真冬の鍾乳洞は凄く暖かい~佐川町・穴岩の穴~ | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[冬の洞窟は天然ヒーター]

 

夏場、鍾乳洞は「天然クーラー」と称されるが、冬場の厳冬期は「天然ヒーター」になることをご存知だろうか。

以前も述べたと思うが、麓に近い鍾乳洞の平均気温は13度前後。どこの県だったか忘れたが、年間の平均気温が17度という常夏の鍾乳洞もある位。だから降雪時は避暑ならぬ避寒に洞窟で暖を取ると良い。

 

今日(月曜)、本来は鍾乳洞に出かけるつもりはなかったのだが、車を走らせるとすぐ雪が降ってきて、近景も遠景も真っ白に。高知県佐川町の二つの標高200m前後のパノラママイナー低山に向かう予定を運転中に急遽変更し、佐川町の不動ヶ岩屋洞窟遺跡西方の石灰洞「穴岩の穴」(別称「穴岩洞」・支洞を含めた総延長は約160m)に行くことにした。洞窟探検用のヘッドランプは車に積んでなかったが、登山用に使用しているものがあり、スパイク付き長靴やヘルメットは常に積んでいるため、問題なし。

 

穴岩の穴は二つの横穴から成り、左上のものは立って歩けるが、10m少々で終わる(上の写真)。

右の穴(一枚目写真)は外から見るとすぐ奥で天井が低くなっているように見えるが、低い箇所はそこだけで、そこをしゃがんで進むと、左の穴より遙かに大きな横穴になる。

 

石筍や明確な氷柱石はないが、フローストーンやノッチ(地下水による側方浸食による水平な壁)やポケット(半球状窪み)等は見られる。そしてこれは普通の鍾乳洞の光景なのだが、天井が一面、星空のように煌めいている。水滴がヘッドランプの光の反射で光っているのである。

 

十数メートル進むと洞は左にカーブを描き、下り坂になる(上の写真)。スパイク付きの長靴を履くのはこのためである。

坂が平坦になると本洞の最奥部で広間になっている。グアノはあるのだが、コウモリは一匹しかいない。

 

広間の手前には右にUターンする支洞がある。これも下り坂だが、傾斜は本洞よりもある。しかし調査者がステップを刻んでくれているため、立って歩ける所までは行ける。そこから先はケイビングマニアだけが進む世界。

 

この鍾乳洞は道路のすぐ奥にあり、分かり易い。左手の畑が植林帯に変わると右手上に下部が岩屋風になった巨岩が現れる(上の写真)。その斜め向かい辺りの路肩に駐車し、少し引き返すと、斜面に傾斜のきつい踏み跡が現れる。そこに上がるとすぐ前方上に穴の一つが見えている。石垣の上に二本の穴岩の穴が開口しているが、わざわざ石垣を這い上がらなくとも、東方向へ進むと、石垣上に続く踏み跡に出ることができる。

 

入口前広場に手水鉢が置いてあることから、かつては祠が祀られていたのだろう。祭神は昔、この西山部落の人々を襲って食らっていた大蛇だろう。この地を訪れた美濃の国の中正院という山伏に退治されている。

 

有名な不動ヶ岩屋洞穴を未探訪の方は穴岩の穴探索後、向かえばいい。西山川の東岸道路沿いに屹立する尖った岩峰「大嶽」(上の写真)背後の中腹に不動ヶ岩屋洞窟はある。案内板や遊歩道も整備されている。大嶽下部には大嶽洞も開口しているが、昭和期、鉱山会社が内部で採掘しており、崩れる危険性があるため、フェンスが設けられている。

 

不動ヶ岩屋洞窟は12,000年前の縄文人の住居跡で、昭和39年の発掘時は国内最古の遺跡だった。幅4m、高さ6m、奥行8mの本洞と高さ2m、奥行8mの支洞なら成る。細隆線土器や石斧等、様々なものが出土している。

遊歩道の峠からは大嶽頂上へアタックしてみたが、灌木のヤブにより、途中で断念した。

 

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