なぜ皆、危険な滝を探訪するのか~いの町・釈善の滝~ | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[まるでブラックホール]

過去、何度か触れた高知県いの町の中追渓谷から更に奥に進んだ、仁淀川支流勝賀瀬川上流に「本滝」と「下滝」からなる「釈善の滝(しゃくぜんのたき)」がある。道標も一切なく、道も廃道に近い状態なのだが、地元民によると、「本滝」は年間10人ほど訪れるという。

 

ネットでは「今までに見たことのない滝」等の記述が見られるが、その滝の光景は写真や動画ではまず伝わらない。実際に探訪した者が味わう「異質な凄み」があるのである。滝の落差こそ20m弱程度なのだが、まるで巨大などす黒い岩の樽のような岩壁から轟音を立てて落下しており、探訪するには地下に下りて行くような感覚がある。それはブラックホールに吸い込まれるかのようでもあり、滝壺を覗き込むと足がすくんでしまう。

 

滝壺の上には「釈善様」を祀る岩屋があるのだが、平成以降、台風や大雨で道が荒廃しており、且つ、崖のような箇所もあるので、祭祀をしている地元の関係者はロープを携えていくという。が、一般の者はザイル等を持参せず、普通の格好で下りている。

 

本滝の巨大な滝壺から流れ出る水は、すぐ落差10m少々の「下滝」(二枚目と三枚目写真)となって落下しているが、この下滝は普通の滝で、滝壺周囲は明るく、滝風も心地良いので、弁当でも食べようかと思うほど。本滝同様、近くに岩屋(一枚目写真)もあるが、こちらは何も祀られていない。明瞭な道がないのも本滝と同じだが、危険箇所はない。

 

この滝は武市伸幸氏著の「こうち滝100選」に収録されているが、具体的な滝の入口に関する記述はない。が、ネットでは本滝については入口の写真が公開されており、現地には目印のテープも巻かれている。そこで下滝の下り口について説明しようと思う。

 

 地形図「川口」に滝マーク(下滝と本滝を一つの滝として)が記載されているので、滝の場所自体は皆分かるものと思う。北谷集落を過ぎ、更に勝賀瀬川を遡って行くと、ミニ四国霊場の石仏が何段にも並べられた三差路(橋あり)に到る。ここは道なりに右に進むが、次の沢の手前の、道路の両側に桜の木がある所の広場(一台分のスペース)に駐車するか、その先の左急カーブ(二台分ほどのスペース)に駐車する。後者のすぐ手前に本滝への下り口(上の地図)があるが、まずは下滝を目指す。

 

この二つの広場の間の尾根っぽくなった所を探す。「03707」の国土調査杭が打たれた所である。ここは急勾配なので、大きくジグザグを繰り返しながら下りて行く手もあるが、支流の沢方向への下り易いルートもあったような気がする。地元民はその沢を下った方が早い旨、言っていたが、傾斜があるため、避けた方がいい。

そして適当に本流と支流との合流点を目指す。そこの上流側に下滝が懸かっている。

 

また道路まで戻らなければならないが、高度差は小さいので、ひと踏ん張り。

道路に戻ると先に少し進み、「03717」の国土調査杭を探す。その斜め下の木に赤テープが二、三本巻かれている。一応、踏み跡はあるが、非常に薄い。私はその目印に気づかなかったため、その先の尾根を下り、西方に正規ルートがある尾根を見つけると、斜面をトラバースしてそこに行った。

 

が、そちらの尾根に乗っても踏み跡はないに等しかった。ふと、南東斜面の植林帯の端を目で追うと、屹立した岩盤があり、その下がやや平坦になっている(4枚目写真)。空き缶類が放置された斜面の下である。

 

その岩盤沿いを下って行くとすぐ下に本滝が見えたが、岩屋手前は崖気味になっていたため、木のツルに掴まり、ターザン気味に下の地面に下り立った。前日、雨が降ってなければ、その側の涸れ沢を下りられたかも知れない。

そこから滝壺までは落差があり、下りられそうにない。岩屋前の平坦地の突端は、下滝の天辺になっている。

 

車での帰路、以前、滝の上流側を探索したことのある勝賀瀬川支流・三ツ内川の「だんだんの滝」入口を再度探ってみることにした。前述の本では「水神堂の滝」として掲載されているが、地元ではその滝名で呼ぶ者は殆どいない。その入口から下りて行った所にある砂防堰堤はネットでも公開されている。

 

一応、川沿いをヤブ漕ぎしながらX字状の滝が支流に懸かる所(最後の写真)まで遡行したが、体力と時間の限界が来たため、引き返した。が、ここから先は水神様の参道が残っているようなので、造作ないだろう。前述の本では昭和初期、だんだんの滝付近が土佐十景に選ばれていた旨、記述されていたが、これは誤りだろう。土佐十景は旧伊野町では大国山しか選ばれていない。それとは別に「高知日々新聞」が昭和8年、選出した何らかのくくりの景勝地だろう。

 

しかしだんだんの滝はネットで公開している者でも、あまりルートを語りたがらないようである。以前、鍾乳洞「尼ノ御前」や高知県内の戦争遺跡のことについても述べたが、そんなことを秘密にして、何の得になるのだろうか。素晴らしい場所は地域の誇りにもなるので、できるだけ多くの人々に公開するのが筋ではないだろうか。

因みにだんだんの滝については、数ヶ月ほど前まで、詳しいレポートをホームページに公開している者もいたが、入り口等の詳細については記述されていなかった。

 

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