく知らなければならないと思います。

彼らは、女性は人間ではなく、ただの性処理の道具としか考えてないということをよくよく肝に銘じて欲しいと思います。

こんな人間達の言う「慰安婦制度はなかった」という主張は、信じるに値しません。

また、強制連行があったという数々の証言の中で、それをすべてウソだと論じるのも単純すぎる見解です。証拠がないから「なかった」などとは、小学生でも騙せないでしょう。

今頃お返事して申し訳ないですが、以前のコメントで、
ビルマのミッチナ
ビルマのミッチナ
ビルマのミッチナ
ビルマのミッチナの証言(http://japa.la/?page_id=23782)を提示されている方がいましたが、嫌韓のコメント主さんの主旨がわかりかねますが、
「…このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。」
とありますから、騙されて連れて行かれたのは明白です。

「ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。

ほかの場所の記述がありませんが、暮らし向きが良かったから、大丈夫などと言いたいわけではないですよね?
そもそも、現地での暮らしぶりを論ずるのは意味がありません。

これらの証言も曲解してしまうのは、一体何故なのでしょう…?
ちょっと理解に苦しんでいます。

今後、もし集団的自衛権が発動され、軍国主義への道を進むようなことになれば、おのずと旧態依然とした彼らの思想がじわじわと現れてくるのは必須でしょう。
国際世論がそうさせないかもしれませんが、特に若い女性の皆さんは、明日は我が身かもしれないのです。

よく目を開いて、正しいものを見る目を養って欲しいと願います。



私は40代ですが、その年代でも「戦争を知らない子ども達」と言われて育ちました。
私の母が小さいころに終戦になり、母が子供心に覚えているのは「空が真っ赤」になっていて、怖くて泣いたことだそうです。

私は「日本は戦争にこりている」と思っていました。

日本人は穏やかで争いを好みません。
日本人なら誰もがそう思っているでしょう。

なので靖国参拝について韓国や中国が批判するのは、戦後問題が解決できてないこともありますが、「戦争にこりている」日本人を知らないからだと思っていました。

私が韓国で見ていても、TVやニュースだけを見れば政治家の発言や時事ばかりが表に出るだけで、日本人の良い特性は伝わってきません。
作家の呉善花(オ・ソンファ)氏も著書の中で書かれていますが、日本人は鬼のような人々だと思っていたそうです。
実際に日本人に会わなければ、わからないことが多くあるのです。逆もしかり。

しかし、ここ最近の集団的自衛権の論議をみるにつけ、日本人の私でさえ、軍事国家への道を突き進んでいるように感じてしまいます。
過去、戦争に突入した時もこうだったのではないだろうか…?

勿論、今ではTVもインターネットもあり、世論もタイムリーに反映される時代でもあるので、強行的には決議されないでしょう。
しかし一度タガを外してしまうと、キリがなくなってしまう恐れがある。

韓国や中国の懸念は、日本がまた軍事国家の道へ進むのではないかということです。
私も当時の日本は、正気の沙汰ではなかったと思っています。
日本人が悪い方向へ一致団結すると、歯止めが効かない恐ろしさがあります。

平和憲法が、これまで日本の戦争抑止力だったのではないでしょうか。
自国にも、他国に対しても…。

今の中東や中国、ロシアの不穏な動きを見れば、軍備の増強も必要かもしれません。
いつまでもアメリカに頼っていられないのも理解できます。

しかし現在、アメリカで銃の規制ができないように、一度「持って」しまうと排除するのが難しいのです。
善良な市民でさえ、防衛のために銃を持たなければ不安な社会を作ってしまっているアメリカ。
世界の警察という大義名分で、どこにでも手を出して争いを大きくしてきた現実。

自衛や防衛という大義名分であったとしても、結局は「派兵」です。
そして派兵することは、兵士の命を危険に晒すことになるでしょう。
さらに現地で日本が攻撃されないはずがない。
また多くの犠牲者を出すことになるのは間違いないでしょう。

軍事力が抑止力になるような世界は、早く終わりにして欲しい。
誰もが平和を望んでいるはずなのに、平和への道へ全く進めない現実。

この堂々巡りは、どこかで断ち切らなければならないのではないでしょうか。



多文化家族と呼ばれる国際結婚家庭には、韓日、韓フィリピン、韓タイ、韓カンボジアなど様々な国があります。
その中で、韓日家庭が一番問題が多いという話を聞いたことがあります。

恥ずかしながら、私もいままでに夫婦喧嘩をしましたが、自分なんて韓国人妻に比べたら、ずいぶんマシじゃない?と思ってました。

韓国人同士の夫婦喧嘩は、それはそれは熾烈です。
女性は泣きながらヒステリックに叫んでいるし、男性は怒号だったりモノを投げたりと、近所の目も気にせず激昂しています。

あれに比べれば、私なんて可愛いもんでしょと思っていたのですが、実は間違い。

日本人は「言ってはいけないこと」を口走るようなのです。

韓国人の女性は自分がどれだけ大変かというのをヒステリックに叫んで訴えているのであって、相手を罵っているわけではないようなのです(私には何を言ってるか聞き取れないのですが…)。
もちろん人によっては、言葉が過ぎることもあるでしょう。
しかし、最後の一線は踏み越えないのが、これまでの韓国の常識です。
(最近はこういう常識もなくなりつつありますが)

さて、日本人は「うちの旦那は稼ぎが悪くて…」とか「うちの子は出来が悪くて…」なんて、謙虚だと思って言いますが、よく考えると、それって本当は非常に失礼で、人格否定にも等しい言葉なんですが…。
それでも日本ではそれが当たり前。
謙虚は美徳ですからね。

韓国では、外で旦那さんを悪く言うことはありませんし、喧嘩の際にも相手の自尊心を傷つけるような言い方をしないのです。
韓国人は自尊心が高いからこそ、逆に相手の自尊心を尊重するのでしょう。
しかし日本人には「自分が」という主張の方がより際立って見えるのです。

この文化の違いは、非常に大きいと感じています。

謙虚さと自尊心(=人格尊重)。
この相容れない文化の違いは、言葉や行動の行き違いをもたらします。

例えば、お土産。
日本では相手の負担にならないように小さくて低価格なものを渡しますが、
韓国では大きくて高価なものが喜ばれます。

日本人が韓国人に、菓子折りなどのお土産を渡すとガッカリされたり、
韓国人から大量のキムチをもらって、迷惑がる日本人など…。

どちらも「好意」であるのは間違いないのに、
どちらも「感謝」できないのです。

お土産程度でもこれなんです。
(理解し合えている人々は多いですけど)

韓国は日本に感謝しないとか、韓国に色々してやったとか様々言ってますが、「好意」という行動は、押し売りしても感謝されないのが人の常でしょう。

また、一部の韓国人の悪質な行為で「傷ついている日本人」という言い方をする人が多いようですが、謙虚な日本人は韓国人を傷つけてないか、考える必要があるのではないでしょうか。




韓国人は性急で、ケンカっ早いという印象があるかと思います。
最近では、ずいぶん見かけなくなりましたが、道端で喧嘩しているアジョシ(おじさん)達を見た方はいるでしょう。
しかし、韓国で生活していると意外と「そうではない」ことに気づきます。

ある日、スーパーのレジで並んでいると、ハルモニ(おばあさん)がスルッと列に横入り。これはケンカになるだろうと思っていた私ですが、肩透かしを食らうくらい普通に、当たり前のように計算完了していました。

あれ?

またある日、バスとタクシーがぶつかって運転手同士がケンカになりますが、乗客はバスに乗ったまま黙って待っているんです。誰もその場から動こうとしませんし、怒っている風でもない。

ん~?ここ、乗客が怒るとこじゃないのかしら?

またこれは日常茶飯事ですが、バスのツーシートで通路側に誰かが座っていると奥に座りづらいですよね。
韓国のバスは日本のバスより大型なので、シートの間が広いとはいえ、早く降りたいのはわかるけど、ツメて座って欲しいと思うでしょう。
日本人だったら「何こいつ(怒)」と相手を心のなかで批判していることでしょう。
もしくは端から見てもわかるように嫌な顔をするでしょう。
しかし、韓国人は平気で、嫌な顔もせずに相手をまたいで奥の席へ座ります。

車の運転でも、日本人は極端な例で言うと「どけよ(怒)」「ウィンカーだせよ(怒)」「運転下手クソ(怒)」などと、相手を非難することが多いと思います。
しかし韓国人は、ここでも平気でかわしていきます。
自分が道を変えたり対応すればいいことなので、すぐに車線変更、追い越し。
だから韓国人の運転は、車線変更が多いのだなぁと思ったものです。

そのように韓国人は、あまり相手を「責めない」のです。

これは、前にも書いた「能動的な韓国人」と「受動的な日本人」の民族性の違いによるものだと思いますが、韓国で暮らしていると、相手を気にする日本人の自分が浮き彫りになって、恥じることがあります。

民族性の違いといえばそれまでですが、私の目には韓国人の方がより、心にゆとりがあるように映るのです。