静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の石脇城(いしわきじょう)は、室町時代中期(15世紀)に築城された駿河守護職今川氏の属城です。

南北約220m、東西約130mの規模で、標高は約30m。

室町時代中期(戦国時代前期)の文明年間(1469~1486年)、駿河今川氏6代目当主の今川義忠(いまがわ よしただ)が、伊勢新九郎盛時(北条早雲)を城主にしていたと伝えられています。

石脇城跡
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<今川義忠の討死と後継者争い>
 文明8年(1476年)2月6日、今川義忠が敵対した遠江の有力国人 横地氏の本城 横地城(菊川市)を攻略し、横地氏15代当主 横地四郎兵衛秀国を討ち取りました。
その夜、今川義忠は塩買坂(菊川市(旧小笠郡小笠町))で敵の残党による待ち伏せにあって、流れ矢で深手を負い討死。(塩買坂の戦い)

当主を失った今川氏は、義忠の従弟である小鹿範満(おしか のりみつ)と義忠の嫡男で6歳の龍王丸(たつおうまる)による家督相続争いが勃発。
龍王丸の母親・北川殿の弟(兄?)の伊勢新九郎盛時の仲介により、龍王丸が成人するまで小鹿範満が家督を代行することになりました。

しかし、龍王丸が成人後も小鹿範満は家督を返しませんでした。
盛時は八幡山城(静岡市)を修築して、麓に居館を建設。

文明19年(1487年)11月9日、盛時が駿河今川館(静岡市)を襲撃して小鹿範満は自害。

龍王丸は7代目当主 今川氏親(いまがわ うじちか)となり、盛時は興国寺城(沼津市)へ移りました。

探訪は自己責任で!!

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石脇城跡の地図
静岡県焼津市石脇下山崎

アクセス
・東名高速道路 焼津ICの東

石脇城跡
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登城口
「石脇城跡」の白い標柱が目印です。
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石段を登ります。
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第三曲輪
 城山八幡宮が鎮座する場所です。
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第二曲輪
 第一曲輪の一段下にある墓地周辺です。
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第一曲輪
 大日堂と城山稲荷が建つ山頂。
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大日堂
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鰐口(わにぐち)
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城山稲荷
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参考文献
・『焼津市史 資料編一 考古』焼津市史編さん委員会 2004年3月
・『静岡県文化財地図Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日
・『静岡県文化財地名表Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日
・『静岡県文化財調査報告書 第23集 静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会文化課 1981年3月1日