幻の宮への扉をひらく斎宮歴史博物館1〜2016冬至伊勢行(11) | 日々のさまよい

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広い駐車場から、石段を上がって三重県立斎宮歴史博物館の入口へと向かいます。

 

斎宮歴史博物館ホームページ

 

斎宮歴史博物館(さいくうれきしはくぶつかん)は、三重県多気郡明和町竹川にある斎宮遺跡(国の史跡)に設置されている三重県立の博物館である。テーマ博物館であると同時に、埋蔵文化財センターとしての機能を有する。

 

開館までの経緯

伊勢斎宮の遺跡は、南北朝期以降荒廃し、その遺跡も不明だったが、1970年(昭和45年)頃からの宅地造成に伴い、三重県多気郡明和町古里地区に斎宮遺跡の存在することが明らかとなり、1979年(昭和54年)には史跡指定を受けた。

(中略)

博物館予定地自体が遺跡であるため、慎重な発掘調査を経て、1988年(昭和63年)1月に起工、1989年4月より業務を開始し、10月に開館した。

Wikipedia/斎宮歴史博物館

 

 

そして斎宮(さいくう)とは、このようなことです。

 

斎宮と斎王 さいくうとさいおう

 斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されました。

  古くは、伊勢神宮起源伝承で知られる倭姫命(やまとひめのみこと)など伝承的な斎王もいますが、その実態はよくわかっていません。

  制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されています。

斎宮歴史博物館/斎宮とは?

 

 

 

 

博物館の正面に鎮座する塚山2号墳。

 

この博物館が建っている一帯は、斎宮以前の古墳時代に小さな古墳が群集して造られた地域で、塚山古墳群と呼ばれているそうです。

 

斎宮にも古墳があるの?

史跡北西部にあたる古里・塚山地区には5世紀後半から7世紀にかけて築造された塚山古墳群が所在し、現在47基の古墳が確認されています。斎宮歴史博物館の西側にある1号墳と正面にある2号墳は、昭和62年(1987年)、博物館の建設に先立って古墳の規模や形状・築造時期を確認するための調査が行われ、1号墳は直径21メートルの円墳、2号墳は一辺18メートルの方墳で幅約5メートル、深さ約1メートルの周溝が四方を巡っていたことがわかりました。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

斎宮のあったこの地は、遠く北西の果てに平城宮と平安宮を望み、神宮からそれら都へと向かう方角に直線で15kmほどの距離となります。

史跡斎宮跡東部整備基本計画書 平成22年3月 三重県生活・文化部/表紙 赤色はマルデン


 

そして、斎宮から離宮を経由し、外宮正宮を経て内宮正宮へと至る徒歩でのルート↓。

 

まあ、これはあくまで現在の道路に沿ってのものですけれど、17kmほどになりますから、普通の人が休みなくスタスタと歩いても4時間ちょっと、輿に斎王を乗せ行列を組んでゆっくり行進したとしたら、正味で8〜10時間はかかるでしょうから、一日で斎宮から神宮へ辿り着くのは無理だったようです。

 

そのため斎宮と神宮の中間地点に離宮院(りきゅういん)を建立し、斎王の神宮参詣における宿泊施設としたそうですが、やがてその離宮へと斎宮本体が移された時期もあったとのこと。

 

離宮院(りきゅういん)

度会郡にあった斎宮の離宮のこと。本来は斎王が伊勢神宮に参詣する際に宿泊場所として利用した施設であるが、神宮の事務を司る太神宮司や、神宮への天皇の使が利用する勅使房なども同じ所に置かれていた。斎宮と内宮のほぼ中間に立地し、天長元年(824年)には斎宮本体がここに移され、承和6年(839年)に火災により多気郡に戻るまで、ここに斎宮があった。現在のJR宮川駅南側一帯がその遺跡で、八脚門跡が確認されている。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

斎王のつとめ

 斎王が伊勢神宮へ赴くのは、6月と12月の月次祭と9月の神嘗祭の3回に限られていました。これを三節祭と呼び、外宮では15・16日、内宮では16・17日に行われます。

 斎王はその前月の晦日に祓川や尾野湊(大淀浜)で禊を行い、15日に斎宮を出て離宮院に入ります。翌16日には外宮、17日には内宮に赴き、まつりに奉祀して、18日に再び斎宮に帰るのです。

 

斎王参宮の行程(神嘗祭の場合)

斎宮歴史博物館/斎宮とは?/斎宮の日々

 

 

けれど、わざわざ都から遙か遠い伊勢へと斎王を神宮に仕えさせるため派遣しているにもかかわらず、これほどまで参詣に不便な地へ、なぜ斎宮を建てたのでしょう?

 

どうしてこの場所(現明和町)に斎宮が置かれたの?

どうしてかは、歴史史料に記されてはいません。現在の斎宮は、伊勢神宮の勢力範囲「神郡」の西端に位置します。そして、奈良時代の官道に接して設けられています。ですので、伊勢神宮へ三節祭のため向かう際、神郡内をより長く行列してその斎王あるいは天皇の威儀を示したのではないかと推定されています。もしくは、伊勢神宮のすぐ近くでは、神宮側の反発が大きく、そこで神郡の端に設けられたのではないかとも考えられます。いずれも、仮説に過ぎません。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

もしかしたら、上のQ&Aにある「神宮側の反発が大きく」ということから考えてみますと、そもそも神宮の神官たちは、いずれも地元伊勢の有力豪族となりますから、その本来の祭神であったサルタヒコなどを否応なくアマテラスへと変えさせられ祭祀を行っていたと思われますので、当時はいつ中央政権へ謀反を起こすか分からない存在だったと思います。

 

そうだとすれば、そのような獅子身中の虫ともなりうる者らの掌中となる神宮至近に斎宮を建てたとしたら、いついかなる時に斎宮が地元豪速に蹂躙やら籠絡されるか分かりせんから、あえて少し離れた地に斎王をお目付役として立てたのかも知れません。

 

またその上で、今度は遠くの他国から、まつろわぬ勢力が伊勢へと攻め入った場合、内宮に祀っている八咫鏡など万一にも奪われたりすると大変なことですから、武官に守られた斎宮を神宮より少し離れた伊勢の入口といえる地に、その防波堤として設けておくことも必要だったかと考えられます。

 

またもちろん、斎宮の地はいわゆる「太陽の道」東端となりますので、そのような意味でも、ここが重要な要衝として意識されたこともあろうかと思われます。

古代探訪/伊勢斎宮

 

まあ、これらは単なる思いつきでしかありませんけれど、まだまだ国情の安定しない時代のことですから、色々な思惑があったのではないでしょうか。

 

 

 

整備計画地位置図

斎宮歴史博物館/今回の史跡整備計画の概要

 

これは史跡斎宮跡の全体図となります。

様々に整備が進められ、見どころも多いようですが、今回は時間の都合で歴史博物館しか行けなかったため、次の機会にリベンジを期したいと思います(泣)

 

 

 

明和町観光サイト/日本遺産認定「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」パンフレット

 

また、斎宮跡のある明和町では、「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が文化庁「日本遺産」として認定されており、斎宮にまつわる文化財群が総合的に整備されています。

 

↑は、そのパンフレットにある「日本遺産 構成文化財マップ」です。

明和町/日本遺産認定「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」

 

斎宮跡のみならず、興味深い場所が多いですから、↓でご紹介いたしますと、

 

 

 

文化庁/これまでに認定された「日本遺産(Japan Heritage)」/祈る皇女斎王のみやこ 斎宮

 

 

ということなんですが、これを見て、アレ? と思うことがありました。

 

それは、この後で私たちが向かう、ここから近くの内宮所管社である神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)と神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)が一覧に入っていないことです。

 

上のGoogleMap「斎宮と神宮」でも、地図の左上にこれら2社をオレンジ色でマークしていますけれど、斎宮跡から本当に近いですし、そもそも斎宮との関係にはとても重要な意味がありますから、いくらなんでも変だな〜、あり得ないよね〜と思っていたら、理由が分かりました。

 

この日本遺産「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」とは、あくまでも明和町が申請したもので、神麻続機殿神社と神服織機殿神社の所在地は、残念ながら惜しくも明和町の外、西側に隣接した松阪市だったんです。orz

 

その2社、僅かほんのチョットだけ境界線から西へ外れているだけですから、いっそのこと明和町と松阪市は協力し、ひとつの日本遺産とできなかったんでしょうか、ねぇ…

 

まさに、画龍点睛を欠く、というような構成となっていることが残念です。

 

 

 

 

博物館の正面、ここが入口。
 

このように↓、一般の観覧者はエントランスホールから受付前を通って展示ホールへと入り、展示室Ⅰ・展示室Ⅱ・映像展示室を巡ります。

 

斎宮歴史博物館/施設概要/平面図

 

 

 

 

『斎王』中村麻美氏寄贈

 

 

 

 

須恵器(すえき) 瓦鉢(がはつ) 奈良時代(8世紀)後半

 

須恵器(すえき)

古墳時代に朝鮮半島を経由してわが国にもたらされた、窖窯(あながま)で焼成された無釉の焼き物。高火度の還元炎で焼成されるため、青灰色から白色を呈する。斎宮跡には愛知県猿投窯産、岐阜県美濃須衛窯産のものが多量に出土する。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

女房?女官?人形

 

調べても、この人形のハッキリとした名が分かりません。

 

 

 

 

やはりこれをやらずにはおられないサチエ(笑)

 

 

 

 

蹄脚硯(ていきゃくけん)奈良時代

 

この蹄脚硯が、斎宮の存在を確たるものにした最初の物証だそうです。

幻の宮とされた斎宮への扉を開く、これが最初の鍵になったということですね。

 

斎宮の発掘調査はいつから始まったの?

史跡斎宮跡の西部にあたる斎宮歴史博物館の敷地及び南部のふるさと広場一帯はかつて古里遺跡と呼ばれていました。そこに団地開発計画がもちあがり、昭和45年(1970年)、事前の遺跡範囲確認調査を行ったところ、試掘坑のすべてで中世の遺構・遺物のほかに奈良時代の堀や竪穴住居、土器なども確認されました。そこで翌年、面的な発掘調査が実施され、奈良時代の大溝(おおみぞ)、土坑、掘立柱建物や蹄脚硯(ていきゃくけん)、大型朱彩土馬が確認されました。特に蹄脚硯は、当時平城宮跡や大宰府でしか見つかっておらず、斎宮の存在を確たるものにした最初の物証となりました。というわけで古里遺跡も斎宮の一部であったということがわかり、発掘調査で最初にメスが入った昭和45年の範囲確認調査を斎宮の第1次調査としています。

斎宮歴史博物館/斎宮Q&A

 

 

ここまでがエントランスホールの展示で、次の展示ホールではこの斎宮歴史博物館を象徴する「祈る斎王像」があった筈なんですが、全く気づかないまま通り過ぎてしまったため、その写真がありません(号泣)

 

ということで、次回は見落とさないことを固く心に誓い、ここに謹んで引用させて頂きます…

斎宮歴史博物館/斎宮とは?

 

 

またこのホールには、他に蹄脚硯と並ぶ代表的な出土遺物の朱彩大型土馬もあったそうですが、これもまた見落としていましたので、残念無念です。

その写真は博物館ホームページにも記載されていないため、何らご紹介できず申し訳ございません。

 

 

 

 

ここから展示室Ⅰ「文字からわかる斎宮」へと入りました。

 

葱華輦(そうかれん)

葱華輦(そうかれん)

人力によって運行する輦輿という乗物の一種で、天皇が神事や臨時の行幸に用いる輿で、天皇以外では、東宮や皇后、斎王も乗用が許されていた。屋上の葱坊主方形の吉祥飾りから葱華輦と呼ばれる。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集


 

 

 

武官人形

 

 

 

 

童女人形

 

 

 

 

童男人形

 

 

 

 

「歴代斎王プロフィール」

 

 

 

 

斎王が神宮の三節祭で行う祈りの様子を復元したマジックビジョン

 

この神宮の模型の中で、斎王が祈りの所作を行う姿を3Dで再現するそうです。

残念ながらこの時、私たちにはそれを見る余裕がなかったため、これも次の機会のお楽しみとなりました。

 

 

 

 

(左から) 鉄人形 人面墨書土器 土馬

 

これらはどれも、宮域内での祭祀に使われた道具のようです。

 

寮内でのまつり

 斎宮では、斎王自身が清らかであることはもちろん、寮の官人および寮内各所が常に清浄であることが求められ、都に準じた様々なまつりや年中行事が行われました。

 宮域内各所から土馬(素焼きの馬)や人面墨書土器(人の顔を墨で描いた土器)、ミニチュア土器など、まつりに用いられたと考えられる遺物が出土しています。

斎宮歴史博物館/斎宮とは?/斎宮の日々

 

土馬(どば)

土馬は古墳時代から奈良時代を中心に祭祀に用いられたと考えられている。形態はさまざまあるが、大まかには馬具を粘土紐などで表現した飾り馬から簡素な裸馬へと変化していくようである。土馬は馬の形代として、雨乞いなど水に関わる祭祀に用いられたと考えられ、溝や井戸など水に関わる遺構からの出土例が少なくない。また、疫神の乗り物にみたてて、これを破壊することで疫神の到来を防ごうとしたとする説もある。

斎宮歴史博物館/斎宮関連用語集

 

 

 

 

(左から) 白黒玉石(平安時代) 記号を線刻した土器(奈良時代)

 

これらも祭祀に使われた道具なんだと思われます。

けれど今、詳しい資料もスグには見当たらず、展示を見ていた際の記憶が完全に失われているので、スミマセン。

 

 

 

 

小型模造品(奈良〜平安時代)

 

そしてこれらも、祭祀道具かと思われます…

 

 

 

(つづく)→ 幻の宮への扉をひらく斎宮歴史博物館2〜2016冬至伊勢行(12)



 

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