関西や岡山の空を歩けそうなスポット | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[巨大岩塔から日本屈指の古代山城迄]

先般より投稿している空を歩くような写真を撮影できるスポットについては、登山愛好家が一番詳しいが、観光客や行楽客でも行けるスポットはある。

 

(1)  百丈岩(兵庫県神戸市六甲山系)

以前、岩塔三景か何かの記事で投稿した鎌倉峡沿いの高さ60mに及ぶ百丈岩もスポットの一つ。1256年、最明寺入道(出家後の北条時頼)が百丈岩に立って下を流れる渓谷を眺め、「鎌倉峡」と名付けた。「関西の寝ざめの床(本家は木曽)」と呼ぶ者もいる。

 

百丈岩は写真で見ると険しく感じられるかも知れないが、上り口付近まで車道が通じており、幼児も家族連れで登れる程度の行楽地。その名の通り、百畳敷ほどの広さがあるが、周辺にも展望が優れた岩場がある。

 

(2)  石の宝殿周辺の台地(兵庫県高砂市)

六甲山系にも「石の宝殿」と呼ばれるものがあるが、この石の宝殿は以前、日本三奇の記事で紹介した生石神社の御神体。幅6.5m、全高5.7m、奥行き7.2m、推定重量500トンにも及ぶ、ブラウン管テレビのような形状の人工巨岩。大己貴命と少彦名命が造営した神殿説や聖徳太子の仏教支配に対抗して、物部守屋が神道の聖地として造営した神殿説等がある。

 

当時の写真を見れば、石の宝殿を切り出した背後の丘陵も展望が良さそうに思えるが、周辺の別の丘陵では、頂上部を削平した台地もあった。そこからは市街地の展望が広がっていたが、四半世紀も前に訪れたこと故、現在は草木がある程度茂っているかも知れない。その際は北方の高御位山[たかみくらやま](304m)に登れば良い。この山も山頂周辺は岩場。

 

(3)  若草山(奈良市)

東大寺背後に横たわる若草山(341.8m)は毎年の山焼きが風物詩となっている、地元園児や児童の遠足山。鹿も登って行楽客らから弁当のおこぼれを貰う等している。

尾根や山頂からは奈良・京都の両盆地を一望できる。

南麓から登るハイカーや行楽客が多いが、北側には「奈良奥山ドライブウェイ」も通っている。

 

山頂には全長107mの前方後円墳・鶯塚古墳があり、後円部の墳丘には藩政時代に建立された「鶯陵」碑が残っている。この古墳は清少納言の「枕草子」に出てくる「鶯塚」。

 

(4)  鬼ノ城(岡山県総社市)

以前、紹介した(と思う)巨大ドルメン「鬼の差し上げ石」の近くの鬼ノ城山(397m) にある古代朝鮮式山城を「鬼ノ城(きのじょう)」という。高さ6mの石塁や土塁が2.8kmにも亘って続く日本屈指の規模を誇る古代山城。

 

一般には日本書紀に出てくる朝鮮半島で起こった白村江の戦い(663)で、日本と百済の連合軍が唐と新羅の連合軍に敗れ、本土防衛のため、大和朝廷が築城させたもの、と言われているが、一切、古文書類に記載がないことから、それより前に吉備に定住した渡来人によって築かれたものではないかとの説もある。

 

それを下敷きとして語り継がれてきたのが「吉備・桃太郎伝説」。鬼ノ城山の麓は古代、海で、山は鬼ヶ島とも呼ばれていた。崇神天皇の頃、鬼ヶ島に温羅(うら)という元百済の王子が仲間と共に住み着いて城を築き、周辺の村々を襲い、略奪や婦女子の誘拐を繰り返していた。

 

そこで大和朝廷が四道将軍・五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)を退治に遣わす。命には家来として宮中の番犬の管理責任者・犬飼健と鷹匠で猿回し芸の元祖・楽々森彦(ささもりひこ)、宮中で雉に似た鳥を飼育していた留玉臣(とみたまおみ)が随行していた。犬飼健は犬養毅首相の先祖とされている。

 

温羅と命は壮絶な戦いの末、命が勝利する。温羅は自らの首が刎ねられる際、命に自分の尊称「吉備津彦」(「吉備津の王」という意)を贈った。これにより、五十狭芹彦命は「吉備津彦」を名乗ることになり、温羅は「古吉備津彦」となった。

 

温羅の首は地中に埋められたが、唸りを上げるようになったため、温羅の妻・阿曽媛(あそめ)が呼び出され、これを鎮めた。これが現代に続く吉備津神社御釜殿の神事「鳴釜神事」の起こりである。

 

因みに当方は鬼ノ城については’80年代に存在を知っていたが、’90年頃、テレビ東京で放送されていた「極めるⅡ」で取り上げられたのを見て、「天空の城」のように感じたことから、周辺の桃太郎伝説地や古墳と共にウォーキングとレンタサイクルで巡った。

 

(番外)柏尾山(高知市)

 拙著や当ブログでも解説した、’90年代は高知市街地を望む一番の展望所だった柏尾山も、当時撮影した写真を見るとスポットに成り得た。しかし’00年頃、地権者が山頂周囲に有刺鉄線を張り巡らして立入禁止としたため、ヤブ化し、展望は失われた。

現在、展望は数分の一ほど蘇っているが、空を歩くような写真は、もしかすると東の尾根にある月石なら撮れるかも知れない。但し、三脚を設置できたか否かは記憶にない。

月石へは烏帽子山のアナログテレビ塔管理車道(下の地図は登山口の白土峠)から尾根伝いに行くことができる。

 

他の「○○を歩ける」シリーズも投稿してほしい、という方は次の二つのバナーをプリーズクリック。

にほんブログ村