静岡県藤枝市郡(こおり)の天台宗 村岡山 満願寺は、駿河三十三観音霊場(駿河一国三十三ヵ所観音霊場巡り) 第6番札所です。

南北朝時代の応安年間(1366〜1374年)に、元海法印が開いたと伝えられています。

戦国時代から江戸時代にかけて歴代の田中城主が、満願寺を守護安鎮の祈願寺として保護。

村岡山観音堂(村岡山観音堂)
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 明治時代になると供田を没収され、堂宇は荒れ果ててしまいました。

明治33年(1900年)8月、地元有志によって修復工事を実施。

<本尊 聖観音菩薩像の伝説>

 満願寺の本尊 聖観音菩薩像は弘法大師作といわれ、もとは鎌倉の村岡郷の某山 杉山寺に安置されていました。

元弘3年(1333年)5月、鎌倉幕府の御家人 新田義貞(にったよしさだ)が倒幕のため挙兵。

5月21日に稲村ヶ崎を突破し、倒幕軍は鎌倉に侵攻しました。

5月22日、最後の執権 北条高時が一族とともに東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅亡。

その時の戦で、鎌倉にあった多くの神社仏閣が兵火にあって焼失。

杉山寺も焼かれて、聖観音菩薩像は何者かが持ち出しましたが誤って滑川に落下。

海に流れた尊像は、やがて焼津当目の浜の巨岩(観音岩)にたどり着き、毎夜光輝いていました。

南北朝時代の応安年間(1366〜1374年)、観音像を拾い上げた郡司の一色左衛門尉が、時の大政大臣 源義満にこの事を報告。

義満が観音堂を建立させ供田を寄進したのが、満願寺のはじまりとされています。

探訪は自己責任で!!

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天台宗 村岡山 満願寺(村岡山観音堂)の地図
静岡県藤枝市郡726‐1

アクセス
・国道1号 大手交差点の北東
・田中神社のとなり

天台宗 村岡山 満願寺(村岡山観音堂)
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看板
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村岡山観音堂
 本尊の聖観音菩薩像を安置。
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厨子(ずし)
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絵馬
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駿河三十三所観音巡りの御朱印は、近くにある小澤商店で受領できます。
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境内社
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庚申塔(こうしんとう)
 中国から伝来した道教(どうきょう)の庚申信仰では、人間の体内にいる三尸虫(さんしちゅう)が、60日ごとの庚申の日の夜に寝ていると抜け出して、天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされています。

そのため、夜通し本尊を祀ったり宴会をしたりする風習があります。

室町時代(15世紀頃)に仏教と結びつき、仏教では庚申の本尊が青面金剛(しょうめんこんごう)です。

江戸時代中期(18世紀頃)より、神道(しんとう)では猿田彦(さるたひこ)が庚申の本尊として信仰されました。
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墓、石仏
 右側の石像は、役行者(えんのぎょうじゃ)です。
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育英学校跡
 明治34年(1901年)、満願寺境内に西欧の学問を取り入れた中等教育の私塾 育英学校を開設。
明治45年(1912年)に閉校するまでに1000余名の人材を送り出し、国会議員の山口忠五郎や岡野繁蔵などを輩出。
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育英学校
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育英学校の校章
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永井東陵(ながい とうりょう)
 江戸時代後期の1822年に誕生。名は醇。
江戸時代には、幕府儒官で昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)教授でした。
明治元年に、46歳で江戸から駿府(静岡市)に移住。
翌年には、旧幕臣子弟の教育のため藤枝に移りました。
明治3年に育英舎、明治34年(1901年)に育英学校を開設。
明治42年(1909年)には、女子教育の駿陽女学院を設立。
同年、死去。
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育英碑(故幕府儒官永井東陵先生碑)
 明治45年(1912年)に建立された石碑。
沼津兵学校教授を勤めた田辺太一が、育英学校で行なわれた教育を賞賛しています。
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参考文献
・『駿河三十三所観音巡り』黒沢脩 1989年7月14日
・『藤枝・岡部・大井川の寺院』改訂版 柴田芳憲 2001年8月25日

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