静岡県藤枝市仮宿(かりやど)の仮宿館(かりやどやかた)は、守護大名・戦国大名 今川氏に仕えた岡部氏の居館跡です。

周辺の丘陵には、詰城の朝日山城と支城の潮城が築かれています。

市指定史跡 朝日山城の麓に位置する、水田地帯の十字路周辺が「お屋敷田んぼ」と呼ばれる仮宿館の推定地です。

伝・仮宿館(岡部氏館)
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<岡部氏と仮宿館(岡部氏館)の歴史>
 平安時代(11世紀頃)、藤原氏一族の貴族 藤原清綱(ふじわら の きよつな)が、駿河権守(するがごんのかみ)に任命され駿河国府(静岡市)にやってきました。

藤原道長(ふじわら の みちなが)らとは血縁が遠く、国司の次の位の権守にしかなれませんでした。

任期が切れても都に帰らず、岡部郷(藤枝市仮宿)に居館の仮宿館(かりやどやかた)を構えて住み着き岡部氏を名乗りました。

仮宿館は、江戸時代の岡部宿(藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部)とは別の場所です。

室町時代の岡部氏は、守護大名・戦国大名の今川氏に代々仕えました。

室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、今川義元(いまがわ よしもと)の嫡男 今川氏真(いまがわ うじざね)が支配する駿河(静岡県中部)に甲斐(山梨県)の戦国武将 武田信玄(たけだ しんげん)が侵攻。

岡部氏は武田信玄の家臣となり、武田氏が衰退すると岡部正綱(おかべ まさつな)・岡部長盛(おかべ ながもり)父子が、徳川家康に家臣として招かれました。

安土桃山時代の天正11年(1583年)、岡部正綱が死去すると岡部長盛が家督を相続。

岡部長盛は家康の家臣として戦功をたて、「岡部の黒鬼」と呼ばれました。

江戸時代には、岸和田藩(大阪府岸和田市)の初代藩主となっています。

探訪は自己責任で!!

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伝・仮宿館(岡部氏館)の地図
静岡県藤枝市仮宿字一丁田

アクセス
・東名高速道路 焼津ICの北西

伝・仮宿館の南西
 静岡大学農場の裏山は、岡部氏の詰城だった市指定史跡 朝日山城跡。
郭、出曲輪、土塁、竪堀などの遺構があります。
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伝・仮宿館の北
 山の中腹の萬松院(万松院)は、岡部氏の菩提寺です。
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伝・仮宿館の東
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伝・仮宿館の西
 民家裏の丘陵も、仮宿館の一部だと考えられています。
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参考文献
・『岡部氏の郷・文化財めぐりパンフレット』
・『藤枝市史 資料編1 考古』 藤枝市史編さん委員会 2007年3月25日
・『静岡県文化財地図Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日
・『静岡県文化財地名表Ⅱ ―焼津市以西―』静岡県教育委員会 1989年3月1日