機殿神社追記、そして瀧原から三輪へ〜2016冬至伊勢行(17・最終回) | 日々のさまよい

日々のさまよい

昔や今のさまよいなどなど。

 

神御衣祭の荒妙を奉職する神麻続機殿神社〜2016冬至伊勢行(16)←(承前)

 

 

 

次は瀧原、という進行でしたが、その前に先の機殿神社について少し追記させて頂きます。

 

前回と前々回、2つの機殿神社にはそれぞれ所管社の末社八所があるとのことながら、境内には6社しか見当たらず、何でだろ〜と申し上げておりましたけれど、実は本殿の両脇に残りの2社があるとのこと、ハロさんからコメントで教えて頂きました〜

 

1. 無題

神殿の玉垣の中、神殿の両側にお社があったような…

写真を拡大すると、何となく見えるような気がします(^-^)

ハロ 2017-07-19 10:39:38

2016冬至伊勢行(16)コメント

 

 

確かに、自分の写真を拡大して見ると、そのような姿がありますね。

どうして気付かなかったんでしょうか?(泣)

 

 

  

 

 

 

ともあれこれで、機殿神社末社八所の所在がすべて分かりました。

ハロさん、ありがとうございます!

 

そこで折角ですから、その八所の祭神が機殿鎮守御前神(はたどののまもりのみまえのかみ)と十把一絡げにされている内訳を、考えてみたいと思います。

 

 

まず、境内御敷地の略図を作ってみましたのでご覧ください。

 

神服織機殿神社

 

左の本殿前にある2社は上座の方が少し大きく、右の4社のうち最下座の1社は少し離れて方向が他と違う上座の方へと向いています。

 

 

 

 

神麻続機殿神社

 

左の本殿前にある2社は同じ大きさで、右の4社は全て同じく境内の内側を向いていますが、上座の1社だけ少し大きくなっています。

 

 

 

 

このように両社とも末社八所の数と配置は同じであり、社の大きさや向きが微妙に違っているだけです。

そこでこれらを大きく区分してみますと、本殿両脇の垣内2社と、垣外の左2社+右4社、となります。

 

この区分における決定的な差異=格の違いは何かと考えてみますと、垣内の神は元々から人間を超えた存在であって、垣外の神々は元々人間であったのではないか、と仮定してみます。

 

 

ここで、前にご紹介した神御衣奉織始祭の写真をご参照ください。

神御衣奉織始祭

神宮/神宮について/神宮の御料と御料地/神様の衣「神御衣」

 

 

最前列で神官がひれ伏し、その真後ろと右後方で合計3名の神官が奉斎しています。

その最後尾、黒い背広で座っているのは、祝(ほうり・はふり)と呼ばれる祭礼のお世話役で、現地氏子方々の代表者です。

そして左横には、織子さん4名が並んで参列されています。

 

この写真を見ると、何となく垣外末社の配置に似ているような気がしますけれど、どうでしょう?

 

その思いつきのまま申し上げてみますと、御敷地の右に4社並んだ末社が織子さんたちのように思えます。

そして御敷地の左に2社並んでいる上座の1社は服部(はとりべ)の長と麻続部(おみべ)の長、もう1社はそれぞれの祝(ほうり・はふり)。

 

いかがでししょう?

さらに、末社それぞれの微妙な違いについても妄想してみますと…

 

神服織機殿神社

右4社のうち1社だけ少し離れて上座を向いているのは、赤引の絹糸を三河国から調達する人、もしくは、その三河国の絹糸生産者そのものを祀っている?

左の2社で上座の1社が服部の長だとすれば、やはり昔から絹の方が麻より高価なため、そこは麻続部の長より少し大きくしておいた、とか?

 

神麻続機殿神社

右4社のうち上座の1社だけ少し大きいのは、麻続部はその麻を栽培するところから担っていましたので、単に機織りのみならず、その栽培をも含めた全現場の棟梁を祀っているから?

 

そして、格上の垣内には、神御衣奉職の主役ともいえる人間ではない神々が鎮座するはずで、それならば本殿に祀られている機殿鎮守神とは、絹の神と麻の神のことであり、両脇の末社には、機殿の神と高機(たかばた)の神、それぞれが祀られているのではないか、などと思ってしまうところですが…

 

まあ、本当のことは分かりませんので、次に機会があれば現地の方へ質問してみたいと思います。

 

 

ちなみに、この本殿両脇の垣内末社は、かつて八幡宮と春日社だったそうです(笑)

寛政9年の『伊勢参宮名所図解』には、左右に八幡宮と春日社の社殿を配置して三社信仰の形態であったことが記されている。明治初期の『神三郡神社参拝記』では、左右の社殿を東西宝殿と記している。

Wikipedia/機殿神社

 

けれど、アマテラスを皇祖神として国家神道を推し進めた明治以降、さすがに神宮内で八幡宮や春日社を祀ることはできなかったため、祭神を入れ替えざるを得なかったんではないでしょうか。

 

 

 

あと、機殿で実際に奉職される方は、かつて男性もおられたとのことですが、今となっては女性ばかりかと思っていましたけれど、まだまだ男性も奉職されているようです。

 

日本の三重県松阪市井口中町にある皇大神宮所管社神麻続機殿神社で行なわれる荒妙(あらたえ、麻布)の奉織。本人が撮影。

Wikimedia Commons/Kan-omi-hatadono-jinja 14.JPG

 

両機殿で御衣(おんぞ)を奉職する物を古くは人面、織子といった。人面は男子の、織子は女子の織工をいう。

『伊勢神宮』櫻井勝之進(学生社/2013年)

かつては奉織工を「人面(にんめん)」と呼んだが、現在は「織子(おりこ)」と呼んでいる。

Wikipedia/機殿神社

 

 

ということで、以上、機殿神社に関する追記でした。

 

 

 

 

そして、神麻続機殿神社を13:00ごろ出発し、50分ほどで奥伊勢の瀧原宮へと到着しました。

しかしながら、またまた瀧原でも写真を撮っていませんでしたので、下のようなご紹介とさせて頂きます。

 

 

瀧原宮

 

 

 

御祭神:瀧原宮(たきはらのみや)天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)

瀧原並宮(たきはらならびのみや)天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)

 

瀧原宮、瀧原並宮とも天照大御神の御魂をお祀りし、古くから「遙宮(とおのみや)」として崇敬を集めています。瀧原宮は二つの別宮が並立しており、また御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あります。

神域内の樹齢数百年を越える杉の木立に囲まれた参道と谷水の流れを利用した御手洗場は内宮を連想させ、神代の昔に誘います。

お参りは瀧原宮、瀧原並宮の順にされるのが一般的です。

神宮/内宮(皇大神宮)/別宮 瀧原宮

 

 

瀧原宮はいつも、私たちにとって伊勢参りの〆となります。

いずれ朝一番にも来てみたいと思いながら、いまだ果たせませんけれど、それはさぞや清々しいことだろうと、いつか来る日を楽しみにしています。

 

あと、ここから車で10分ほど行くと、宮川のほとりに皇大神宮摂社の多岐原神社(たきはらじんじゃ)があります。

瀧原宮へ訪れた際、時間に少し余裕がある場合はそちらへも足を運ぶのですが、この冬至行では残念ながら無理でした。

 

 

多岐原神社(たきはらじんじゃ) 皇大神宮摂社 

祭神:真奈胡神(まなこのかみ)

 

祭神は倭姫命が宮川を渡るのをお助けした土地の神、真奈胡神。地元では祭神から「真奈胡さん(まなこさん)」といい、信仰のあついことで知られる。ここから三瀬坂峠(みせざかとうげ)を越えて瀧原宮の方へ出るのが熊野古道(約1時間)である。社頭には常夜燈2基があり、紀州藩が享保甲辰(1724)に建てた禁殺生石がある。宮川本流の右岸にあって、社域は山水の美を兼ねそなえた地である。

お伊勢さん125社まいり/滝原めぐり/多岐原神社

 

 

この多岐原神社は上の説明でもあるように、山水に囲まれとても静かな美しい杜に鎮まっていますからお奨めです。

今まで何度か訪れましたけれど、一度として他の誰かに遭遇したことがありません。

 

ところが今年の夏至、久しぶりに訪れてみると、いつも車を駐めさせて頂いていた道の角に、運転手さんの乗ったタクシーが停まっていました。

あれ? 珍しく他に参拝客がいるのかな、と思い多岐原神社へ進んでみると、ちょうど月次祭が行われている所でした。

 

いつもシンと静まりかえった杜の様子しか知りませんでしたので、とても有り難く後ろの方で勝手ながら参列させて頂きました。

また、お祭りが終わって神官がタクシーで引き上げてから、背広を着た祝(ほうり)の方が片付けの合間に色々とお話し相手になって下さり、これもまた楽しい一時でした。

 

 

2014夏至伊勢行(7・最終回)恵利原の水穴〜瀧原宮

 

 

 

ようやくこれにて、冬至の伊勢行は完了です。

後はここから西方の三輪へと太陽を追って一気に進み、夕陽を遙拝して満願となります。


ともあれ、ここ瀧原までに至った伊勢行2日目の行程と地図をご参照ください。

 

▼12月21日(水・冬至) 夜明06:21/日出06:56(内宮)

04:00内宮P…饗土橋姫神社…05:00内宮07:00…津長神社…大水神社…冬至祭…07:30宇治橋(日出遙拝)08:00→08:20朝熊神社・朝熊御前神社…鏡宮神社09:10→09:40へんばや本店(へんば餅+赤飯昼食)10:10→10:30斎宮歴史博物館11:30→11:50神服織機殿神社12:20→12:30神麻続機殿神社13:00→13:50瀧原宮14:40→

 

 

 

 

 

そうして辿り着いた三輪は桧原神社での夕陽。

滑り込みで間に合った、かな?(苦笑)

 

写真をヨコ位置でしか撮っておらず、それだとあまり大きく見て頂けませんので、↓トリミングしてみました(泣)

 

 

いつもなら、もちろん大神神社の二の鳥居から各社を参拝して後、桧原神社へと入るのですが、この時はそのような余裕がまったくないまま、瀧原から桧原神社へと直行してしまいました。

 

 

 

 

少し落ち着き、鳥居の中から夕陽を望みます。

 

春分と秋分には、これよりもっと右側、真西の方向に聳える二上山の2つある頂上の間に夕陽が沈みます。

しかし冬至に太陽が沈み行く山は、いま見えている葛城山となります。

 

 

 

 

残照に映える桧原神社へと参拝。

 

アマテラスはかつて、ここから出発して伊勢へと遷りました。

そのため私たちはその行程を遡り、太陽の生滅とその運行とともに伊勢から出発しこの三輪へと至ることで、何かしらひとつの寿ぎになるのではないか、などと思っています。

 

 

檜原神社(ひばらじんじゃ) 大神神社摂社

祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)

この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。

大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。

境内には、昭和61年11月5日、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)が鎮斎されました。

万葉集等に「三輪の檜原」と数多く詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなり、西につづく檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地であります。

大神神社/檜原神社

 

 

 

瀧原から、この三輪への行程はこのような感じです。

 

▼12月21日(水・冬至) 日入16:50/日暮17:25(桧原神社)

瀧原宮14:40→高見峠→16:40桧原神社17:10→今西酒造本店(新酒)→17:40大神神社[祓戸社…拝殿…己の神杉…社務所(大祓人形申込)…磐座社…狭井神社…薬井戸]19:30→

 

 

このように、桧原神社でようやく満願を迎えたのが夕方5時過ぎ。

 

そこからともあれ今西酒造本店へと向かい、例年通り年末年始用に絞りたて原酒「鬼ごのみ おり酒」を手に入れようとするも、何と完売済み!?

 

「え〜、そんなん初めてや〜ん、まだ12月やのに〜〜」と、女将さんに泣きを入れるも、

「そやねん、今年、大人気でもう予約分しか残ってないんよ〜、ゴメンね〜〜」とのこと。

 

とはいえ、実のところ11月の新酒時期、すでに何本か送って貰っていたので、全くありつけなかったわけではありませんけれど、そちらはアッという間に完呑済み(号泣)

 

そこで、女将さんから、

「あと2本だけ、これ残ってんねんけど、どう?」

とおもむろに、コッソリ何だか上等そうな一升瓶が…

 

まあ、ともあれ、そのお奨めを頂くと、次にやっと二の鳥居前に到着しました。

 

そこから、もはや夜の帳が下りてしまった大神神社の闇を搔い潜りながら、クルリと要所を参拝してまわり、ようやく家路につくことができました。

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

※さて、今回をもってしばらくブログをお休みさせて頂きます。

今のところ再開の目処は見えませんけれど、いずれまた、ヨロシクお願い申し上げま〜す。

\(^_^

 

 

 

 

~いつも応援ありがとうございます~

人気ブログランキング  /  にほんブログ村  /  FC2 Blog Ranking