「JとRのとコピー」その5 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

このシリーズも今日で一応のシメ。

詩人になったわけではない。ただの小品。
 
芥川龍之介の「侏儒の言葉」ぽくなっていれば。
別に文学史に載らなくてもいい。大した人生観じゃないので。
 
 
 
自分の部屋で、人生なんて考えられるか?
  (2002年夏)
 
『書を捨てよ町に出よう』 寺山修司がそう言った。
書物で学べないことが町にあるから。その通りである。
 
でも、本に書いてあるのに、実体験できていないこともある。
それを追うためには、書は捨てず少し置いとくぐらいがちょうどいい。
 
自分の部屋で人生は考えられるものである。
旅に出るために人生観を変えていたら、それはそれで疲れてしまう。
 
人生を変えるために旅に出るのは窮屈で仕方ない。
人生なんて考えず、のんびりするのが旅の醍醐味である。
 
 
「決められたレール」は無いほうがいい。
  (1996年冬)

これをJRが言うんかい。なかったら、事故起こすで。
頼むから決められたレールを走ってくれ。

好きな歌の1つに『人生という名の列車』がある。
人生を列車に例えて、自身の人生を振り返る歌である。
 
自分でレールを引いているようで、誰かがレールを作ってくれている。
そして、そのレールを脱線しないように走るのは難しい。
 
だから、たまに別の道を歩くのがいい。
でも、車がない私には、レールがないと旅はできない。
 
 
 
自分でスケジュールを組むたびは好きである。
でも、はとバスに乗って行く旅も好きである。
 
時間は決まっていても、全部必死に回る必要はない。
ちょろっと下見ぐらいで出かけて、もっと見たければ改めて行けばいいから。
 
行きたいところは尽きない。
だから、私は旅に出るのかもしれない。
 
 
 
 
まだ旅は続くが、しばしのお別れを。