このシリーズも今日で一応のシメ。
詩人になったわけではない。ただの小品。
芥川龍之介の「侏儒の言葉」ぽくなっていれば。
別に文学史に載らなくてもいい。大した人生観じゃないので。
自分の部屋で、人生なんて考えられるか?
(2002年夏)
『書を捨てよ町に出よう』 寺山修司がそう言った。
書物で学べないことが町にあるから。その通りである。
でも、本に書いてあるのに、実体験できていないこともある。
それを追うためには、書は捨てず少し置いとくぐらいがちょうどいい。
自分の部屋で人生は考えられるものである。
旅に出るために人生観を変えていたら、それはそれで疲れてしまう。
人生を変えるために旅に出るのは窮屈で仕方ない。
人生なんて考えず、のんびりするのが旅の醍醐味である。
「決められたレール」は無いほうがいい。
(1996年冬)
これをJRが言うんかい。なかったら、事故起こすで。
これをJRが言うんかい。なかったら、事故起こすで。
頼むから決められたレールを走ってくれ。
好きな歌の1つに『人生という名の列車』がある。
好きな歌の1つに『人生という名の列車』がある。
人生を列車に例えて、自身の人生を振り返る歌である。
自分でレールを引いているようで、誰かがレールを作ってくれている。
そして、そのレールを脱線しないように走るのは難しい。
だから、たまに別の道を歩くのがいい。
でも、車がない私には、レールがないと旅はできない。
自分でスケジュールを組むたびは好きである。
でも、はとバスに乗って行く旅も好きである。
時間は決まっていても、全部必死に回る必要はない。
ちょろっと下見ぐらいで出かけて、もっと見たければ改めて行けばいいから。
行きたいところは尽きない。
だから、私は旅に出るのかもしれない。
まだ旅は続くが、しばしのお別れを。