ブログ記事の続きです。
東京都立中央図書館で「東京散歩学」とのタイトルで公開講演を聞いたあと歴史ある元麻布エリアを散策することにした。

図書館がある有栖川記念公園付近は都内でもちょっと雰囲気が違います。
何が違うか。それは外国人が多いことですね。
公園で遊ぶ子供たち、家族連れは6割は外国人です。
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ざっと地図を見ると大使館だらけです。
ノルウェー、スイス、中華人民共和国、パキスタン・イスラム、韓国、フランス、オーストラリア、フィンランド。 


図書館で配られた散歩地図。
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目に付いたのは「がま池」
たしかブラタモリでこの辺りを紹介していた時に番組で出てきたかな。
ただの池ではなく麻布七不思議として紹介されたと記憶しています。

地図を見ながらがま池に行ってみることに。
麻布運動場を抜けたところに変わった建物がある。
なんだろう。すごいデザインです。マンション?商業施設?地図には記載がないのでわからない。
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この奇妙な建物を通過して住宅街の入組んだ道を進む。道路は広くないがこの辺は豪邸ばかりです。
ウロウロしていると案内版を発見。看板の裏側はうっそうと木が生い茂っている。
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昭和50年に作られた看板なので少しさび付いています。
内容は以下の通り。

「その昔、旗本山崎主税助治正の屋敷内の池に棲む大がまが、夜回りに出た家来を殺した。がま退治を決意した治正に、がまは白衣の老人となって夢枕に立ち、罪をわびて防火に尽くすことを誓った。その後、文政4年(1821)7月2日、麻布古川より始まった大火が山崎邸を焼かんとする折りしも邸内の古池から一匹の大蝦蟇が忽然と現れ、水を邸に吹きかけて猛火を退け山崎邸だけが火災よりまぬかれたのです。世の人々、この奇端を感じて山崎家にお守り札を乞う者が後を絶ちませんでした。このお守り札が「上の字様」と称され、江戸時代には芝赤羽橋の有馬邸から出された水天宮の御守と並び称されたものです。   「上の字様」は火傷、防火の御守として、文政4年(1821)9月より山崎家の執事、清水氏より授与されたのですが、清水氏が郷里に引き上げることになり、麻布の伝統に依るもの故、以後末広神社を通じて授与されるようにとの依頼により、昭和4年(1929)より末広神社にて「上の字様」が授与されることになりました。」

この池にはガマがいたようです。しかし、このがまは大火の時に池の水を家にかけて火災を防いだとのこと。「上の字様」として昭和には、防災のお守りを販売して売れたとの話がある。お守りで一儲けしたのは本当のようである。

当時の池は500坪もあったらしい。
今は小さな池。
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明治初期の地図では大きな池であったことが分かる。
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この池は枯れたことがないらしい。地形的には起伏がある場所なので湧き水が窪地に溜まるのだろう。

上空から見るとこんな感じ。住宅に囲まれるように今も水をたたえて居るのが分かる。
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地形図では現在の池より窪地は大きかったことが分かります。
明治初期の地図のように長細い池と合致する窪地ですね。
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ぐるっと周囲を回ってみた。建物に囲まれているので池は見えない。
すると大きな駐車場を発見。
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あの林は池の周囲にある木々ではないか。
ちょっとだけ駐車場に足をふい入れさせてもらって柵に近づいた。
あったあった。池が。枝の間に水面が光っている。
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見えやすい場所を探して移動。
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はっきり確認できました。がま池です。

やっぱりかなり小ぶりの池です。
昔の写真はこれ。横長の池ですね。池としての風格あります。今は大きな水たまりと言った感じですが。
ガマ池 昔










肉眼で確認できて満足です。

麻布運動場の方に戻り、次のばターゲットは善福寺。
ここは、江戸時代に初めてアメリカ大使館が設置された場所。そして福沢諭吉先生のお墓があることでも有名です。
このお寺、史跡密集場所なのです。元麻布に来たら外せませんね。

仙台坂を下ったところ。韓国大使館の目前に位置しています。
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この辺りは警官がやけに多い。平昌オリンピックの時期なので韓国大使館周辺の警備が強化されているのかな。
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その2へつづく。


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