「ノー」を言わない訳 | 国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

国際結婚 こんなところまで来てしまった・・・

これは、私の過去の記録(日記)です。
イギリス人の夫と国際結婚 
中東で海外生活を経て
やっと日本に戻ってきた。。
海外でも日本でも何故かいつも微妙に波乱万丈をしている
2児の母です。

叔母と禁断の義母トークで盛り上がった。

まあ、私は主に聞いていただけだけども。。

 

私は一応バレても差支えがないこと以外は

口にはしない主義。

 

湖の話は言われても問題なし。

むしろ知っていて欲しいので

告げ口して欲しいほど。

 

しかし義母と叔母たちの過去にまで

言及する気はサラサラない。

私は実際に当時のことは知らないし

彼女たちの問題で

この問題を私の問題として捉える気は

全くないからだ。

 

どっちの味方にもつかない。

どっちもどっちだという

私の結論は

義母の話を聞いても

叔母の話を聞いても

まったく変わらなかった。

 

義母は小さい子のたった一度の粗相のこれくらい

許すべきだったと思うし

叔母は人のうちにお世話になってるんだから

タオル敷くくらいの配慮はすべきだったと思う。

 

まあ、どーでもいいけどね。。。笑

 

さて、話が終わった頃

義母たちが帰って来た。。

 

子供達は楽しんだよう。。。

 

これで、もう湖に行くことは

諦めてくれればいいのだが。。

 

帰って来て

夕食の用意をする私たち。。。

 

義母は叔母に米を炊く事を支持。。

叔母はインド人だ。

米の炊き方は知っている。

 

日本米を何度か使ったことがあった叔母は

普通通り

米を計り

洗い

水を炊飯器に入れる。。。

 

その際、叔母はカップで水を入れた。

 

すると義母は叔母に怒り出す。

「水はメモリに合わせて!」と。。。

 

これ、義母が初めてご飯を炊いた時に

私がわかりやすいように教えたのだが。。

どうもカップで水を入れるのと

メモリを基準に水を入れることが

同じことだということには

気づいてなかった様子。。。

 

そんな義母に米の炊き方を言われたもんだから

叔母は面食らう。。

 

ああ、お義母さん。。。

それは・・・汗

 

と声に出しそうになるが

義母がなんだか怒ってる様子なので

そのままに。。。

 

「私に米の炊き方にケチつけるなんて。

ありえん。

メモリもカップも同じことなのに。。」

とかなりご立腹の叔母。

 

そりゃそうだ。

 

ここでもまた

一触即発の状態に突入。。。

 

そして食卓では

叔母が余計な一言を発し

また険悪な雰囲気に。。

 

その余計な言葉とは・・

「サラダはウサギの餌よ」とな。。

 

叔母、サラダを食べる習慣がないのか

生野菜は「ウサギの餌」を豪語する。

これが私が叔母に思う余計な一言。

 

サラダを用意した義母には耐えられない屈辱。

 

こんな微妙な感じが何回か続き

なんども息が詰まりそうになった私。。

 

 

この日

花火大会があるということなので

夕食後隣町に行くことになった私たち。。


 

花火は日本のよりは

若干規模が劣るものの

やっぱり綺麗で。。

10メートル先で打ち上げていたため

ものすごーく近くで観れてよかった。

近いとあんなにすごいんだな・・・。

 

まあ、今回のフランス滞在で

一番の収穫。

 

しかし。。。問題は起こった。

 

花火打ち上げ前

すでにかなり酔っていた夫。。。

 

花火を見た後

ろれつが回らないほど。。

 

そんなに飲むなよ。

 

私は冷ややかな目をして見ていた。。

 

花火が終わり家に帰る途中

道端にイギリス人在住組が。。

 

何かを必死になだめてる。。。

 

よく見ると馬・・・・

 

馬が目隠しされているにも関わらず

策を抜け出してしまい

今にも溝に落ちそうな状態・・・。

 

みんなで馬を柵の中に返そうと必死なのだが

全くだめ。。。

 

夫は酔っていたため

馬の後ろ側に行き

馬のお尻を叩き始める。

 

これ、馬に一番してはいけないこと。。

馬の後ろ側は危険なのだ。

 

私は夫を必死に静止。

 

馬に蹴られて死ぬなんて

冗談じゃない。

 

しかし。私以外誰も夫を止めようとしない。

あんたの息子

どうにかしろよ。。

 

そう思いつつ

大男を抱え込んで

車に連れ込む私。

 

夫を世話するのは

本当に肉体労働

特に酔ってる時はね。。

 

ここの親のわからんところは

酔ったらひたすら自分の息子を無視するところ?

 

とりあえずどうしようもないので

そのまま家に帰り

警察に任せることに。。

 

翌日。。。

 

夫が酔いから覚めると

財布がないことに気づく。

 

財布がない。

これは一大事。

後数日で帰る私にとって

これほどショックなことはない。

 

夫は今回の旅でなぜか全部重要なものを

自分一人で抱えていた。

つまり、すべての預金・クレジットカードを

保有していた夫の財布がなくなったのだ。

 

実はこのことに関して

夫と半ば喧嘩をした。

何かあったときのために

大事なものは分散させたほうがいいと言う

私の意見を押し切り

すべてを保有していた夫。

 

だから、この失態は

いつも以上にブチ切れた。

不安で仕方がない。

 

どこに落としたの?

どうするの?

なんで酔ったまま

財布持ち歩いたの?

私言ったよね?

責任持つって自分が言ったのにどういうこと?

と詰め寄る私に

義母は息子擁護にまわる。。

まるで夫は悪くないと言わんばかりなことを

連発していい始める。。

 

そして終いには

「そんなに心配しなくても

なんとかなるわ。」

とのんきなことを言う。

 

でた。

まただ。

私を心配性のような言い方で

物事を片付けようとする。

 

夫にも義母にも

イライラマックス。

 

具体的な提案はなしで

心配するなと言われても

納得できない私は

かなり怒りをあらわにした。

 

なんとかしなくては。

酔いが完全冷めてないボーッとした状態の夫は役立たず、、

私が考えなければ。。

 

どうしよう、どこから探せばいい。。

 

どの時点まで財布を持っていたんだ?

どこで何をしたんだ?

 

記憶をたどり

財布が落ちたであろう場所を絞る。

花火を見に行く前

夫はタバコを買っている。

なので、その時点では財布あったはず。

じゃあ、財布をなくしたのは

1 花火を見たとき

2 馬を追いかけたとき

この二つだ。(車の中は捜索済みなので対象外)

 

特に・・・

財布が落ちた可能性が一番高いのは

きっと花火を見たときだ。

キャンプ用の低い椅子に座ってたから

ズボンのポケットから落ちたに違いない。

 

そう結論を出した私は

私はもう一度花火を見たところに行くことを提案。

急いで現場に来るまで向かう私たち。。

 

すると。。

運悪くそこはコンサートの会場を設営していた。。

つまり

多くの人がそこにいた。。

 

「財布。。落ちてませんでしたか?」

そう質問してくれた義父。

 

すると

「忘れ物は全部役所に一旦集められるから

そこに行ってみな。」と

親切なフランス人の工事現場のおっちゃんが

教えてくれた。。。

 

急いでその役所に行き。。。

忘れ物を尋ねると。。。

 

あった。。

 

警察に届けてくれていたよう。。

 

私はこの時初めて

気持ちが楽になった、、

 

いや、泣きそうになった、、

 

財布を落として

すべてのカードをストップし

再発行してもらうまで

ものすごく手間も時間もかかるし

現金も手元にあまりない状態だったので

不安で不安で仕方がない。

しかも、これから帰ると言うのに。。

 

海外で頼りになるのは金。

それを断たれることへの不安は

表現のしようがないほど辛い。

 

なのに。。

この知らせを聞いて

「ほらあった!

心配しすぎなのよ!」

と、よくわからない義母の励ましを受け

余計にカチンときた私。。

 

何が心配しすぎじゃ〜!

ボケ💢

 

そう思いっきり心の中で叫んだ。

 

それを聞いた叔母は私の肩を抱いて

「よかったね。。

不安だったよね。。」

と励ます。。

 

こう言う普通の励ましでよかったろうに

なんで、不安だった私を

貶める必要があるのか・・・

 

全く。。

 

 

警察で財布を受け取った私たち。

財布の中身は奇跡的に全部あった。。。

よかった。。。

 

警察を出てホッと一安心。

「みんなに迷惑かけたから

美味しいもの奢るよ。」

と私も夫も提案。。

 

迷惑をかけたこともそうだが

ただ単に美味しいもの食べに

義父母と叔父叔母と一緒に行きたかっただけだけども。。

 

しかし、義母はその提案を無視し

私たちをスーパーに連れて行き

そこで昼食の材料を買わせる。。

 

なんで??

 

と思いつつも義母の指示通り

サンドイッチの材料や

つまめる寿司などを買う。。

 

どうも、義母は思いついたようで

強制ピクニック。。

 

もうね。。

私たちには食事を奢る権利さえない。

 

まあ、多分、叔父叔母のために

私たちに金を使わせることが

不本意だったのだろう。。

 

いや・・

私からしたら

義弟家族に金を使うより

叔父叔母に金使うほうが

随分気分もいいんだけどもね。。

むしろ奢りたいよ。

迷惑かけたんだし。

 

なんだかよくわからない

私たちを守ろうとしての意地なのか

はたまた

叔父叔母への嫌がらせなのか

今まで以上に

コントロールしたがる義父母。

 

そんなこんなで微妙な日々を送る私たち。。

 

そして・・

ようやくフランス滞在もあと1日に差し迫った頃

またあの話しが持ち上がる。。

 

「最後に湖に行こう。」

とな。。

 

まだ諦めてなかった。

もう、帰るというのに

わざわざ泳ぐという行為をしたくない私。

まあ、湖で泳ぐのは

それ以前に嫌だけども。。

 

私がいない間

夫と叔父がタグを組み

義父母に

「湖じゃなくて

ヒロはリモージュに行きたいんだって。

どうせなら、僕たちも街を見たいから行こう。」と

提案をしてくれた様子。

 

まあ、欲を言えば

私をダシにしなくても

言えたんじゃないかと思うが

まあ、この際、私が悪者でもいいわ。

湖に行きたくないのは

義父母以外全員一致なんだけどもね。

 

湖に行きたくないことと

その代替案の提案までした叔父叔母と夫。。

 

夫は帰って来て

私に「ヒロが湖に行きたくないって

ちゃんと説明してやったから」と

手柄をとったかのごとく

自慢げにいう。。

 

まあね。。

これで一安心。。

なんとか湖で泳ぐということは防げたかな。。

 

そう思っていた夕食どき。。

いつものように夕食の準備を手伝っていると

「明日、湖に行きたいんだけど

どう思う?」と義母が何気にいい始める。。

 

私は心の中で

「はあ?さっき話がついたんじゃないのか?」

と叫びつつ

 

「いや、、、

最終日だし、

泳ぎに行って

何かあるといけないので

普通に過ごしたい。。」

と遠回しに行きたくないことを説明。

 

まあ、説明する必要はないけども。

 

すると私の説明を聞いて

「行きたいの?

行きたくないの?

どっちなの?」と

急にブチ切れ始める義母。

 

いや。。。

行きたくないって

叔父も叔母も夫も言って

私も説明したのに

まだわからないのか???

 

と私も頭のどっかが

ブチっと切れたのがわかった。

 

「行きたくない。

行きたいとは思わない。」

そうはっきり言った。

 

ここまで言わないと

わからないのか?

 

正直義母はこういうのを読み取るのがうまい。

なのに、今回はわざと私が断れないだろうと睨んで

きつく質問したのだ。

 

このことに

一番カチンと来た私。

 

たかが湖に行きたくないくらいで

なんでここまで

不快な思いをさせられるんだ?

 

昔、日本の文化や

私の答え方は説明した。

 

「日本人はノーと言わずに

ノーを表現する。

はっきりと相手にノーを突きつけることは

日本では失礼なことだから。

 

でも、嫌なことは嫌だと

ノーを使わなくとも

きちんと表現するから

内容をよく理解してれば分かるはず。」

 

そう説明したことを覚えてる。

説明したのに、わざとこう言う言い方をするなんて

義母はどうかしてる。。

 

私はこのとき初めて義母に

きついノーを突きつけた。

 

義母が望むなら

私はノーと言える。

 

今まで言わなかったのは

私がノーが言えないんじゃない。

言わなかっただけだ。

 

現にインド人やアラブと対立するときは

いつも強いノーを示す。

はっきりとノーを連発する。

それは相手が敬意を払っていないから

私が敬意を払ったところで

話はほとんど伝わらない。

つまり

同じレベルで話さないと拉致があかないからだ。

 

だからストレートに表現する。

 

私のとってストレートに「ノー」を表現することは

相手に敬意払うことを諦めたと言うことも同然。

もし、義母がそれを望むのなら

私はそうしてもいい。

私が日本人であることに敬意を払わないのなら

私もあなたにイギリス人として

義母としての敬意は払わない。

 

このとき私の目つきは変わっていただろう。

 

自分の思い通りに動かすために

私への敬意を忘れた表現をしたことは

私を心底呆れさせた。

 

夫も呆れていた。

「あそこまで言って

まだわからないなんて

我が親ながら情けない。」とな。。

 

まあ、私からすれば

わからないんじゃなくて

ただ単に

自分たちの思い通りにさせたかっただけだ。

 

最後の日くらい

前から約束していた

リモージュに連れて行くくらい

してくれたっていいじゃないか?

 

今まで一度も私たちの願いが叶わなかったのだから。。

 

結局、次の日は文句言いつつ

リモージュの街に出かけた。

 

叔父叔母は陶器を買いたかったのだ。

 

実はリモージュ

陶器が有名。。

エルメスの陶磁器はリモージュ産。。

 

私も陶器は大好きなので

見てみたかったのだ。。

 

陶器屋さんで骨董品屋さんで

色々な買い物をして

やっと1ヶ月ごしの願いが叶えられ

私たちはバーレーンに戻ることになるのであります。。