ある愛好家が「ナンバ」という動きについて質問してきました。
「飛脚は同じ側の手と足が同時に出ている動きで1日に100kmを走ることができたようです。飛脚の写真や絵が残っています。そのような動きについてどう思いますか?」という質問です。
10年ぐらい前ですが、その写真を見たことがあります。でもツッコミどころ満載でした。
まずその写真は、完全にカメラに向かってポーズを取っています。止まっている状態を、撮影しているので、全く躍動感がない。身体の重みが安定。私にはマネキンのような物に見えます。
これはカメラ(フィルムの感光度)の技術的な問題があると思います。動いているものを鮮明に撮ることはできない。だから、静止状態を撮影するしかなかったと考えられます。
この時点でアウト。動いている最中の静止画ではないから参考にならない。
絵の場合は、単に間違って書いた可能性もあるし、見栄えが良い(身体が前を向いている状態に近い方が格好がわかりやすい)ように描いた可能性もある。これらの可能性がないとは言えない。
これだけでは窪田テニスの読者は満足できないと思うので、あまり他人が言わないことを書きますね。
では、あの写真が走っている最中の静止画だったと仮定します。上記のことは一旦忘れてください。
飛脚は荷物を持っています。
片手に棒を持っていますよね。その棒は、持っている手側の肩に当てられ、その先(身体の後方側)に箱が付いています。この箱の中に物が入っている。
(棒に手紙が直に縛られている写真もありますが、これはどうかな?雨が降ったら運べないと考えると、天気の良い日で短距離の移動だったことになるので、、、。それに、これだと縛っている紐が緩んで手紙が落ちた場合が大変です。飛脚は手紙が落ちたことに気づきません。)
この辺のことから、普通の移動(歩くや走る)とは全く違った動きになるのがわかりますか?
この箱の中身が、大事な預かり物だとしたら、揺らせません。揺らして中身が壊れたり、手紙などのにシワができたりするといけない。
この条件で、できるだけ荷物が揺れないようにするには、どうすればいいのか?
両腕の動きを抑える必要があった。両腕が前後に動くと、両肩も前後に動きます。
このような道具の場合、両肩の動きが少しでも、大きな揺れになります。肩は前後に動いているようでも実際は、身体の中心(胸骨、背骨)を支点として円の動きになります。前後と左右の揺れが混ざるということ。
「棒の端に箱をつけている=身体の中心から遠い=箱の揺れは大きい」
体力の消耗が激しくなるでしょう。
胸や背中に巻きつけたほうが揺れないと思います。どうして、そうしないのか謎です。その当時に、登山用のバックパック(胸と腰をロックできるベルトがあるやつ)があったらみんなビックリするでしょう。
「大事な預かり物を傷つけずに長距離走りたい。だから、両腕の動きを抑えて走った。」と考えれば納得はできます。
片側の手足が同時に前に出ていたのではなく、「片腕が前、もう片腕が後ろ」というようにして両腕を固定して走っていたと考えるほうが正しい。
私の場合だと、「あの走り方だから1日100km走ることができた」ではなくて、「登山用のバックパックだったらもっと遠くまで走ることができた。あの道具がダメだったのではないか?」と想像してしまう。
「何で、棒に箱なの?」って。不安定すぎるでしょ。転んだらどっかに吹っ飛ぶし。肩に当てていたら痛くなると思います。「肩が痛くなる」というのは、身体の上下の揺れを抑えたくなるということでもあったかも。
あの道具でないとダメな理由を知っている人がいたらコメントしてください。
以前、(テニスに限らず)指導側の人の間で、「ナンバ」が流行っていましたが、納得のいく説明は聞いたことがないです。
でっ、て感じです。各スポーツに応用できていない。自分が教えるスポーツに話が繋がっていないのが滑稽。
あの動きが良いかどうかを、本当に検証したんですか?
同じ格好をして、同じ道具を使って、1日100kmを走ったことがあるの?
で、それと、今風の格好をして、今風の走り方をして、1日100km走ったのを比べたんでしょうね?
飛脚の動きが良いと言いたいのなら、このぐらいの比較は最低限やるべきです。これをやったという人を聞いたことがない。
まさか、他人が言っているから、それに乗っかろうとしているのではないでしょうね?
他にも、着物だからどうのとか、侍は腰に刀があるからどうのとか言っていますが、それらもとても怪しい。
生徒からお金を頂いて指導するわけですから、それなりの責任があります。
自分が実践して比較してください。
そんなこともしてないのに、それを教えるのは無責任でしかない。
素で見る能力が必要です。
先入観が想像力を欠落させます。
実践しないのは論外。
私はもっと想像しますよ。
例えば、本当はあの箱の中身はダミーで、盗賊にあったとき用に本物は腰に巻いているのではないか、とか。
そんなわかりやすい格好で(しかも丸腰)、お金を運んでいたら盗賊の餌食になるはず。大丈夫なの?とか。
飛脚は裸の写真が多かったけど、昼間に外を走っていたら、日焼けしているはずなのに、何で日焼けの跡がないの?肩はシミだらけだと思うけど、とか。
飛脚と言われている人の写真はあるけど、それが本当に飛脚をしている人の写真なのか、いつ撮影されたもので、誰が撮影したのかなどは明確には分からない。それを信じる指導側の人って、思考能力が停止しているのかな、とか。
あの履物でそんなに走れるの?どうして履物の予備を持ってないのかな?、とか。
裸足?、とか
他にもたくさん想像できますが、すべて私の偏見です。本当のこと(事情)は何もわかりません。
ただ、あの写真を見て感想を聞かれたら、いろいろ想像できるということです。
私の想像の一つ一つは、しょーもないような内容かもしれませんが、この積み重ねが動きを分析させてくれます。
動きは、多方面(沢山の異なった状況)から見るのが基本。
私には、動きを考える癖があります。
昔の動きを参考にしようとする気持ちはわかるのですが、みんなの昔は、私からすると新しすぎる。
私は動きを、重さの向きや身体の作りから見ています。
身体って、いつからあるの?
重さって、いつからあるの?
飛脚って、いつからあるの?
動きを教えることを仕事にしているなら、もっと疑う目で、多数の状況から物事を扱う想像ができなければならないと思います。
その疑った先に、どうしても疑えないものが見えてきます。
私の場合、それが重さの向きだったり、身体の作りだったりです。
これらには従うしかない。ということは、これらは基本の要素となれる。
動きの基盤が明確になる。これだけでも動きに対する考えはガラリと変わると思います。