清水富美加さん騒動で見えた新興宗教が嫌われる理由



女優の清水富美加さんが突然引退し、幸福の科学という新興宗教に出家したというので、芸能界を中心に大騒ぎです。

まだまだ騒動収束まで時間がかかりそうな清水富美加の引退騒動

もはや、所属事務所が対応できないレベルの混乱ぶり。ここ最近、タレントが原因で各方面がこれだけ混乱した例はない。

ぼくは、人がどんな宗教を信じようが自由であり、その信仰を外からとやかくいうべきではないと思っています。憲法でも信教の自由は保障されています。

しかし、それでも宗教、特に長い歴史のある伝統的宗教ではなく新興宗教は、人々に嫌われることが多いです。今回の清水富美加さんの騒動で、その理由がよく分かります。

その理由とは、本来は人々の心の平安、心の救いをするのが宗教の役割なのにもかかわらず、逆に人々に迷惑を掛けているからです。清水富美加さんが芸能界をやめて出家したいのならば、やり掛けた仕事はきっちりを終えてから、所属事務所ともよく話し合って出家すべきでした。今回のようなやり方では、迷惑をこうむる人がたくさん出てしまいます。

自宅で仕事をしているぼくのところにも、いろんな新興宗教の人が勧誘に来ます。彼らはそれぞれの信仰を持っていて、その価値観でぼくに話し、ぼくを救おうとされていることはよく分かります。しかし、ぼくは彼らのような価値観を持っていないのですから、時間ばかり取られていい迷惑です。

そして、どうも彼らは上から目線なのです。へりくだって話しているのですけれども、思考が上から目線です。要は、彼らは真理を知っていると信じているわけで、その真理に基づいてぼくを救済しようとしているわけです。「あなたは何も知らないで不幸になっているのですから、私が救ってあげるんです」という心が見え見えなのです。

つまり、今風の言葉で言えば自己中なのです。相手の都合など一切考えず、自分たちだけの論理で相手を引き込もうとしているのです。むろん、彼らは自分を自己中なんて少しも思っておらず、反対に完全に利他的行為であるとすら思っているのです。だから始末が悪いです。こういうスタンスだから、新興宗教は嫌われます。

「本当」に相手のことを考えられるようになったとき、その新興宗教は伝統的宗教のように、人々の中に自然に溶け込んでいくと思います。新興宗教を信じる皆さんの「真」の精進に期待します。


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