陸軍下士官・兵用バックルとベルト(ライヒスヴェーア)
こんにちは、エーデルマンです。
昨日は日経平均株価が市場最高となる39,098円68銭を記録しました。それまで最高値は1989年の納会でつけた38,915円で約34年ぶりの更新だそうです。
1989年は私はまだ学生でしたし、当時、株の売買は今ほど簡単にできる時代ではなく、競馬やパチンコよりは少し高尚なお金持ち向けのギャンブルという認識でした。
まだバブルという言葉は出回っておらず、田舎にも関わらずお隣さん買った値段の倍で家が売れたとか、親戚のお姉ちゃんが新人なのにボーナスが100万出たとか、とにかく景気の良い話を聞くことが多かったと記憶しています。
株価はふたたび最高値となりましたが、当時と違って庶民にとって株高なんてどこ吹く風、物価上昇に増税と生活は苦しくなるばかりです。かたや政治家は裏金問題で脱税しても一切お咎めなし・・・汗水流して働いて納税することがアホらしくなりますよね。
まぁ、だからといって脱税したら最低の政治家と一緒になるので、納めるものはきちんと納めて、皆さん、ぜひ選挙に行きましょう!
さて気を取り直して、本日は久々にアイテムの紹介となります。
こちらは、ライヒスヴェーア時代のバックルとウエストベルト(Koppelschloss mit Lederwiderhalt)です。
まずはバックルから見ていきたいと思います。
第一次大戦にドイツ帝国陸軍で使用されたバックルと同じ箱型で、バックルの中央にはナチスドイツ時代のバックルと同じ〝GOTT MIT UNS〟(神は我等と共にあり)と国家鷲章が刻まれています。
鷲章はいわゆるヴァイマール鷲と呼ばれるタイプで両羽を高く上げたポーズになっています。
裏側の基本構造は同じですが、大きな違いはフック用の金具が上は点付け、下は一体から削り出しとなっている点です。どちらも表側は剥がれてしまったフェルトグラオ塗装の残滓が見られます。
次にウエストベルトを見ていきます。
ウエストベルトは牛革製で一方にはバックルに接続するフック、反対側には調整用ベルトが本体に縫い付けられています。
調整用ベルトの穴は2x7列で2cmごとにサイズ調整が出来るようになっています。
バックルにひっかけるフックが先端に縫い付けてあります。フックの下には1935年の刻印があるので、バックルと同じくライヒスヴェーアからヴェアマハトへの移行期に作られた可能性が高いです。
本体には第84歩兵連隊第一大隊第14中隊の刻印があり、同連隊へ支給されたものとなります。なお、第84歩兵連隊は1935 年10月15日に第 VIII 軍管区で編成され西方戦役に参加しました。
1935年当時の軍装を再現しました。M34野戦服にM34略帽とM36改めM27野戦ズボンの組み合わせです。
時代的には矢印の辺りでしょうか?
最後に以前記事にさせていただいた東京ミリタリーアンティーク様が素晴らしい初期軍装のセットの動画をアップされていたので紹介させて下さい。
M35DDヘルメット、フェルトグラオ塗装が完全に残ったミント状態のバックルはなかなか見ごたえがあります。
昨日は日経平均株価が市場最高となる39,098円68銭を記録しました。それまで最高値は1989年の納会でつけた38,915円で約34年ぶりの更新だそうです。
1989年は私はまだ学生でしたし、当時、株の売買は今ほど簡単にできる時代ではなく、競馬やパチンコよりは少し高尚なお金持ち向けのギャンブルという認識でした。
まだバブルという言葉は出回っておらず、田舎にも関わらずお隣さん買った値段の倍で家が売れたとか、親戚のお姉ちゃんが新人なのにボーナスが100万出たとか、とにかく景気の良い話を聞くことが多かったと記憶しています。
株価はふたたび最高値となりましたが、当時と違って庶民にとって株高なんてどこ吹く風、物価上昇に増税と生活は苦しくなるばかりです。かたや政治家は裏金問題で脱税しても一切お咎めなし・・・汗水流して働いて納税することがアホらしくなりますよね。
まぁ、だからといって脱税したら最低の政治家と一緒になるので、納めるものはきちんと納めて、皆さん、ぜひ選挙に行きましょう!
さて気を取り直して、本日は久々にアイテムの紹介となります。
こちらは、ライヒスヴェーア時代のバックルとウエストベルト(Koppelschloss mit Lederwiderhalt)です。
まずはバックルから見ていきたいと思います。
第一次大戦にドイツ帝国陸軍で使用されたバックルと同じ箱型で、バックルの中央にはナチスドイツ時代のバックルと同じ〝GOTT MIT UNS〟(神は我等と共にあり)と国家鷲章が刻まれています。
鷲章はいわゆるヴァイマール鷲と呼ばれるタイプで両羽を高く上げたポーズになっています。
ヴァイマール共和国の国家鷲章は、1920年にグラフィック・アーティストであり紋章学者でもあったジークムント・フランツ・クサーヴァー・ヴィルヘルム・オットー・フォン・ヴェーヒによってデザインされた。フォン・ヴェーヒ氏は1888年5月16日、ランツベルク・アム・レヒに生まれた。ミュンヒェンで建築を学び、美術工芸学校にも通った。同時にフリーランスのグラフィックデザイナーとしても活躍した。フォン・ヴェッヒ氏は1982年10月27日にミュンヒェンで死去した。
-Wikipedia(独)より-
このバックルは革タブの刻印から分かるように1935年に製造されたようです。ライヒスヴェーアが1935年3月16日の再軍備宣言で国防軍(ヴェアマハト)に変わった後もしばらくは古い装備が生産・支給されていました。
ちなみに元々革タブが付いていないタイプもあり、元々付いていたけど無くなったケースと併せて、革タブ付きは希少となっています。(希少とは言っても、有り無しで大きな価格差はありませんが)
バックルはアルミ製では無くニッケル製となります。当初は鉄製(1925年2月28日採用)で表面はシボなし、ニッケル製になったのは1928年4月で翌年4月3日にフェルトグラオ塗装されたものが採用されました。ナチスドイツ時代にアルミ製バックルがやがて鉄製になってシボが無くなるのと真逆の流れになっています。
ちなみに元々革タブが付いていないタイプもあり、元々付いていたけど無くなったケースと併せて、革タブ付きは希少となっています。(希少とは言っても、有り無しで大きな価格差はありませんが)
バックルはアルミ製では無くニッケル製となります。当初は鉄製(1925年2月28日採用)で表面はシボなし、ニッケル製になったのは1928年4月で翌年4月3日にフェルトグラオ塗装されたものが採用されました。ナチスドイツ時代にアルミ製バックルがやがて鉄製になってシボが無くなるのと真逆の流れになっています。
ナチスドイツ陸軍のバックル(下)は1936年1月に採用され、国家鷲章以外にもGOTT MIT UNSの書体、月桂樹が柏葉に変わるなどデザインが一新されました。
裏側の基本構造は同じですが、大きな違いはフック用の金具が上は点付け、下は一体から削り出しとなっている点です。どちらも表側は剥がれてしまったフェルトグラオ塗装の残滓が見られます。
次にウエストベルトを見ていきます。
ウエストベルトは牛革製で一方にはバックルに接続するフック、反対側には調整用ベルトが本体に縫い付けられています。
調整用ベルトの穴は2x7列で2cmごとにサイズ調整が出来るようになっています。
バックルにひっかけるフックが先端に縫い付けてあります。フックの下には1935年の刻印があるので、バックルと同じくライヒスヴェーアからヴェアマハトへの移行期に作られた可能性が高いです。
本体には第84歩兵連隊第一大隊第14中隊の刻印があり、同連隊へ支給されたものとなります。なお、第84歩兵連隊は1935 年10月15日に第 VIII 軍管区で編成され西方戦役に参加しました。
1935年当時の軍装を再現しました。M34野戦服にM34略帽とM36改めM27野戦ズボンの組み合わせです。
時代的には矢印の辺りでしょうか?
最後に以前記事にさせていただいた東京ミリタリーアンティーク様が素晴らしい初期軍装のセットの動画をアップされていたので紹介させて下さい。
M35DDヘルメット、フェルトグラオ塗装が完全に残ったミント状態のバックルはなかなか見ごたえがあります。
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ご無沙汰しております
こんにちは、エーデルマンです。
大変ご無沙汰してしまっておりますが、なんとか生存しております。
しばらく更新できなかったのは、本業の方が忙しく休日もなかなか時間が取れなかったこともありますが、ブログネタにしたい軍装品が手に入らなかったのが正直なところです。
30年ぶりの円安であろうと、欲しいと思ったものは、高くてもジャンピングキャッチしてでも買うのが私のポリシーですが、さすがに市場に出てこなければどうしようもありません。
海外のオークションは第三帝国をイメージさせるアイテムの出品はNGですが、そうじゃないモノ、例えば私の好きな生活関連の軍装品は結構レアなものが出ていたのですが、最近はそれもめっきり減っています。
ゴミだと思っていたものが、意外と価値があることに気づいた所有者(スーベニアとして持ち帰った兵士、或いはコレクターの遺族など)がオークションではなく、ショップやディーラーへ持ち込んで適正価格で売るケースが増えているのではないかと推察しています。
それらのショップは昔ながらに対面販売を優先し、まずは常連客に声がけし、ネットで出てくるのは売れ残ったものだけという話は良く耳にします。
サイトにアップされても即Sold outとなっているものは、アップされる以前に売却先が決まっているが、取扱い商品のラインアップを豊富に見せる為に並べているだけの可能性もあります。
インターネットの普及で日本にいながら海外からモノが買える時代になっても、軍装品のような一品モノに一期一会の世界では、私のようにショップとコネクションのない草コレクターが逸品に巡り逢えるのはかなり困難です。
ところが、そんな状況を変えたい、日本のコレクターに素晴らしい軍装品を届けたい、そういう志をもったショップが最近東京にオープンしたと聞き、さっそく訪問してきました。
新しいショップの名前は「東京ミリタリーアンティーク」さんです。
浅草橋駅から歩いて3分ほどのビルの一室にあり、今月オープンしたばかりの店内はピカピカ。
早くアイテムを手に取ってみたい衝動を抑えて、まずはテーブルでこだわりのコーヒーをいただきながら世間話。
日本軍とドイツ軍装をメインに扱われるそうです。なお、ECサイトは設けず、対面販売のみとのこと。
現在ショーケースに展示されているのは在庫のほんの一部で、部屋の奥には未開梱のダンボールがたくさん山積みにされていました。
今回は一部開梱してもらい、個人的に興味のあるものを撮影させていただきました。
いきなり凄いものが出できました。なんと対戦車用吸着地雷「Hafthohlladung」です。(こちらは近日ブログで紹介させていただく予定です)
他にもM24柄付手榴弾やM39卵型手榴弾、さらに珍しい〇〇〇もあり、思わず「全部買います!」と言いそうになりました。(自粛)
こちらは野戦ランタン「Lat. Kast 37 Pi」。珍しい収納木箱とアクセサリーがセットになっています。
有名な資料本に掲載されたM36野戦服もありました。このようなミント状態のM36野戦服は最近はなかなかお目にかかれません。
オーナーは国内外の著名なコレクターとのコネクションをお持ちで、これまで国内では入手が難しかった超一級品の販売も予定しているようです。(某将軍服など)
最後にお店から情報を掲載させていただきます。
お預かりの貴重な委託品への安全保管義務と、昨今の個人情報保護の観点より御来店は予約制でお一人様でお願い致します。
未成年者の方は保護者様同伴、女性の方は取扱商品が実際の戦争に係わった物と言う特殊性に鑑み男性を伴ってのご来店にてお願い致します。
火曜日〜日曜日
12時〜20時
東京ミリタリーアンティーク
07026280456
tokyo.military.antiques@gmail.com
〒111-0052 東京都台東区柳橋2丁目14-2
アリス・マナー・ガーデン浅草橋1101
<追記>
以前弊ブログで紹介したMG34知人が東京ミリタリーアンティークさんへ委託販売するので、ぜひ宣伝して欲しいと依頼を受けました。アクセサリーも含めてMG34関連のものは中々市場に出てこないので、この機会にぜひ!
大変ご無沙汰してしまっておりますが、なんとか生存しております。
しばらく更新できなかったのは、本業の方が忙しく休日もなかなか時間が取れなかったこともありますが、ブログネタにしたい軍装品が手に入らなかったのが正直なところです。
30年ぶりの円安であろうと、欲しいと思ったものは、高くてもジャンピングキャッチしてでも買うのが私のポリシーですが、さすがに市場に出てこなければどうしようもありません。
海外のオークションは第三帝国をイメージさせるアイテムの出品はNGですが、そうじゃないモノ、例えば私の好きな生活関連の軍装品は結構レアなものが出ていたのですが、最近はそれもめっきり減っています。
ゴミだと思っていたものが、意外と価値があることに気づいた所有者(スーベニアとして持ち帰った兵士、或いはコレクターの遺族など)がオークションではなく、ショップやディーラーへ持ち込んで適正価格で売るケースが増えているのではないかと推察しています。
それらのショップは昔ながらに対面販売を優先し、まずは常連客に声がけし、ネットで出てくるのは売れ残ったものだけという話は良く耳にします。
サイトにアップされても即Sold outとなっているものは、アップされる以前に売却先が決まっているが、取扱い商品のラインアップを豊富に見せる為に並べているだけの可能性もあります。
インターネットの普及で日本にいながら海外からモノが買える時代になっても、軍装品のような一品モノに一期一会の世界では、私のようにショップとコネクションのない草コレクターが逸品に巡り逢えるのはかなり困難です。
ところが、そんな状況を変えたい、日本のコレクターに素晴らしい軍装品を届けたい、そういう志をもったショップが最近東京にオープンしたと聞き、さっそく訪問してきました。
新しいショップの名前は「東京ミリタリーアンティーク」さんです。
浅草橋駅から歩いて3分ほどのビルの一室にあり、今月オープンしたばかりの店内はピカピカ。
早くアイテムを手に取ってみたい衝動を抑えて、まずはテーブルでこだわりのコーヒーをいただきながら世間話。
日本軍とドイツ軍装をメインに扱われるそうです。なお、ECサイトは設けず、対面販売のみとのこと。
現在ショーケースに展示されているのは在庫のほんの一部で、部屋の奥には未開梱のダンボールがたくさん山積みにされていました。
今回は一部開梱してもらい、個人的に興味のあるものを撮影させていただきました。
いきなり凄いものが出できました。なんと対戦車用吸着地雷「Hafthohlladung」です。(こちらは近日ブログで紹介させていただく予定です)
他にもM24柄付手榴弾やM39卵型手榴弾、さらに珍しい〇〇〇もあり、思わず「全部買います!」と言いそうになりました。(自粛)
こちらは野戦ランタン「Lat. Kast 37 Pi」。珍しい収納木箱とアクセサリーがセットになっています。
有名な資料本に掲載されたM36野戦服もありました。このようなミント状態のM36野戦服は最近はなかなかお目にかかれません。
オーナーは国内外の著名なコレクターとのコネクションをお持ちで、これまで国内では入手が難しかった超一級品の販売も予定しているようです。(某将軍服など)
最後にお店から情報を掲載させていただきます。
お預かりの貴重な委託品への安全保管義務と、昨今の個人情報保護の観点より御来店は予約制でお一人様でお願い致します。
未成年者の方は保護者様同伴、女性の方は取扱商品が実際の戦争に係わった物と言う特殊性に鑑み男性を伴ってのご来店にてお願い致します。
火曜日〜日曜日
12時〜20時
東京ミリタリーアンティーク
07026280456
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〒111-0052 東京都台東区柳橋2丁目14-2
アリス・マナー・ガーデン浅草橋1101
<追記>
以前弊ブログで紹介したMG34知人が東京ミリタリーアンティークさんへ委託販売するので、ぜひ宣伝して欲しいと依頼を受けました。アクセサリーも含めてMG34関連のものは中々市場に出てこないので、この機会にぜひ!
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兵・下士官用制帽(Schirmmütze)その3
「γ-GTPって聞いたことあるかい?肝臓の数値のことだよ。でも今話すのは違うよ。Chat GPTっていうんだ。これは最新のAI技術で、なんでも答えてくれるんだ。たとえば、『Chat GPT、今日の天気は?』とか、『Chat GPT、50歳って中年か?』とかね。まあ、肝臓の数値とは全然違うけど、役に立つことは確かだよ!」
こんにちは、エーデルマンです。上の文章は今話題の「Chat GPT」にキーワードだけ打ち込んで作ってもらったものですが、人間が作った文章と区別できないません。
このChat GPT、物語も書けるというので、以下の条件を与えてみました。
そしてChat GPTが作った文章がこちら。
登場人物で設定したドイツ軍狙撃兵や、会話を入れる指示は完全無視、また所々おかしな記述があったり、敵の狙撃兵と協力して戦う(誰と?)とか、恋人とスターリングラードから走って脱出(広すぎて無理・・)など、かなり無茶な展開ですが、まぁ一発目でここまでできれば、あとは微調整していけばそれなりに読める文章内容にできそうです。
小説にありがちな物語の伏線を張ったり、想定外の展開などはまだまだAIにはハードルが高いと思いますが、ニュース記事や仕事のレポートなどは、AIが人間に代わって書くことが当たり前になるかも知れません。
さて、そういうわけで本日の議題は制帽(Schirmmütze)です。(展開が無茶苦茶なのはAI以下・・・)
こちらはPionier(工兵)の兵・下士官に支給されたテラーフォルム(皿型)の制帽です。(テラーフォルムについてはこちらで説明しています)
初期の帽章とモスグリーンの鉢巻から1934年2月から1936年ごろまでに軍へ納品されたものとなります。
帽章のクローズアップ。柏葉リースは洋白製(亜鉛・銅・ニッケルの合金)で厚みがなく細かい彫刻が入った初期タイプです。中央の徽章は1933年3月14日の規定(HV 33、No.121)でヴァイマール期の鷲章の入った楕円形の帽章から国家色のコカルデに置き換わりました。なお、HVについてChat GPTに聞いた答えはこちらです。
国家鷲章(Hoheitsabzeichen)は翌年1934年2月17日付に導入された初期タイプでこちらも洋白製です。1935年3月15日に新しいタイプ(下の写真)が導入されるまで使用されます。
こちらは1935年3月15日に採用された新しい国家鷲章と柏葉リース。デザイナーのPaul Casbergによるもので急勾配で重厚な造りになっています。
この角度から見るとわかりやすいですが、この制帽はトップを意図的に反る加工がされています。
この角度で見ると・・・
ドイツ映画『08/15』に登場するPlatzekの制帽になんとなく似ていないでしょうか?ザッテルフォルムの帽子を私費購入できない、またクラッシュキャップの着用が認められない下士官が、制帽を加工して粋に見せることは良くありました。
制帽定番の褐色コットン製の内張で"56"のサイズスタンプとイニシャルでしょうか、手書きで"B " "B"の文字があります。
スウェットバンドの裏にはメーカー刻印"Mützenfabrik Kornacker Hildesheim"と製造年の"35"のシュテンペルがあります。
最後に"Mützenfabrik Kornacker Hildesheim"についてGoogleで調べてみました。
Wikipediaは無く、いくつかサイトがヒットしましたが、あまり関係なさそうです。次に画像検索するとこのメーカー製の制帽や略帽の写真がいくつが出てきますが、やはり会社についての説明が見当たりません。
そこでChat GPTに聞いてみました。
答えは一発で出てきました。ただし、内容が正しいかどうかは確認することができません。
今度は英語で質問してみました。
創業年が1899年に早まりました(笑)ただし、日本語の方には無い第二次大戦中にドイツ軍へ納品したことや"Afrika Korps"などの説明があるので内容としてこちらの方が信ぴょう性があります。
さらに英語から日本語に訳すのもお手の物です。(直訳のまま掲載します)
<ここから>
コルナッカー・ヒルデスハイムは、長い歴史を持つドイツの帽子メーカーです。1899年にドイツのヒルデスハイムでヘルマン・コルナッカーによって設立されました。当初、同社はトップハットやストローハットを含むさまざまな帽子を製造していましたが、やがて軍用キャップや帽子に特化するようになりました。
第二次世界大戦中、コルナッカー・ヒルデスハイムはドイツ軍に幅広い種類のキャップや帽子を供給し、将校用キャップ、山岳用キャップ、野外用キャップを含みました。同社はまた、北アフリカでドイツ兵士が着用した有名な「アフリカ軍団」のトロピカルキャップも製造していました。
戦後、コルナッカー・ヒルデスハイムは西ドイツ軍向けに引き続き軍用キャップや帽子を製造しました。1960年代には、同社は警察用キャップや帽子を含む製品ラインを拡大し、今日ではさまざまな他の組織や企業のためにも帽子を製造しています。
コルナッカー・ヒルデスハイムは、高品質の職人技術と細部にわたる注意を払うことで知られています。同社は現在でも伝統的な素材や技術を使用して伝統的な方法で帽子を製造し、ドイツでも最高品質の帽子やキャップを製造することで評判を得ています。
<ここまで>
今回は、制帽よりもChat GPTの紹介記事みたいになってしまいました。
数年後にはAIがブログの記事はもちろん、写真も撮って加工してくれる時代になっているかも知れません。(人間は題材を選ぶだけ・・・)
こんにちは、エーデルマンです。上の文章は今話題の「Chat GPT」にキーワードだけ打ち込んで作ってもらったものですが、人間が作った文章と区別できないません。
このChat GPT、物語も書けるというので、以下の条件を与えてみました。
そしてChat GPTが作った文章がこちら。
登場人物で設定したドイツ軍狙撃兵や、会話を入れる指示は完全無視、また所々おかしな記述があったり、敵の狙撃兵と協力して戦う(誰と?)とか、恋人とスターリングラードから走って脱出(広すぎて無理・・)など、かなり無茶な展開ですが、まぁ一発目でここまでできれば、あとは微調整していけばそれなりに読める文章内容にできそうです。
小説にありがちな物語の伏線を張ったり、想定外の展開などはまだまだAIにはハードルが高いと思いますが、ニュース記事や仕事のレポートなどは、AIが人間に代わって書くことが当たり前になるかも知れません。
さて、そういうわけで本日の議題は制帽(Schirmmütze)です。(展開が無茶苦茶なのはAI以下・・・)
こちらはPionier(工兵)の兵・下士官に支給されたテラーフォルム(皿型)の制帽です。(テラーフォルムについてはこちらで説明しています)
初期の帽章とモスグリーンの鉢巻から1934年2月から1936年ごろまでに軍へ納品されたものとなります。
帽章のクローズアップ。柏葉リースは洋白製(亜鉛・銅・ニッケルの合金)で厚みがなく細かい彫刻が入った初期タイプです。中央の徽章は1933年3月14日の規定(HV 33、No.121)でヴァイマール期の鷲章の入った楕円形の帽章から国家色のコカルデに置き換わりました。なお、HVについてChat GPTに聞いた答えはこちらです。
国家鷲章(Hoheitsabzeichen)は翌年1934年2月17日付に導入された初期タイプでこちらも洋白製です。1935年3月15日に新しいタイプ(下の写真)が導入されるまで使用されます。
こちらは1935年3月15日に採用された新しい国家鷲章と柏葉リース。デザイナーのPaul Casbergによるもので急勾配で重厚な造りになっています。
この角度から見るとわかりやすいですが、この制帽はトップを意図的に反る加工がされています。
この角度で見ると・・・
ドイツ映画『08/15』に登場するPlatzekの制帽になんとなく似ていないでしょうか?ザッテルフォルムの帽子を私費購入できない、またクラッシュキャップの着用が認められない下士官が、制帽を加工して粋に見せることは良くありました。
制帽定番の褐色コットン製の内張で"56"のサイズスタンプとイニシャルでしょうか、手書きで"B " "B"の文字があります。
スウェットバンドの裏にはメーカー刻印"Mützenfabrik Kornacker Hildesheim"と製造年の"35"のシュテンペルがあります。
最後に"Mützenfabrik Kornacker Hildesheim"についてGoogleで調べてみました。
Wikipediaは無く、いくつかサイトがヒットしましたが、あまり関係なさそうです。次に画像検索するとこのメーカー製の制帽や略帽の写真がいくつが出てきますが、やはり会社についての説明が見当たりません。
そこでChat GPTに聞いてみました。
答えは一発で出てきました。ただし、内容が正しいかどうかは確認することができません。
今度は英語で質問してみました。
創業年が1899年に早まりました(笑)ただし、日本語の方には無い第二次大戦中にドイツ軍へ納品したことや"Afrika Korps"などの説明があるので内容としてこちらの方が信ぴょう性があります。
さらに英語から日本語に訳すのもお手の物です。(直訳のまま掲載します)
<ここから>
コルナッカー・ヒルデスハイムは、長い歴史を持つドイツの帽子メーカーです。1899年にドイツのヒルデスハイムでヘルマン・コルナッカーによって設立されました。当初、同社はトップハットやストローハットを含むさまざまな帽子を製造していましたが、やがて軍用キャップや帽子に特化するようになりました。
第二次世界大戦中、コルナッカー・ヒルデスハイムはドイツ軍に幅広い種類のキャップや帽子を供給し、将校用キャップ、山岳用キャップ、野外用キャップを含みました。同社はまた、北アフリカでドイツ兵士が着用した有名な「アフリカ軍団」のトロピカルキャップも製造していました。
戦後、コルナッカー・ヒルデスハイムは西ドイツ軍向けに引き続き軍用キャップや帽子を製造しました。1960年代には、同社は警察用キャップや帽子を含む製品ラインを拡大し、今日ではさまざまな他の組織や企業のためにも帽子を製造しています。
コルナッカー・ヒルデスハイムは、高品質の職人技術と細部にわたる注意を払うことで知られています。同社は現在でも伝統的な素材や技術を使用して伝統的な方法で帽子を製造し、ドイツでも最高品質の帽子やキャップを製造することで評判を得ています。
<ここまで>
今回は、制帽よりもChat GPTの紹介記事みたいになってしまいました。
数年後にはAIがブログの記事はもちろん、写真も撮って加工してくれる時代になっているかも知れません。(人間は題材を選ぶだけ・・・)
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夏季野戦服(Drillichanzug)
こんにちは、エーデルマンです。先週末にVショーに半日ですが訪問させていただき、たくさんの同好の士の方々と交流することができました。思わぬ出物に出会ったり、ここでは記事に出来ない情報をゲットできるのもリアルのショーに参加する醍醐味だと思います。
さて、今回の記事は山岳猟兵に支給されたセカンドパターンのDrillich=杉綾織の夏季野戦服を紹介します。なお、この記事ではHBT野戦服で統一します。
1933年に導入された生成りの作業着(左)が1940年4月5日付けでリード・グリーン(右)に変更されます。ロシア戦線でも南方は夏は40度を超える暑さの中、規定に反して作業着を前線で着用する兵士が少なからずいた為、軍部は1942年秋にウール製野戦服と同じデザインのHBT野戦服を導入します。
こちらはHBT野戦服の最初のモデルでコレクターの間ではファーストパターンと呼ばれています。(ファーストパターンについての記事はこちら)
ファーストパターンの生産期間は僅か数か月間で、1942年末にはウール製野戦服と同じくポケットのプリーツが廃止された新しいモデル(通称"セカンドパターン")に切り替わります。
ファーストパターンとセカンドパターンの違いはポケットのプリーツの有無だけで、それ以外は同じデザインです。
後ろから見たところ。前面には無いベルトフック穴があるところはファーストパターンと同じです。
胸部のアップ。この野戦服は下士官に支給されたようで、襟と肩章にはトレッセが縫い付けられています。
襟章のアップ。1940年5月9日に採用となった共通兵科でリッツェン、シュピーゲルはマウスグレー色です。襟本体と襟章、トレッセすべて同じ糸を使っており、縫い目や生地へ沈み具合も同じなのでこの形で出荷されたと思われます。
ピプ(星形)が一つで階級はFeldwebel(軍装)ですね。パイピングは装甲擲弾兵を表すWiesengrünです。
制帽(こちら)の記事でも書きましたが、山岳の肩章についてはJägergrünとWiesengrünが混在して使われており、この組み合わせは不自然ではありません。
胸章は初付けでは無く、一度剥がしたものを縫い直したようです。敗戦後、ナチスを象徴する鉤十字(ハーケンクロイツ)は、ことごとく排除されることとなり、野戦服の胸章もその対象になりました。
エーデルヴァイス章はライトグレーのフェルト生地に刺繍のタイプでジグザクに縫われています。
前ボタンを外して左右開きにしたところ。
シュテンペルは薄くなっていますが、微かに残っています。(下の写真は画像処理をしたもの)一番下の文字がなんとなく"M43"に見えます。
ボタンは他のHBT服同様、S字金具で留められています。
こちらの写真はHBT野戦服を着た山岳猟兵部隊(騎兵科)の軍曹が勲章を授賞しているところです。この写真は今回記事にしたHBT野戦服のポケットに入っていたもの、と言いたいところですが、別々に入手したものです。
さて、今回の記事は山岳猟兵に支給されたセカンドパターンのDrillich=杉綾織の夏季野戦服を紹介します。なお、この記事ではHBT野戦服で統一します。
1933年に導入された生成りの作業着(左)が1940年4月5日付けでリード・グリーン(右)に変更されます。ロシア戦線でも南方は夏は40度を超える暑さの中、規定に反して作業着を前線で着用する兵士が少なからずいた為、軍部は1942年秋にウール製野戦服と同じデザインのHBT野戦服を導入します。
こちらはHBT野戦服の最初のモデルでコレクターの間ではファーストパターンと呼ばれています。(ファーストパターンについての記事はこちら)
ファーストパターンの生産期間は僅か数か月間で、1942年末にはウール製野戦服と同じくポケットのプリーツが廃止された新しいモデル(通称"セカンドパターン")に切り替わります。
ファーストパターンとセカンドパターンの違いはポケットのプリーツの有無だけで、それ以外は同じデザインです。
後ろから見たところ。前面には無いベルトフック穴があるところはファーストパターンと同じです。
胸部のアップ。この野戦服は下士官に支給されたようで、襟と肩章にはトレッセが縫い付けられています。
襟章のアップ。1940年5月9日に採用となった共通兵科でリッツェン、シュピーゲルはマウスグレー色です。襟本体と襟章、トレッセすべて同じ糸を使っており、縫い目や生地へ沈み具合も同じなのでこの形で出荷されたと思われます。
ピプ(星形)が一つで階級はFeldwebel(軍装)ですね。パイピングは装甲擲弾兵を表すWiesengrünです。
制帽(こちら)の記事でも書きましたが、山岳の肩章についてはJägergrünとWiesengrünが混在して使われており、この組み合わせは不自然ではありません。
胸章は初付けでは無く、一度剥がしたものを縫い直したようです。敗戦後、ナチスを象徴する鉤十字(ハーケンクロイツ)は、ことごとく排除されることとなり、野戦服の胸章もその対象になりました。
エーデルヴァイス章はライトグレーのフェルト生地に刺繍のタイプでジグザクに縫われています。
前ボタンを外して左右開きにしたところ。
シュテンペルは薄くなっていますが、微かに残っています。(下の写真は画像処理をしたもの)一番下の文字がなんとなく"M43"に見えます。
ボタンは他のHBT服同様、S字金具で留められています。
こちらの写真はHBT野戦服を着た山岳猟兵部隊(騎兵科)の軍曹が勲章を授賞しているところです。この写真は今回記事にしたHBT野戦服のポケットに入っていたもの、と言いたいところですが、別々に入手したものです。
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M36野戦服(Feldbluse 36)
こんにちは、エーデルマンです。今年一年を振り返えると私生活では特に変化はありませんでしたが、仕事では"DX"(デジタルトランスフォーメーション)という荒波に揉まれた一年でした。最初はDXって何?それって美味しいの?状態でしたが、やるうちに意外とのめり込み、セミナーへ積極的に参加したり、休日も勉強したりして、今では(知らない人に対して)ソコソコ語れるくらいになりました。(仕事に活かすのはもうちょっと時間がかかりそうですが)とにかく新しいことを学ぶに年齢は関係ないことを実感した一年でした。
さて、今年最後のネタはM36野戦服です。
こちらはクラッシュキャップでちょい見せした、将校用徽章が取り付けられた官給のM36野戦服で、山岳猟兵大尉が所有していたものとなります。
M36野戦服の特徴については過去の記事で紹介していますので、今回は徽章を中心に紹介していきます。
将校用襟章
襟章は兵用と比べて大きく存在感があります。
こちらは将校用襟章です。兵用に比べ大きいだけでなくとても固いです。この襟章は繊維質のシートに艶消し白のアルミ糸でドッペルリッツェンを手刺繍したダークグリーンの台布を巻き付けて接着しています。兵科色の線は人絹製で山岳部隊のグリーンです。(なお台布のシートへの接着は、こちらのサイトを参考にしました)
一部糸が外れている部分から兵・下士官用の襟章の一部が見えます。上官から『間違えないよう、元の襟章に合わせて縫うように!』ってな感じで不器用な兵士が縫ったのかも知れません。
襟の裏側には兵用襟章をミシン縫いした跡が見えます。ボタンは襟元を閉める為のもので、München被服廠から山岳部隊へ納品された野戦服(必ずしも山岳部隊のみでは無いですが)を象徴する装備となっています。
反対側には先ほどのボタンと連結するクローズタブが付いています。山岳部隊に限らず便利なシステムだと思いますが、M44野戦服まで標準化されることはありませんでした。
将校用肩章
尉官用の肩章は平紐をU字に曲げて兵科色の台布に縫い込んで作られており、英語圏では"Strap"では無く"Board"と呼ばれるようにまさに"板"です。金ピプ(星形)は将校用で2つで大尉(Hauptmann)となります。この肩章は袖に縫い付けされていますが、兵用と同じループへ差し込むタイプもあります。
将校用胸章
胸章は将校用勤務福や礼服に見られる、ダークグリーン布地にアルミ糸の刺繍タイプです。
よく見ると、この胸章も兵用BEVOタイプの上に合わせて縫い付けられています。先ほどの襟章と同じく、初付けの徽章が『ばみり』(演劇の舞台やテレビ収録のスタジオなどで、役者や出演者の立つ位置や道具を置く場所にあらかじめ目印を付けることの意)として使われたようです。
エーデルヴァイス袖章は兵用のままとなっています。将校用の手持ちがなかったからは野暮で、山岳猟兵のシンボルである部隊章は兵と同じものを付けて一体感を出すという粋な計らいかも知れません。
内装です。将校服に見られるような剣吊りベルトやスリット、ポケットなどの改造はされていません。
シュテンペル。StuttgartのPaul Kübler & Co. G.m.b.H(有限責任会社)製で、München被服廠に1940年に納品されたことが分かります。
写真でお判りの通り、野戦服はほぼ未使用の一方で徽章群はかなり年季が入っています。あくまで妄想の域ですが、大尉が着用していた服が戦闘で破損、徽章だけを外し新しい野戦服に移し替えものの、着られることなく無く終戦を迎えた。。。というのはいかがでしょうか?
それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。
さて、今年最後のネタはM36野戦服です。
こちらはクラッシュキャップでちょい見せした、将校用徽章が取り付けられた官給のM36野戦服で、山岳猟兵大尉が所有していたものとなります。
M36野戦服の特徴については過去の記事で紹介していますので、今回は徽章を中心に紹介していきます。
将校用襟章
襟章は兵用と比べて大きく存在感があります。
こちらは将校用襟章です。兵用に比べ大きいだけでなくとても固いです。この襟章は繊維質のシートに艶消し白のアルミ糸でドッペルリッツェンを手刺繍したダークグリーンの台布を巻き付けて接着しています。兵科色の線は人絹製で山岳部隊のグリーンです。(なお台布のシートへの接着は、こちらのサイトを参考にしました)
一部糸が外れている部分から兵・下士官用の襟章の一部が見えます。上官から『間違えないよう、元の襟章に合わせて縫うように!』ってな感じで不器用な兵士が縫ったのかも知れません。
襟の裏側には兵用襟章をミシン縫いした跡が見えます。ボタンは襟元を閉める為のもので、München被服廠から山岳部隊へ納品された野戦服(必ずしも山岳部隊のみでは無いですが)を象徴する装備となっています。
反対側には先ほどのボタンと連結するクローズタブが付いています。山岳部隊に限らず便利なシステムだと思いますが、M44野戦服まで標準化されることはありませんでした。
将校用肩章
尉官用の肩章は平紐をU字に曲げて兵科色の台布に縫い込んで作られており、英語圏では"Strap"では無く"Board"と呼ばれるようにまさに"板"です。金ピプ(星形)は将校用で2つで大尉(Hauptmann)となります。この肩章は袖に縫い付けされていますが、兵用と同じループへ差し込むタイプもあります。
将校用胸章
胸章は将校用勤務福や礼服に見られる、ダークグリーン布地にアルミ糸の刺繍タイプです。
よく見ると、この胸章も兵用BEVOタイプの上に合わせて縫い付けられています。先ほどの襟章と同じく、初付けの徽章が『ばみり』(演劇の舞台やテレビ収録のスタジオなどで、役者や出演者の立つ位置や道具を置く場所にあらかじめ目印を付けることの意)として使われたようです。
エーデルヴァイス袖章は兵用のままとなっています。将校用の手持ちがなかったからは野暮で、山岳猟兵のシンボルである部隊章は兵と同じものを付けて一体感を出すという粋な計らいかも知れません。
内装です。将校服に見られるような剣吊りベルトやスリット、ポケットなどの改造はされていません。
シュテンペル。StuttgartのPaul Kübler & Co. G.m.b.H(有限責任会社)製で、München被服廠に1940年に納品されたことが分かります。
写真でお判りの通り、野戦服はほぼ未使用の一方で徽章群はかなり年季が入っています。あくまで妄想の域ですが、大尉が着用していた服が戦闘で破損、徽章だけを外し新しい野戦服に移し替えものの、着られることなく無く終戦を迎えた。。。というのはいかがでしょうか?
それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。
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M42ヴィントホーゼ (Windhose 42)
こんにちは、エーデルマンです。韓国の梨泰院での事故を見て、今から30年くらい前に同じような体験をしたことを思い出しました。確か大阪の天神祭の花火会場だったと思いますが、地下鉄出口から出て会場へ向かう集団と、あまりの混雑ぶりにあきらめて帰ろうとする集団(←自分はその中の一人)が逃げ場の無い路地で押し合いへし合いで身動きが取れなくなり、まさに報道されていたようなパニック状態に陥りました。幸い警察官の誘導で大惨事は免れましたが、あの時は苦しさよりも、腕も足も自由に動かせない状況に底なしの恐怖を感じました。今回の事故で亡くなられた方のご冥福を祈ります。
さて、本日のネタはM42 ヴィントホーゼ(Windhose 42)です。
1942年に導入された野戦ズボンの上から履くオーバーパンツです。M42 ヴィントブルーゼ(Windbluse)と組み合わせで着用している写真が多いですが、セットで支給されたかどうかは不明です。(ヴィントブルーゼだけ支給されたことは、Soldbuchの支給リストで分かっています)
イタリア戦線で捕虜になった山岳猟兵。3人ともヴィントホーゼを履いています。だぶだぶですが、下に履いているズボンとこのヴィントホーゼの間に空間を作ることで、保温性を高めています。
こちらのヴィントホーゼはコットン・レーヨン生地です。ヴィントブルーゼと同じく、グリーンブラウンと雪(冬季)迷彩のリバーシブルになっています。
数字がやたらと多いシュテンペル。86は股下、92は総丈、124はウエスト、104はヒップのサイズですが、RBNrの上の186と196が何を表すのか分かりません。(適用する身長の範囲という説あり)M43はミュンヒェン被服廠1943年納品、その後ろの/Hは陸軍(Heer)の意味でしょうか?
ヴィントホーゼの裾口は紐で絞れます。靴を脱がずに履けるよう、裾の幅は広くなっています。
裏側は雪迷彩色となっています。ヴィントブルーゼと同様、こちら側がゴム引きになっているタイプもあります。
ベルトもリバーシブルになっています。野戦ズボンの調整ベルトと同じく生地に直接バックルの爪をぶっ刺すタイプです。
このズボンのベルトの生地は厚いので、バックルの爪が折れて無くなったズボンを多く見かけます。
『The K98k Rifle』に掲載されている写真の一つで、狙撃スコープ付きKar.98Kを清掃する山岳狙撃兵は迷彩スモック(Tarnjacke)とヴィントホーゼを着用しています。左側の兵士がHBT生地の上下であることから、寒い時期ではなさそうです。
そう言えば『最強の狙撃手』には、宣伝中隊が撮影したヴィントホーゼを履いたゼップ・アラーベルガーの写真が2枚掲載されていました。
地面の上で長時間伏せる必要のある狙撃兵にとって、ヴィントホーゼを着用することは迷彩効果に加え、防水効果や汚れ防止、空気の層による断熱効果も有益であったかと思います。
なお、『最強の狙撃手』文中で迷彩アノラック (Tarnungs Jacke)についてはボロカスに描かれていましたが、雪迷彩スモック(ヴィントブルーゼ)については、"これは小さく丸めることができて携帯に便利だった。薄いコットン素材は濡れた状態でも動きを妨げず、重量も少なく、肌着のようにすぐ乾いてくれた。"と評価しています。この本には着用写真が2枚も掲載されているくらいなので、ヴィントホーゼも愛用していたのは間違いありません。(たぶん、知らんけど)
ヴィントブルーゼと組み合わせ。今回紹介したヴィントホーゼは特別ビッグサイズですが、他のズボンもウエストサイズは大きめなので、上の方で掲載した写真の右端のドイツ兵の様にヴィントブルーゼをズボンにタックインすることも極めて通常でした。
さて、本日のネタはM42 ヴィントホーゼ(Windhose 42)です。
1942年に導入された野戦ズボンの上から履くオーバーパンツです。M42 ヴィントブルーゼ(Windbluse)と組み合わせで着用している写真が多いですが、セットで支給されたかどうかは不明です。(ヴィントブルーゼだけ支給されたことは、Soldbuchの支給リストで分かっています)
イタリア戦線で捕虜になった山岳猟兵。3人ともヴィントホーゼを履いています。だぶだぶですが、下に履いているズボンとこのヴィントホーゼの間に空間を作ることで、保温性を高めています。
こちらのヴィントホーゼはコットン・レーヨン生地です。ヴィントブルーゼと同じく、グリーンブラウンと雪(冬季)迷彩のリバーシブルになっています。
数字がやたらと多いシュテンペル。86は股下、92は総丈、124はウエスト、104はヒップのサイズですが、RBNrの上の186と196が何を表すのか分かりません。(適用する身長の範囲という説あり)M43はミュンヒェン被服廠1943年納品、その後ろの/Hは陸軍(Heer)の意味でしょうか?
ヴィントホーゼの裾口は紐で絞れます。靴を脱がずに履けるよう、裾の幅は広くなっています。
裏側は雪迷彩色となっています。ヴィントブルーゼと同様、こちら側がゴム引きになっているタイプもあります。
ベルトもリバーシブルになっています。野戦ズボンの調整ベルトと同じく生地に直接バックルの爪をぶっ刺すタイプです。
このズボンのベルトの生地は厚いので、バックルの爪が折れて無くなったズボンを多く見かけます。
『The K98k Rifle』に掲載されている写真の一つで、狙撃スコープ付きKar.98Kを清掃する山岳狙撃兵は迷彩スモック(Tarnjacke)とヴィントホーゼを着用しています。左側の兵士がHBT生地の上下であることから、寒い時期ではなさそうです。
The K98k Rifle (The Propaganda Photo Series)
posted with amachazl at 2020.04.05
de Vries, G., Martens, B. J.
S I Publicaties Bv (2001-07-19)
売り上げランキング: 474,891
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そう言えば『最強の狙撃手』には、宣伝中隊が撮影したヴィントホーゼを履いたゼップ・アラーベルガーの写真が2枚掲載されていました。
地面の上で長時間伏せる必要のある狙撃兵にとって、ヴィントホーゼを着用することは迷彩効果に加え、防水効果や汚れ防止、空気の層による断熱効果も有益であったかと思います。
なお、『最強の狙撃手』文中で迷彩アノラック (Tarnungs Jacke)についてはボロカスに描かれていましたが、雪迷彩スモック(ヴィントブルーゼ)については、"これは小さく丸めることができて携帯に便利だった。薄いコットン素材は濡れた状態でも動きを妨げず、重量も少なく、肌着のようにすぐ乾いてくれた。"と評価しています。この本には着用写真が2枚も掲載されているくらいなので、ヴィントホーゼも愛用していたのは間違いありません。(たぶん、知らんけど)
ヴィントブルーゼと組み合わせ。今回紹介したヴィントホーゼは特別ビッグサイズですが、他のズボンもウエストサイズは大きめなので、上の方で掲載した写真の右端のドイツ兵の様にヴィントブルーゼをズボンにタックインすることも極めて通常でした。
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M17 スチールヘルメット (Stahlhelm 17)
こんにちは、エーデルマンです。ロシアがウクライナの東部と南部4州を強制的に併合し"自国"にしてしまいました。ロシア政府の公式発表では住民投票で賛成多数を得た為と言っていますが、兵士が住民を一軒一軒回って投票をさせている映像もニュースに流れており、インチキであることは間違いありません。
さて、本日はM17スチールヘルメット((Stahlhelm 17)を記事にしたいと思います。
1914年6月のサラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦でドイツ帝国軍は革製のピッケルハオベより防護性能が優れたスチールヘルメットを導入します。
この時に導入されたヘルメットは、"石炭バケツ"という渾名の通り縦長の形状と、ツノのように飛び出たベンチレーションが特徴的です。
ちなみにベンチレーションの突起部は、防弾シールドを引っ掛ける為にあるということを、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。
このドイツ帝国のスチールヘルメットには、M16、M17、M18の3種類が存在しています。
M16:ライナーバンドの材質が革製、スカート部分にチンストラップ金具留めリベットがあり
M17:ライナーバンドの材質がスチール製、スカート部分にチンストラップ金具留めのリベットあり
M18:ライナーバンドが材質がスチール製、チンストラップ金具留めのリベット無し
M16とM17の違いは内側を見ないと判断できませんが、M18とはリベットの有無で識別できます。
なお、非常にマニアックな視点となりますが、映画『西部戦線異状なし』では物語が進むにつれて主人公のヘルメットのタイプが変わっていきます。
入隊~最初の戦闘シーンはピッケルハオベ。
二度目の戦闘シーンではM16/17ヘルメットを着用。チンストラップ金具留めのリベットがスカート部に付いています。
ん?ヒムメルシュトースのヘルメットはベンチレーションの突起が無い?
このシーンでのヘルメットはM18です。M16/17にあったリベットがありません。(〇印のところ)
第一次世界大戦で生産されたスチールヘルメットは750万個。戦後のヴァイマール共和国軍10万人に供給され、余剰となった分はフライコーア(ドイツ義勇軍)で使用されたり他国への輸出されます。
1935年3月にナチスドイツは再軍備宣言し徴兵制を復活させると同年秋までに兵士の数は83万人まで急増、正式モデルのM35スチールヘルメット(1935年6月25日付採用)では足りない分を補う形で再利用されました。
これらのヘルメットはコレクターの間では"トランジショナルモデル"(移行期モデル)と呼ばれており、フェルトグラオの塗装に国家鷲章/国家色のデカールが貼られています。
こちらがそのトランジショナルモデルのスチールヘルメットとなります。国家鷲章のデカールが左側、国家章が右側に貼られています。
このヘルメット、よく見るとM16/17やM18とは違って、チンストラップ金具留めのリベットが高い位置にあります。このタイプは"オーストリア型M17"と呼ばれており、オーストリア=ハンガリー帝国が採用したモデルとなります。
オーストリア=ハンガリー帝国兵士の軍装。スチールヘルメットのリベットの位置に注意。
ここからは少し脱線して、ナチスドイツによるオーストリア併合(アンシュルース)について。
オーストリア=ハンガリー二重帝国は第一次世界大戦後に崩壊、ハンガリーやチェコスロバキア、ポーランドなどが独立、オーストリア共和国は経済的に単独では立ち行かなくなり、ヒトラーはナチスが台頭するドイツは併合(アンシュルース)を画策、政治的な駆け引きや、反対派の暗殺など紆余曲折の末、オーストリアをドイツの一州とする法案が1938年3月12日に成立、翌13日にはドイツ「エスターライヒ州」となります(その後、1938年10月14日に「オストマルク州」に改称)
一か月後の4月10日にはドイツとオーストリア両国でアンシュルースの是非を問う国民投票が行われ、97%の賛成を得ます。
こちらはアンシュルースの投票用紙。賛成(Ja)を記入する〇は反対(Nein)より大きく中央にあり、最初から賛成を前提とした投票であったことが分かります。冒頭でウクライナ4州の住民投票のことを書きながらこの国民投票が思い浮かび、記事にしようと思った次第です。
ただし、ロシアによるウクライナ4州併合とは違い、当時オーストリア国民の大多数はドイツとの統一を支持しており、進駐したナチスドイツ軍は各地で熱狂的な歓迎を受けます。上記写真で行軍する兵士はリュックサックから山岳部隊と思われますが、一次戦タイプのヘルメットを被っています。
ドイツの指導者兼首相のヒトラーは元々オーストリア人ということもあり、国民からすれば、同郷人がすごい出世して故郷に錦を飾ったような感情もあったのかも知れません。
ヴィーンでナチスドイツの進駐軍を迎え入れるオーストリア共和国軍。国家章のデカールが貼られています。
オーストリア共和国軍は多くの山岳部隊を保有しており、ドイツ軍の山岳部隊は大幅に強化されることになりました。
話をスチールヘルメットに戻しましょう。
M17とM35スチールヘルメットとの比較。M17の方がバイザーとスカート部が長くバイザーとの間のカーブも緩くなっています。一次戦タイプのヘルメットは砲弾の破片から頸部を守る点では優れていますが、反面音が聞き取りづらく、自分の声が反響するという欠点が指摘されていました。その為、M35ではスカート部を短くすることでこの問題を解決、軽量化にもなりました。
黒白赤の三色(トリコロール)国家章は1933年に導入され、最初は左側にハンドペイントされます。その後、国家鷲章が制定されると右側側に移動します。国家章のデカールは1940年3月21日付け通達で廃止されますが、トランジショナルモデルでもシングルデカールのヘルメットは存在しるので、1940年以降も使用され続けたことが分かります。
デカールのクローズアップ。DDヘルメットはフェイクが多く、購入前には十分なチェックが必要です。こちらやこちらのサイトでホンモノのデカールの写真が掲載されており、比べて見る事が出来ます。ちなみにこちらの国家鷲章デカールはHuber Jordan & Koerner製で主にトランジショナルモデルに使われるタイプとのこと。
ヘルメットの内側。トランジショナルモデルのヘルメットはM31ライナーに換装されているのが特徴です。
ライナーバンドはアルミニウム製、チンストラップ取り付け部が一重になっているので1938年以前の生産となります。
チンストラップの取付金具は角型です。その後ろには換装前のチンストラップの金具が一部残っており、表側のリベットに繋がっています。
オーストリア型M17は第一次世界大戦中に534,013個生産され、ドイツから購入したヘルメット416,000個と併せて100万個弱がオーストリア=ハンガリー帝国軍に納品されたことになります。戦後どれだけのヘルメットがアンシュルースでナチスドイツ軍に接収されたか不明ですが、第二次世界大戦でも消耗されたことを考えると、100年以上の時を経てもなお現存していることに感動を覚えます。
最後に『西部戦線異状なし』のリメイク版が2022年10月28日にNETFLIXで公開されるようなのでトレイラーを貼っておきます。
映像を見る限りピッケルハオベ着用のシーンは無く、全員がM16/17を被っています。
このリメイク版はドイツ語で制作されるとのこと、非常に楽しみです。
さて、本日はM17スチールヘルメット((Stahlhelm 17)を記事にしたいと思います。
1914年6月のサラエボ事件をきっかけに勃発した第一次世界大戦でドイツ帝国軍は革製のピッケルハオベより防護性能が優れたスチールヘルメットを導入します。
この時に導入されたヘルメットは、"石炭バケツ"という渾名の通り縦長の形状と、ツノのように飛び出たベンチレーションが特徴的です。
ちなみにベンチレーションの突起部は、防弾シールドを引っ掛ける為にあるということを、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。
このドイツ帝国のスチールヘルメットには、M16、M17、M18の3種類が存在しています。
M16:ライナーバンドの材質が革製、スカート部分にチンストラップ金具留めリベットがあり
M17:ライナーバンドの材質がスチール製、スカート部分にチンストラップ金具留めのリベットあり
M18:ライナーバンドが材質がスチール製、チンストラップ金具留めのリベット無し
M16とM17の違いは内側を見ないと判断できませんが、M18とはリベットの有無で識別できます。
なお、非常にマニアックな視点となりますが、映画『西部戦線異状なし』では物語が進むにつれて主人公のヘルメットのタイプが変わっていきます。
入隊~最初の戦闘シーンはピッケルハオベ。
二度目の戦闘シーンではM16/17ヘルメットを着用。チンストラップ金具留めのリベットがスカート部に付いています。
ん?ヒムメルシュトースのヘルメットはベンチレーションの突起が無い?
このシーンでのヘルメットはM18です。M16/17にあったリベットがありません。(〇印のところ)
第一次世界大戦で生産されたスチールヘルメットは750万個。戦後のヴァイマール共和国軍10万人に供給され、余剰となった分はフライコーア(ドイツ義勇軍)で使用されたり他国への輸出されます。
1935年3月にナチスドイツは再軍備宣言し徴兵制を復活させると同年秋までに兵士の数は83万人まで急増、正式モデルのM35スチールヘルメット(1935年6月25日付採用)では足りない分を補う形で再利用されました。
これらのヘルメットはコレクターの間では"トランジショナルモデル"(移行期モデル)と呼ばれており、フェルトグラオの塗装に国家鷲章/国家色のデカールが貼られています。
こちらがそのトランジショナルモデルのスチールヘルメットとなります。国家鷲章のデカールが左側、国家章が右側に貼られています。
このヘルメット、よく見るとM16/17やM18とは違って、チンストラップ金具留めのリベットが高い位置にあります。このタイプは"オーストリア型M17"と呼ばれており、オーストリア=ハンガリー帝国が採用したモデルとなります。
オーストリア=ハンガリー帝国兵士の軍装。スチールヘルメットのリベットの位置に注意。
ここからは少し脱線して、ナチスドイツによるオーストリア併合(アンシュルース)について。
オーストリア=ハンガリー二重帝国は第一次世界大戦後に崩壊、ハンガリーやチェコスロバキア、ポーランドなどが独立、オーストリア共和国は経済的に単独では立ち行かなくなり、ヒトラーはナチスが台頭するドイツは併合(アンシュルース)を画策、政治的な駆け引きや、反対派の暗殺など紆余曲折の末、オーストリアをドイツの一州とする法案が1938年3月12日に成立、翌13日にはドイツ「エスターライヒ州」となります(その後、1938年10月14日に「オストマルク州」に改称)
一か月後の4月10日にはドイツとオーストリア両国でアンシュルースの是非を問う国民投票が行われ、97%の賛成を得ます。
こちらはアンシュルースの投票用紙。賛成(Ja)を記入する〇は反対(Nein)より大きく中央にあり、最初から賛成を前提とした投票であったことが分かります。冒頭でウクライナ4州の住民投票のことを書きながらこの国民投票が思い浮かび、記事にしようと思った次第です。
ただし、ロシアによるウクライナ4州併合とは違い、当時オーストリア国民の大多数はドイツとの統一を支持しており、進駐したナチスドイツ軍は各地で熱狂的な歓迎を受けます。上記写真で行軍する兵士はリュックサックから山岳部隊と思われますが、一次戦タイプのヘルメットを被っています。
ドイツの指導者兼首相のヒトラーは元々オーストリア人ということもあり、国民からすれば、同郷人がすごい出世して故郷に錦を飾ったような感情もあったのかも知れません。
ヴィーンでナチスドイツの進駐軍を迎え入れるオーストリア共和国軍。国家章のデカールが貼られています。
オーストリア共和国軍は多くの山岳部隊を保有しており、ドイツ軍の山岳部隊は大幅に強化されることになりました。
話をスチールヘルメットに戻しましょう。
M17とM35スチールヘルメットとの比較。M17の方がバイザーとスカート部が長くバイザーとの間のカーブも緩くなっています。一次戦タイプのヘルメットは砲弾の破片から頸部を守る点では優れていますが、反面音が聞き取りづらく、自分の声が反響するという欠点が指摘されていました。その為、M35ではスカート部を短くすることでこの問題を解決、軽量化にもなりました。
黒白赤の三色(トリコロール)国家章は1933年に導入され、最初は左側にハンドペイントされます。その後、国家鷲章が制定されると右側側に移動します。国家章のデカールは1940年3月21日付け通達で廃止されますが、トランジショナルモデルでもシングルデカールのヘルメットは存在しるので、1940年以降も使用され続けたことが分かります。
デカールのクローズアップ。DDヘルメットはフェイクが多く、購入前には十分なチェックが必要です。こちらやこちらのサイトでホンモノのデカールの写真が掲載されており、比べて見る事が出来ます。ちなみにこちらの国家鷲章デカールはHuber Jordan & Koerner製で主にトランジショナルモデルに使われるタイプとのこと。
ヘルメットの内側。トランジショナルモデルのヘルメットはM31ライナーに換装されているのが特徴です。
ライナーバンドはアルミニウム製、チンストラップ取り付け部が一重になっているので1938年以前の生産となります。
チンストラップの取付金具は角型です。その後ろには換装前のチンストラップの金具が一部残っており、表側のリベットに繋がっています。
オーストリア型M17は第一次世界大戦中に534,013個生産され、ドイツから購入したヘルメット416,000個と併せて100万個弱がオーストリア=ハンガリー帝国軍に納品されたことになります。戦後どれだけのヘルメットがアンシュルースでナチスドイツ軍に接収されたか不明ですが、第二次世界大戦でも消耗されたことを考えると、100年以上の時を経てもなお現存していることに感動を覚えます。
最後に『西部戦線異状なし』のリメイク版が2022年10月28日にNETFLIXで公開されるようなのでトレイラーを貼っておきます。
映像を見る限りピッケルハオベ着用のシーンは無く、全員がM16/17を被っています。
このリメイク版はドイツ語で制作されるとのこと、非常に楽しみです。
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