静岡県島田市大草(おおくさ)の曹洞宗 富洞山 天徳寺(ふとうざん てんとくじ)は、室町時代(南北朝時代末)の明徳元年(1390年)頃に豊後(大分県)の僧 大通融士(だいつうゆうじ)が、天台宗の深泉寺を創建したのがはじまりです。

安土桃山時代の慶長4年(1599年)、島田代官 長谷川藤兵衛長盛の援助を受けて、約4km北東の会下沢(えげざわ)から現在地へ移転し、曹洞宗の天徳寺に改められました。

天徳寺の墓地には、島田代官 長谷川氏の墓があります。

島田代官 長谷川氏の墓
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 室町時代後期(戦国時代)の明応5年(1496年)、駿河今川氏7代目 今川氏親(いまがわ うじちか)が遠州三十六人衆のひとり鶴見因幡守栄寿(つるみ いなばのかみ えいじゅ)の居城 横岡城(志戸呂城)を攻略。

因幡守は討ち取られましたが、家臣に連れられて脱出した長男 大蔵(おおくら)は天台宗の深泉寺で修行。

その後、大蔵は横岡村の観勝寺の3世 在仙太存大和尚(ざいせんたいそんだいおしょう)になりました。

安土桃山時代の慶長4年(1599年)、島田代官 長谷川藤兵衛長盛の援助を受けて、約4km北東の会下沢(えげざわ)から現在地へ移転し、曹洞宗の天徳寺に改められました。

天徳寺の墓地には、島田代官 長谷川氏の墓があります。

探訪は自己責任で!!

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曹洞宗 富洞山 天徳寺の地図
静岡県島田市大草911
TEL 0547‐37‐3724
無料駐車場あり

アクセス
・東名高速道路 焼津ICの西
・国道1号線バイパス野田ICから217号線を北上、車で約10分

<島田代官 長谷川氏>
 長谷川氏は、代々長谷川藤兵衛を名乗りました。

・初代 長谷川藤兵衛長盛
安土桃山時代の天正18年(1590年)頃、徳川家康が豊臣秀吉から在京賄料の一部として与えられた、島田周辺2000石の管理を命じられ島田代官に就任。

・2代目 長谷川藤兵衛長親
江戸時代前期の元和2年(1616年)、島田宿内に陣屋を新築して移住。
川根筋の幕領も、支配しました。

・3代目 長谷川藤兵衛長勝
正保元年(1644年)、私財を投じて大井川から用水を引き、3100石の新田を開墾。

・4代目 長谷川藤兵衛長春

・5代目 長谷川藤兵衛勝峯(はせがわ とうべえ かつみね)
元禄5年(1692年)、遠江国川井(袋井市)代官へ転任を命ぜられる。
元禄5年(1692年)~元禄16年(1703年)、川井代官を務めました。
元禄16年(1703年)死去。
曹洞宗 玉照山 円通寺(袋井市川井)に墓があります。

<曹洞宗 富洞山 天徳寺>
冠木門
 山門まで、山茶花(サザンカ)のトンネルが続いています。
大正5年(1916年)に植樹され、高さは4m以上。
例年9月下旬から咲き始め、11月下旬頃まで咲いています。
山茶花の名所として知られるようになりましたが、まだまだ穴場のおすすめスポットです。
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県指定文化財 山門
 安土桃山時代の慶長5年(1600年)に建立された「和様切妻破風造四脚門」。
江戸時代前期の元禄4年(1691年)3月に修理。
間口3.65m、奥行3.5m。
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本堂
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島田代官 長谷川氏の墓
 墓地の奥の一番上に、長谷川氏の墓が並んでいます。
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五輪塔の左側が、三代長谷川藤兵衛長勝の墓。
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参考文献
・『焼津・藤枝・島田・志太・榛原歴史散歩』杉山元衛 1993年4月1日